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神通峡周辺の民話・伝説シリーズ その15



  あ か  い け       だ い   じ ゃ
赤池の大蛇         (東猪谷)
                 



はじめに

 富山県から岐阜県へ抜ける道、現在、国道41号線と呼んでおりますが、その昔、富山を越中と呼び、岐阜県を飛騨と呼んでいた頃、この道は、飛騨街道(ひだかいどう)と呼ばれ、米や塩・魚を飛騨へ、飛騨からは、木材や紙の原料など諸物資(しょぶっし)の交流に大切な街道でした。その街道の脇に、小さいながら知恵を出し合って、人々が仲良く暮らしている村がありました。東猪谷の御前山(現在のキラズ山)・大川(現在の神通川)にまつわるお話です。

 

      
  赤池の大蛇(あかいけ だいじゃ)

 むかし、 むかし、 そのまた むかし。 おおかわの おくの ほうに ちいさな むらがあって、 ひとびとは かわで さかなを とったり、 やまの はたけで やさいを つくったりして なかよく へいわに くらして おりました。

 

 むらの はずれに ごぜんやま という おおきな やまが ありました。 その やまには やまを まもっている きこりの せんにんが すんでいる といわれ、 むらの ひとたちは やまを とても たいせつにして ちかづきませんでした。

 

 その ごせんやまの なかほどに うつくしく すきとおった ぬまが ありました。 「ぬまは そこなしぬまで だいじゃが すんでいる」 といわれ、 むらの ひとびとから おそれられて おりました。 だけど まだ だーれも だいじゃを みた ものが おりませんでした。 

 


 その いけで、 きこりの せんにんは いつも かおを あらったり、 たべものを あらったり していました。
 


 
 ところが、 その いけの まんなか ぐらいの ところで、 ときどき あかーい
 ちの かたまりの ようなものが うかんでいるのです。

「なんだろー?」

でも、 きこりの せんにんは そのことについて あまり ふかく かんがえませんでした。


 ある あさのことです。 きこりの せんにんが いつもより すこし はやく いけへ かおを あらいに いくと、 

ズルルルル・・・・ゾゾゾゾゾ・・・・ 

ズルルルル・・・・ゾゾゾゾゾ・・・・

 いけの すぐ そばから、 ぶきみな おとが きこえてきます。


「なんじゃ? あれは?」

  きこりの せんにんは ふしぎに おもって、 こかげに かくれました。





  しばらくして そおーっと のぞくと、

な・な・な・な・な・・・・「なに?!」

  なんと いままでに みたことも ない おおきな だいじゃが、 しかを くちに くわえ、 のみこんで しまおうと している ところでした。


 「ウアア
!」 きこりの せんにんが びっくりした はずみに、 おもわず こえが 
もれました。


  
 だいじゃは、 ギラリ
! と めを ひからせて、 きこりの せんにんの ほうに
 ふりむきました。

 かおも ぬまも ちに そまって いました。 それは、 それは、 みにくく、 おそろしい すがたでした。


 すると、 にわかに、 くろくもが わき、

ピカ! ピカ! ピカ! ゴロロロローン

ゴンゴロロゴロゴロゴーン

 とつぜん てんを やぶるような ひかりと かみなりが なり、 もりも はやしも まっくらに なりました。




  だいじゃは ちだらけの みにくい すがたを みられ、すがたを かくそうと、 あれくるいました。




  おおあめが、 みっか みばん、 ふりつづきました。




  やがて、 その おおあめで、 ぬまの みずが あふれだしました。 
 そして
、  あふれでた みずと いっしょに、 だいじゃは くちから ひを ふきながら、 みにくい すがたを かくして、 さわだんの やまはだを えぐりながら、 おおかわに むかって、 いっきに くだり はじめました。


  いわを くだき、 もりや きを なぎたおし、 その おとは、

ガラ ガラ ガラ ガラ ガラ ・・・・

ドドド!! ドドド! ドドドーン

ガ・ガ・ガ・ガ・・・・ガガガガーン

あっちの やま、 こっちの やまと ひびきわたりました。



  だいじゃは あれくるいながら、 おおかわに むかったのですが、 さすがの だいじゃも つかれてしまいました。 そして、 だいじゃは、 ゆきさきを かえて つつみを つくり、 その なかに すがたを かくしました。


  に、 さんにち たってから、 しずまったように みえた やまはだが、 ふたたび ゆれうごき はじめました。 
 つつみに ひそんでいた だいじゃが、
 ふたたび、 あらしを よんだのです。
 だいじゃは、 たにを ふかく けずりながら、
 すさまじい いきおいで、 いわや やまの きぎと ともに、 おおかわに くだり、 ついに すがたが みえなく なりました。




   やがて、 あらしが しずまり、 ひがしの そらが あかるくなり、 おひさまも でて、 こぜんやまにも むらにも、 もとの しずけさが もどりました とさ。



これは、赤池にまつわるお話です。

 このお話には、 「ご前山=キラズ山」 「ひっそり    谷ぐり」 「堤平(つつんでら)」 「大川=神通川」 「深谷 などの言葉が 出てきます。

  現在でも 「赤池の沼のふちに出る竹の子(スス竹)取りに気をとられて、 一生懸命になって取っていると、 底なし沼に足を取られるから、 気を付けるように」と、 言い伝えられています。

                             坂上隆市さんのお話から

 

    民話出典「下夕南部野菊の会 紙芝居」からの再話



不切山の神
 

 昔、大沢野の下夕地区に不切山という山があり、木を切らないので、多くの大木が茂っていた。この村の百姓が、神通川に流れてきた木偶を拾い上げてきたところ、その晩、夢枕にたち、「わしは、山神じゃ。早く山へかえせ」というので、おどろいて不切山のナラの木の祠へおさめてきた。

それから何年もたち、木がますます成長して、木偶をつつみかくしたため、どの木が山神の木かわからなくなった。その頃、ある木こりが一本の大木に斧をうちこむと、真っ赤な血が吹き出したので、驚いた人々が、この山の木を切らなくなったわけである。

 ところが、ある年のこと、ひとりの若者が人々のとめるのもきかず、この山から三本の木を切り取った。そのとたん、若者の母の顔がみにくくひきつり、口がゆがんだまま、どうしてもなおらなくなった。若者はいまさらのように、山神のたたりを恐れ、二十一日間お許しの祈りをささげ、満願の日に約束の杉苗を三本植えて帰ると、ふしぎに母の顔がもとの通りになっていたと。
               「大沢野ものがたり