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越中富山といえば薬売り、その元祖となったのが富山藩2代藩主、前田正甫( まさとし)です、これを見た諸国の大名が「ぜひ拙者の国にも」と正甫に頼み、そこで全国どこへでも商売ができる「他領商売勝手」を発布、これにより富山の薬売りが生まれたとのことです。こんにち尚この売薬を偲び、富山駅前広場に売薬肖像のオブジェが飾られる。
![]() 富山駅前広場 090829撮影 |
子供の頃、自宅に薬箱が置いてあり、年2回ほど薬売りのおじさんが訪れ補充し使った分だけ代金を回収していきました。これは各家庭の薬箱に常備薬を置いてゆき、しばらくして再訪問し服用した薬の分の代金を徴収し減った分の薬を補給するというシステムの薬屋さんでした。特に富山県で発展し「越中・富山の薬売り」として親しまれて来ました。 広貫堂資料館では 越中売薬の歴史、製薬道具や売薬版画、レトロ調の薬パッケージなどを多数展示 |
二代藩主前田正甫は、自身が病弱だったこともあり、薬に興味を持ち、自分でも調合したり、内外の薬の製法を領内に広めさせた。富山の売薬の基礎を築いた。
上下写真は、何ヵ月に一度だったでしょうか、大きな風呂敷包みを背負っておじさんがやって来ました。昔を懐かしみ、駅前の広場に置かれた行商をする、富山のくすりやさんです。 富山の薬.HP http://www.chuokai-toyama.or.jp/seiyaku/ |
![]() ![]() 富山城址公園に銅像 富山藩二代藩主・前田正甫公の像です |
![]() 駅側〜撮影 |
おじさんが、大きな行李(こうり)の中から薬を取り出し、薬箱に詰め終わると、やおら、子ども達が待ちわびる物を、行李の中から取り出します。紙風船です、確か青い色と赤い色のインクで薬の広告が印刷されていたと思いますが。荷物を脇に置いた薬売りのおじさん、お土産の紙風船をもらって遊ぶ子供、懐かしい光景です。
富山市売薬資料館では 富山の売薬の歴史を紹介し、売薬版画や紙風船などの行商携行品、製薬道具など3000点を展示![]() くすり問屋 |