皇帝陛下の晩餐会  
                                              まも さとる
宇宙暦七九九年、新帝国暦一年一〇月、惑星フェザーン。
皇帝ラインハルトの大本営が設置された某ホテルで数夜にわたって行われたその行事は、公式の記録には残らなかったものの、
当事者たちの心には、後々まで極彩色の霧がたちこめる秘境として存在し続けることとなった。
 当時フェザーンにあった元帥三名、上級大将四名が、皇帝のもと一堂に会しての晩餐会を開く。それも、一夜ごとに主催者を変え、
必ず主催者手ずから調理した得意料理を供することとする・・・。
 この決定を聞いたとき、数十秒呼吸を忘れた者二名、表面平然と、内心舌打ちした者二名、実際に頭を抱えた者一名、まじめに献立を考え始めた者一名、
慌てて愛妻に超高速通信で相談した者一名。
 そして提案者は、傍らに控える首席秘書官ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフに無邪気にのたもうた。
「楽しみだな」と。
第一夜 エルンスト・フォン・アイゼナッハ
 一番くじを引いたアイゼナッハが提供した献立は、湯豆腐に高菜の煮付け、主食は玄米ご飯であった。
育ち盛り?の面々には多少物足りない気がしないでもないが、まずまずの出だしである。
 ただ、ご存知のように、玄米ご飯というものは良く噛まなければならない。
 その上。
 これを彼の失策とするのはあまりに酷であろうが、アイゼナッハはフェザーンの高菜が異常に筋っぽいということを知らなかったのだ。
「しまった」
 かくして、ラインハルト以下八名は、無言で租借にいそしまなければならなくなったのである。
 更に、意外なところに伏兵が潜んでいた。
 過剰な労働を強いられたあごに、一時の安息をもたらすアイボリーホワイトの湯豆腐。その鍋の底から、黒々とした巨大な昆布が姿を現したのである。
 威風堂々たる魔人を彷彿とさせるその昆布は、十四の瞳の凝視にさえたじろぐ気配も見せず、ふてぶてしく鍋の底に横たわっていた。
 これは、残さず食べるべきだろう。
 誰よりも早く、その決断を下したのはラインハルトであった。極貧にあえいだ少年時代の影響はさておいても、彼の人となりからいえば、それは当然の判断であったろう。
 が、しかし。独力で片付けるにはそれはあまりに巨大であり、疲れた顎には過ぎる作業に思われた。
 せめて半分・・・・だが、その残り半分をいったい誰が食べるのだ?
 円卓に添って流れた蒼氷色の光は、最年少の上級大将ミュラーの上でとまった。
「・・・ミュラー・・・」
 すでに、喋るのにも少なからぬ努力が必要であった。
「・・・この昆布・・・半分食べないか・・・?」
「・・・は?」
 唐突な申し出にきょとんとしたミュラーだが、すぐにその後半分を皇帝が食べる気らしいと気づいて、目に見えて狼狽した。
「・・・そんな・・・恐れ多くも皇帝陛下と半分こなどと・・・」
「・・・そうか。ならば卿が全部食べるが良い・・・」
 愚か者めと言いたげな複数の視線を感じながら、ミュラーは文字通り孤軍奮闘し、どうにか呪わしいダシどり用昆布を消滅せしめた。
 実のことろ、アイゼナッハはダシとり昆布まで食べてもらう気はなかったのであるが、食べるというのを止める気は更になかった。
 一同は痺れた顎をいたわりながら、食後の茶を無言ですすり、アイゼナッハが沈黙提督と呼ばれるに至る経緯をなんとなく理解したように気になりつつ、目礼して散会した。
第二夜 ウォルフガング・ミッターマイヤー
 恒例の夜課を終え、朝霧の中を帰還するオスカー・フォン・ロイエンタールは、その金銀妖瞳に地平のかなたより一直線に驀進してくる物体を認めて立ち止まった。
 フェザーン七不思議の一つと言われる暴走牛の怪異かと思ったのもつかの間、その物体は元気よく彼の名を叫び、
それによって自らが僚友ウォルフガング・ミッターマイヤーであることを証明した。
「こんな時間にどこへ行く?」
「青果市場だ。今日は俺の番だからな。ところで、卿はイモを何個食う?」
「イモというと、あの芋か?」
「その芋だ。何個ぐらい食える?」
 他ならぬミッターマイヤーの問いであるから、ロイエンタールは表情を改め、具現化しがたいこの課題に取り組んだ。
「芋だけならば二個というとこだろう」
「そうか」
 頷くや、ミッタマイヤーは再び駆け出し、十メートルばかりいったところで慌てて振り向いて、ロイエンタールが止めるまもなく町中に響き渡るがごとき大声で、礼と侘びを叫んだ。
 たちまち付近の住宅の窓から罵声や目覚まし時計や植木鉢が降り注ぎ、両元帥は互いの無事を祈りつつ、早急にその場から退避することを余儀なくされた。
 さて、その夜。
 「少し多く作りすぎてしまった」
 エプロン姿もかいがいしいミッターマイヤーは、諸将に自らの過ちをそう告白したが、事実はその言葉をはるかに凌駕していた。
 メニューはジャガイモのバター煮。それだけである。
 朝から気力知力体力のすべてを駆使して製作に携わっていたと言うだけあって、見事に黄金色のもったりしたペーストと化しているそれが、
各自の大皿にこてこてと、文字通り盛り付けてあるのだ。
 加うるに、後方には、どこから探し出したものか大小さまざまな鍋が十ばかり控えており、残存兵力の膨大さをしのばせる。
「一人二個にしては、ずいぶん多いじゃないか、ミッターマイヤー・・・・・・・」
 ロイエンタールの囁きはさすがに非難のスパイスを含んだが、彼の親友は悪びれぬ態度で事情を説明した。
「市場のおばちゃんが良い人で、ついついあるだけ買ってしまったのだ。で、買った以上は調理してやらねば、芋も成仏できまいと思って名。これだけの芋を剥くのは、なかなか骨の折れる仕事だった」
 大事を成し遂げた後の爽やかな笑顔と痛々しい絆創膏だらけの手にそれ以上の追求を封じられたロイエンタールに、今度はミッターマイヤーが囁く。
「煮すぎて形はなくなったが、エヴァが教えてくれたとおりに作ったんだ。味は良いぞ」
 しかし、圧倒的な戦力差の前で少々の知略がなしえないと同じように、それは何の援護にもなりはしなかった。
 この膨大な量の芋のペーストを壊滅せしめるに、気の遠くなるような消耗戦のほか、どのような解決策があろうか。芋が反撃してこないだけでも、大神オーディンに感謝せねばなるまい。
 人類史上最大の版図を得た最強の覇王と、比類なき有能さをたたえられるその幕僚たちは、こうして前夜に引き続き、料理の征服にのみ没頭せざるを得なくなったのである。
 そうした中で、幾人かは、近く訪れるであろう深刻な問題に気づいた。一人一皿のノルマは果たすとして、その後におかわりがあるのだ。これにどう対処するか。
 一番に食べ終わったビッテンフェルトは、この問題を特に気に留める必要のない天性に恵まれており、勧められたおかわりを一杯目と変わらぬ健啖ぶりで攻略し始めた。
 ファーレンハイトは彼よりかなり苦しげであったが、ひとまずおかわりを受け、これをなるべくゆっくり食べるという作戦を取り、ミュラーもそれに倣った。
 アイゼナッハは無言で根絶の意を示そうとしたのだが通じず、ラインハルトとロイエンタールは、ミッタマイヤーのまぶしい笑顔に断りを言い出す気をそがれ、それぞれおかわりを手にした。
 いま一人の元帥は例外で、あっさりとおかわりの勧めを断ってしまい、すでに退室している。
 三杯目になると、さすがに僚友に礼をつくすよりも自らの胃袋をいたわる雰囲気が濃厚となり、再びおかわりを受けたのはビッテンフェルトとロイエンタールだけであった。
 そのビッテンフェルトも三杯目を食べ終わるとさすがに満腹したらしく、食堂には本日のホストとその親友と、大鍋に半分以上もの芋のペーストだけが残った。
「こうなってはもはや、正道に固執する必要もあるまい」
「しかし、すてるわけにはいかん」
 憮然として応じたミッターマイヤーだったが、友人の提案を聞くうちに、そのグレーの瞳にいつもの活気を蘇らせた。
 数分の後、エプロンと三角布とマスクとで完全武装したミッターマイヤーは、大鍋とおたまを従えて、フェザーン市民に芋のペースト無料サービスを施すべく、
夜陰の中に駆け去り、「冗談のつもりだったんだが・・・」と言う友の苦い呟きはついに彼に届くことはなかったのである。
第三夜 フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト
「得意料理・・・」
『猪突猛進』という名詞とイコールで固く結ばれているオレンジ色の髪の猛将がこんなに考え込んだのは、ひょっとしたら初めてのことかもしれなかった。
「得意料理か・・・」
 逞しい寵臣をゆすりながら大股に部屋中を歩き回り、たっぷり一生分の思案をした挙句、ビッテンフェルトは決断した。
「やはりあれしかあるまいな」
 その夜の晩餐会で皇帝ラインハルト以下七名の幕僚の前に現れたビッテンフェルトの得意料理は、ぐらぐら煮え立つ湯の大釜と、
スーパーの値段シールがついたままのカップヌードル各種であった。

第四夜 アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト

「なんだこれは?」
 食堂に入るなりビッテンフェルトが問うた。無尽蔵に皿に盛られた凄惨きわまる生魚のぶつきりを見ての
それは当然過ぎる疑問であった。
「さしみだ」
 そして、今宵のホストの返答もまた、世の絶対真理を説くがごとく自信に満ち、簡潔であった。
さしみ?
 虚を突かれたビッテンフェルトが無個性に問い返す。
「そうだ、さしみだ」
 ファーレンハイトは憮然とした表情で頷いたが、そのときその水色の瞳をさざなみのような揺らめきがよぎったのを
ほぼ全員が看破した。
 露骨に首をひねったビッテンフェルトに代わり、ミュラーが遠慮がちに口を開く。
「小官のしっているさしみとは少し、違うような気がするのですが・・・
これはさしみだ
 もはや劣勢は明白であったが、それでもファーレンハイトは頑強にそう言い張った。
そのとき。
「そうだ。これこそさしみだ」
 常よりも低い声が遠雷のごとく諸将の鼓膜を振るわせた。ひとり、満腔の同意を込めて頷いた黄金の若獅子の華麗なる姿の周辺で時はやにわに十年ほど
逆行する。
「ラインハルト、ごはんよ」
 粗末だが清潔な衣服をまとった黄金の髪の少女の呼び声に少年ラインハルトは喜び勇んで食堂に飛び込み−−それを見た。
「これなぁに?」
 無邪気な問いに姉の優しい笑みが応じる。
「いいから、気にしないでおあがりなさい」
「これ、食べ物なの?」
「そうよ、おさしみと言うの」
 違う。これは−−どこか違う。ラインハルトは子供心にそう思ったものだ。
「食べたくない」
「まぁ、そんな我が儘を言うものではなくってよ」
 ラインハルトの天性の勘は忍び足で近づいてくる危険を察知していたが、このおさしみという名の凶悪なシロモノが放つ
戦慄の波動は、それを圧して余りあった。
「でも、なんだか気味が悪いんだもの」
 言い終える前に、彼は既に後悔していた。
 そのときの姉の悲しげな表情と、半俊の後、絶妙の手さばきで両頬に往復二回ずつくらったビニールのスリッパの痛みは
しっかりと魂に刻印されている。
 だから、もう二度と食べ物に不平は言わない。それが可食物である限り、決して残さない。
 かくして、知られざる過去を胸に秘め、凡人には見えない鋭気と烈気の甲冑をよろった偉大なる皇帝ラインハルト・フォン。ローエングラムは
栗の木の箸を唯一の武器に、敢然と分断された生魚に挑んだのであった。
 そして、少なくともその姿は、ファーレンハイトの忠誠心を刺激するのに十分なものであったらしい。

第五夜 ナイトハルト・ミュラー

 献立を考えるにあたり、忠臣ミュラーはまず思った。
 微力のかぎりを尽くして皇帝陛下に喜んでいただけるものを作ろう、と。
 結果、予定の時刻を五分過ぎて食堂の扉は開いた。
 期せずして集まった視線の焦点で、ミュラーは恐縮しながら謝辞を述べ、さらに開演を三分遅らせてから諸将を食堂に招きいれた。

 ふいにラインハルトの歩みが止まった。
 数瞬の後、彼は再び歩み始め席に着いたが、信じがたいことに、そのとき、この史上最大の覇王は緊張し、上気しているように見えた。
 霧がかったように潤んだ蒼氷色の瞳がじっと卓上に注がれる。
 一枚の皿と言う限られた空間のうちに展開する、味、彩、香の壮麗なるシンフォニー、お子様ランチ
 おかず区域の前衛を勤めるのは、愛くるしいタコウィンナとゆでブロッコリー。トマトソースを絡めたスパゲティとハンバーグを中央に据え
右翼をコロッケとエビフライ、左翼をにんじんのグラッセ、マカロニサラダ、およびドレッシングで和えた千切りキャベツで固めてある。
 そして、ご飯区域にはチキンライス。美しく盛られたオレンジの小山の上には、当然のごとく「黄金獅子」が翻る。
 更に後方には花みかん。矢羽バナナ、りんごのウサギ、ヤクル○の小瓶などが整然と配置されている。
 見れば見るほど緻密にして豪華、しかも理にかなう、誠に堂々たる布陣であった。
「見事なものだな」
 ミッターマイヤーが屈託のない笑顔を浮かべて唯一のコメントを発した。
 残る五名は程度の差こそあれ、いずれも困惑と同様の微粒子を苦笑の形で頬の辺りにただ夜w背ながら着席する。
 誰でも子供のころはあった。ロイエンタールだってオーベルシュタインにだって、つっ転がせばピーピー泣いた時代があったのだ。
誰もがそんなセピア色した記憶の廻廊にお子様ランチを持っている、といっても過言ではない。
 苛烈すぎる炎のようなラインハルトにでさえ、それは例外ではなかった。
 幼いラインハルトは、ほかの子供たちのように、きらびやかなショウケースの中のお子様ランチに魅せられた。
しかし、ほかの子供たちのように、それを食べることはかなわなかった。彼の生家はあまりにも貧しかったのだ。
 ラインハルトは聡明な子であったから、お子様ランチが食べられなくとも駄々をこねたりはしなかった。
かといって、諦めたわけでもない。

 宇宙を手に入れるのだ。そうすれば毎日お子様ランチを食べることができる

 
白皙の頬を激情に染めて短絡した少年は、それからわずか十数年の後に、至尊の冠をいただくことになる。
 確かに、−−そう望めば皇帝ラインハルトは好きなだけお子様ランチを食べることができたであろう。
 にもかかわらず、そうしなかったと言う事実は、ラインハルトの内面の成長を如実に物語っていた。誠に喜ばしい限りである。

(さぁ、みなさんご一緒に、ジークカイザー

さて、そうしたわけで、彼の輝かしい人生の奇跡とお子様ランチは、もはや永遠に交差することがないかに思われた。

が。

ラインハルトは長いまつげを慌しく上下させた後でミュラーを見た。
 唇が動いたが声にはならなかった。思うことのあまりの多さに、言葉を見つけることができなかったのだ。
 彼は再びお子様ランチに視線を戻し、銀の先割れスプーンを握ると、万感の思いを込めて、厳かに宣言した。

「いただきます」

 入室してここにいたるまでの所要時間は、実に十五分間にも及んだのであった。
 そして、それからわずかに二分の後、シンフォニー『お子様ランチ』は喧騒の楽章に突入する。

 タコウィンナーを食べようとしたオーベルシュタインが不意に何かに気づいたように、それを見つめなおした。
 赤いタコウィンナーも蒼褪めるごときその冷厳たる凝視にホストのミュラーが気づいて問いかけた。

「何か、不都合でも・・・?」

「いや、足が六本しかないだけだ」

 ミュラーは公正な人物である。故に、決して故意にやったわけではないだろうが、事実、オーベルシュタインのタコウィンナーは
六本足であった。
「六本だろうが八本だろうが、ウィンナはウィンナだ。味に変わりのあるわけでもあるまい」
ビッテンフェルトが大声で独り言を言った。
 その隣では、アイゼナッハがさりげなく自分のタコウィンナーの足が八本であるのを確かめている。

「だいたい、品数さえちゃんと・・・」

なおも独り言を続けようとしたビッテンフェルトがいきなり声をつぐみ、周辺に視線を走らせたかと思うと、再び大声を張り上げた。

ミュラー提督!俺の皿にはにんじんが無いぞ!!

 事実である。時間の遅れに焦るあまり、ミュラーは取り返しのつかないミスを犯してしまったのだ。

「騒ぐな、にんじんなら俺のをやる」 
にんじんが嫌いであるらしいファーレンハイトがこれ幸いと申し出たが、この場合それは逆効果であった。

「俺は何も、卿の施しを望んでいるわけではない」

俺のにんじんは食えんと言うのか!

ファーレンハイトが椅子を蹴って立ち上がった弾みで卓がゆれ、可聴域すれすれの呻き声があがった。

 オーベルシュタイン、ロイエンタール両元帥の○クルトの瓶が倒れ、チキンライスが浸水してしまったのである。


 こいつぁ、えぐいぜ・・・・


 ミッターマイヤーとミュラーが固唾を呑んで見守る中、まずロイエンタールが先割れスプーンをとった。
優雅なスプーンさばきで浸水部分をすくい、口に運ぶ。
 今まで、このラブリィな晩餐をいかに彼らしく食べるかということに砕心してきたロイエンタールである。
これしきの障害に屈するわけにはいかない。

親友の潔さに改めて感心したていのミッターマイヤーが、ためらいがちに問うた。

「美味いか?」

「 まぁまぁだ・・・

 その端麗な表情はなんら変化することが無かったが。返答するまでのわずかなタイムラグが、何よりも雄弁に彼の苦痛を物語っていた。

 さて、オーベルシュタインである。
 彼はラインハルトの幕僚の中で唯一、軍国主義的浪漫主義に縁のない人物であった。

 彼はあっさり浸水部分を本体から除き、それ自体を堤として更なる浸水を食い止めると、無事だった部分のみを食べ始めたのである。

「ひ、卑劣な・・・」

「常識行為を非難されるとは心外だ」

毎度のことながら正論であるが故に憎悪を呼ぶ、彼の言動であった。

ではチキンライスのヤク○ト和えを食べるのは、非常識かつ愚劣きわまると卿はそう言うのか!

「個人の嗜好を論じるつもりは無い。ロイエンタール元帥がヤ○ルト味のチキンライスを食べたいと思われるのならそれも良かろう」

それではまるで変態サンではないか!!

 親友の名誉のためと信じ、立ち上がって抗弁するミッターマイヤーの背後で、金銀妖瞳に不穏な光を宿したロイエンタールが卓上ケチャップを掴んだ・・・・。

 その頃、ビッテンフェルトVSファーレンハイトは既に乱戦の域にまで達しており、とばっちりをくらったアイゼナッハが無言のまま参戦、
さまざまな物体が飛び交うに至り、動乱はついに円卓全域に拡大した。
 どうやら、お子様ランチという触媒は、彼らの胸に眠っていた童心と言う名の遺跡を一時的に甦らせたらしかった。
 そして、烈将の良識と羞恥心が台座を蹴って走り出し、天井近くでフレンチカンカンを踊っている間
皇帝ラインハルトは何を聞くことも見ることも無く、感慨の温泉にどっぷり頭までつかって、
じっくりとお子様ランチを味わっていたのであった。


第六夜  オスカー・フォン・ロイエンタール

「女嫌い」の「女たらし」なんて、つまるところ単なるスケベではないか、とか、よーするに言い寄られたら断れないだけの
優柔不断男だ、とか、実は貴婦人たちのチューインガムで、流行のファッションと同じレベルの存在なんだろう
とかの悪評が日のあたらぬ場所でしきりに囁かれているのを知りながら、オスカー・フォン・ロイエンタールは、その習癖を改めようとはしなかった。

 その毅然とした態度は、造詣の神の寵を受けた端正な容姿の意識せぬ擁護を得て、時にむしろ、彼の行動こそ正当である
との錯覚を呼びさえする。
(しかし、エルフリーデの一件は、率直に申し上げて、大ボケまぬけのぶちかまし!である)

さて、彼の担当した第六夜のメニューは次の通りであった。

生ウニのカクテル、鰻のソテー・カバヤキソース添え、レバーとニラのクレープ焼き、スッポンのリゾット・ガーリック風味、朝鮮人参酒・・・・。

 彼の戦場における活躍と同様、常勝を歌われた多彩きわまる私生活を支えるエネルギーの出所は、どうやらこのあたりであるらしい。
 そうと知って、一同はとりあえず感嘆したりしたものだが問題は、食後、辺りが夜のとばりに包まれた後に訪れた。

 普段か多い血の気が更に増加して大出血を起こし、輸血パックの世話になった者、健康的発散をはかり、大声で文部省歌を歌いながら
宿舎の周囲を走り回った者、など、その夜、大本営付近で見られた不振な行動は枚挙にいとまない。

 永遠に続くかに思われた供覧は、その中から数名が開き直って夜の街に出撃した後は、とりあえず表面的には鎮火したかに見えた。
しかし、水面下には深刻な状態に陥っていた人々がいたのである。

 突発的に先祖がえりを起こし、月に向かって一晩中ほえ続けた者、ベッドの広さを持て余しながら、しかしなすすべも無く部屋にこもって悶々と
ブラックホールを形成し続けたもの・・・。
 その頃、当の加害者は、フェザーン市中のとある屋敷のサニタリールームで歯を磨きながら、どちらの目でウインクしたほうが似合うか、
と言うきわめて回答困難な命題に取り組んでいたのであった。


 第七夜 パウル・フォン・オーベルシュタイン

 軍務尚書の名を聞くだけで、条件反射に警戒態勢に入ってしまう諸提督は、円卓の上を見て、とりあえず安堵した。
赤みを帯びたチキンカレーにシリアルのサラダとラッシーが添えてある、それは一見、非の打ち所の無い献立であった。

 さて猛将ビッテンフェルトは食卓においてもその本領を発揮し、誰よりも早くスプーン大盛り一杯のカレーを頬張った。
そして、半瞬の後、彼は生きる火炎放射器と化して、一同の視界から消えうせたのである。

 それに対して特に何の感情的反応を示すでもなく自分の皿に視線を転じたオーベルシュタインは、ひとさじふたさじ自作を味わい
他の者が口にしたら弁解に聞こえたであろう呟きをもらいした。

「かなりの甘口だが」

 ともすれば氷点下になりがちな血液の温度を常人並みに保つため−−−−かどうかは知らないが、冷徹の軍務尚書は激辛食家であったのだ。
さてしかし、この期に及んで目前の試練を回避することはできない。
ラインハルトは意を決して、端麗な唇の間に灼熱の炎を持った銀のスプーンを運び入れた。

 ほんのりとした甘さを感じたのは、コンマ以下0を幾つか並べた一秒ほど。後は際限も無く上昇する煉獄の熱さである。
辛い、などという生易しいものではない。

 たとえ、絶叫とともに天井まで飛び上がろうと、舌を握って踊りだそうと、ラインハルトのそれは優雅と称されるにふさわしい
リアクションになったであろうが、彼は卓の箸を握ってその衝動に耐え、サラダとラッシーでどうにかひりひりする舌をなだめることに成功した。

 そのことから思い至る。
 この調子でいけば、どう配分しても一皿のカレーを食べ終わるまでにラッシーとサラダが持たないことは必至である。
 ラインハルトは考え、彼にしては平凡な打開策を打ち立てた。

 「時にオーベルシュタイン、ラッシーのおかわりはどの位あるのか」

 答えはサービスワゴンの上にあった。パンチボールに半分ばかりの白いヨーグルト飲料。その全量を使用することが可能であるならば
ラインハルトに勝算はある。
 が、若き覇王は獅子のたてがみを思わせる豪奢な金髪を一振りして、その可能性を否定した。

 「−−−では、一人当たりあとグラス一杯と半分と言うことだな」

 オーベルシュタインが主君に解析不能の眼光を注いだが、それが果たして意味のある行動であったかどうかは、いつもの事ながら推測の域を出ない。
 ともあれ、彼らは善戦した。

 一口で数光年のかなたまで飛んで言ってしまったビッテンフェルトはさておいて、有能の誉れ高き帝国軍幕僚は、全員半皿まではクリアしたのである。
 が、その時点でラッシーの補給が途絶え、以後、戦線は崩壊の一途をたどることとなった。

 ラインハルトは、白皙の頬をいまや晩秋の柿の実の如く染め上げ、絶え間なく吹き出る汗で服はもとより髪の毛先までびしょぬれになりながら
それでも優雅に、果敢に、スプーンを動かし続けた。
 味覚などとうに石化し、更に風化して微粒子と成り果てており、やがてその後を追うように、残る感覚のすべても常闇の中へ去ろうとしていた。
 朦朧とした意識の焦土に、核熱兵器の劫火で生きながら焼きくつされたヴェスターラントの住民の呪詛の声を聞いたような気がする。
この期に及んでシリアスにしてもいたずらに気力を消耗するだけであるが、そこでたとえばアッテンボロー調に「それがどうした」と開き直れないのも
ラインハルトの為人であった。
 目の前にたゆとう真紅の霧が不意に凝固して、ルビーを溶かした液で染めたような髪の、今は亡き友の姿となる。

「熱い・・・・、熱いんだキルヒアイス!」

 声にならない叫びに頷いて、キルヒアイスは虚空に手をさしのべた。
その手に導かれて現れたのは、降り注ぐ春の日差しを思わせる美しい金髪の女性。
ラインハルトの敬愛してやまぬ姉アンネローゼその人である。

 アンネローゼのやさしい微笑みもさることながら、その両手にいつの間にか現れた二杯の冷たい蜂蜜入りレモネードは
それだけでラインハルトの双眸に不覚の涙を生じさせた。

「姉上−−−−−」

 レモネードが一つ、キルヒアイスの手に移動した。
グラスの触れ合う音が涼やかに響き、二杯のレモネードはそれぞれののどを清流となって駆け下りていく。
 呆然と立ち尽くすラインハルトの前で、アンネローゼとキルヒアイスはにっこり笑ってグラスを投げ、仲良く腕を組むと
スキップしながら鮮紅色にかなたに消えていった。

「あ、あねうぇぇぇぇぇぇっっっ!!」

 オーベルシュタインが手を伸ばしてラインハルトのカレー皿をつい、と引いた。
 カレー皿が立ち退いたその跡地に、処女雪のごときおでこがぶつかる音が華麗に響き、金粉が舞い散った。
 皿には、まだあと四分の一ほどのカレーが残ってはいたが、混沌しながらもスプーンを手放さなかったそのことは
十分に賞賛に値するだろう。

 しばらくの間、主君の優雅な頭頂及び高等部の上に澱んでいた金銀妖瞳が、通常の十分の一の速度で
その隣に座する親友を見やった。
 全身であえぐように呼吸しながら額の汗をぬぐい、ミッターマイヤーは一息ついた。
 彼は皇帝の脱落に気づいていなかった。
 彼の意識にあるものは、ただ、あと八分の一皿ほどのカレーのみ。
しかも、カレーソースの量をごはんの量を比べるに前者が著しく多い。
 ミッターマイヤーは目を閉じ、また、目を開いた。
それから音を立てて深呼吸し、やにわに皿を引っつかむと逆手に持ったスプーンで残量すべてをかっ込み、すかさず嚥下したのである。
 ご飯は確かにカレーの辛さをある程度中和してくれる。しかし、それはこの場合、ビッグバンにスポイトの水をたらすようなものだ
第一、口内にある時間が長引けば、それだけ被害も増大する。
 そこで疾風ウォルフは、固体と液体をある程度に分けて攻略する道を選んだのである。
完全な各個撃破になりえなかったのは、既に交じり合ってしまった部分があったので、これは料理の性質上、つまり戦略上
やむをえない条件であった。
 震える手が、見事に空っぽになった皿をテーブルの上に下ろした。
 少し大きすぎる音が下かも知れないが、少なくともミッターマイヤーの耳には届かなかった。
 そこではじめて気づいたように、自分を見つめている金銀妖瞳の親友を見やり、ミッターマイヤーは開放の歓喜に満たされた笑みを浮かべた。
 そして、宇宙艦隊司令長官は、にっこり笑ったそのままの表情で、円卓の地平下に没したのであった。
 残るゲストは総帥本部総長オスカー・フォン・ロイエンタールただ一人。
 彼は端然と背筋を伸ばして着席し、その彫刻も恥らうほどの壮麗な顔には、驚くべきことに一滴の汗も浮かんではいなかった。
発狂寸前の激辛食の影響を受けていないわけではない。ただひたすら、強靭な精神力によってのみ、平静な外見を保っているのだ。
しかし、歩くゴージャスと仇名され、不遜なまでに王侯の格調を身につけた金銀妖瞳の名将は、それ故に、ミッターマイヤーがとったような
大胆な策を選べなかった。

 たかがカレー、されどカレー。カレーにはカレーの食べ方というものがある。ましてや、天敵オーベルシュタインの作ったカレーである。
なんとしても平然と食べ終えなければならない。
 かくしてロイエンタールは、器用に見えないところだけ汗びっしょりにして、一さじずつ皿の中身を減らしていったのである。
苦痛の炎を沈めるのに要する時間がひとさじごとに多く必要となるのだが、完全に沈下するまで待っていたのでは食事としてのリズムがそこなられるため
陣形を立て直す暇も無く次の攻撃に対処することになる。
 苦痛の水位が限界を超えるのが先か、カレーがなくなるのが先か。
勝敗の針は危うげに揺らめき続け、そしてついに彼は女神の微笑を垣間見た。
 あと、ひとさじ。
 その後で退室し、自室に戻るまでの気力も体力も何とか残っている。
 勝利を確信したロイエンタールは我知らず、青と黒の瞳を軍務尚書に向けた。

 無機質名光を放つ義眼でそれを見返し、オーベルシュタインは大きな保温容器にかかったおたまを手にとって問うた。


「おかわりか?」


ぷっつん

 新たなる一皿の激辛カレーを思い浮かべてしまったロイエンタールは、自らの精神の糸が切れる音を聞いた。

「ふむ、おしかったな」

 後たった一さじ分を残して倒れた対極の偉才を無感動に一瞥し、オーベルシュタインはちょうど一皿分だけ残っていた
カレーをおかわりして平らげたのであった。

最終夜 ラインハルト・フォン・ローエングラム

 八夜にわたる晩餐会の採取日であるその日、食堂に向かう諸将は、意識野に吹き荒ぶ涼しすぎる風を感じていた。
奇妙に落ち着かぬ気分が血管の中を走り回り、戦慄の波動が一瞬ごとに爆発へと近づいていくあの感覚。
それは、平和ならざる時代に平和ならざる人生を選んだ者たちの、嗅覚と言うものであったかもしれない。
 本日のホストは、永遠の征服者にして、恐怖と停滞を知らぬ無限への挑戦者、ローエングラム王朝初代皇帝であらせられ奉りあそばす。
諸将が思わず姿勢を正すのも無理は無いが、それ以上に彼らの胃と心臓を圧迫しているものがあった。厨房からもれ出た
今宵のメニューに関するささやかな情報がそれである。

 食堂の扉の前に参集した一同は、互いの表情と扉のかなたから漂ってくるあの独特の香りを認識し、常に倍する慎重さと懐疑的な見地で
処理判断した挙句、絶望と言う名の鬼子が淡い希望のヴェールを引き裂いてまがまがしい産声を上げるのを聞いた。
 そして、限りなく恐怖に近い緊張が微電流のようにまといつく中、運命の扉はついに開かれたのである。

 刹那、一瞬にして漂白された風景を背に、死神がマントを脱ぎ捨てて巨大な鎌を振りかざすその姿を彼等は幻視した。
 ちょうど、誰一人まねできない流麗な動作でほっとチョコレートのマグを並べ終えたところである今宵のホストが
数百年の昔から、強固の夜の彼だけのためにデザインされたかのようなエプロンをはずしながら、めっきり和んだ蒼氷色の瞳を
彼の忠臣たちに向けた。

「思い出せる限りのものを作ってみた。遠慮は無用、存分に味わってもらいたい」

 巨大な円卓の上に所狭しと並び、更に納まりきれなくて小山のように積み上げてあるのは、ケーキを主力とする
アンネローゼ直伝のたっぷり甘いお菓子の大連隊であった−−。

 かくして、皇帝陛下の晩餐会は幕を閉じた、様々な想いと後遺症を残して・・・。

 ちなみにこの期間中、大本営近くの薬屋は、創業始まって以来の大繁盛だったそうである。


    完