伝説・民話のふるさと 片掛

富山市伏木

命の水  小糸
  昔から、伏木の山下家(屋号はアイス屋)に伝わるお話です。

千五百年も続いた旧家ですが、いつの頃からか、アイス屋と呼ばれるようになったそうです。

 昔、アイス屋に、お爺とお婆と一頭の馬が住んでいました。

 お爺が、朝早く起き、馬の草かりに、深い山まで出かけていきました。

 一荷の草を背おって帰り、「どっこいしょ」と、草をおろし、
いっぷくして、草をやろうと、馬小屋をのぞいてびっくりぎょうてん。
カッパが馬につなをかけ、外に引き出そうとしているのです。

 お爺はおこり、カッパを引き出し、つなをかけ、土間の柱にしばりつけておきました。

 ところが、カッパは、だんだん弱り、ぐったりしてしまいました。

 お婆が、ごはんの用意に、土間に下りたところ、
カッパは「キュウ キュウ」と悲しそうな泣き声をあげて泣いていました。

 お婆が、カッパに「お前が悪いことをした。
馬なんか引き出そうとするからや」と、手に持っていたぬれたシャモジで、
頭の皿をたたいたところ、皿にシャモジの水が入ったためか、カッパは、
いっぺんに元気になり、つなを引き切って、いちもくさんに、にげていきました。

 何日か過ぎてから、カッパは、お婆の所に現れて、
「この間は、いのちを助けてくれてありがとうございました」と、
ペコンとおじぎをして、帰って行きました。
そ後ろすがたは、山ぶしに、にていたと伝えられています。

 ある日、お婆が、家の仕事でくたびれて、ねむりこんでいました。
その時、ゆめまくらに「私は飛騨から流れてきた仏ぞうだが、
谷川にいるから、助けに来てほしい」と呼ぶ声に、
ハッとわれにかえり、谷川に行ったところ、川岸に、
木ぼりの仏ぞうが、うかんでいるのに、おどろきました。

 仏ぞうをひろいあげ、「もったいない」と大切に家に持ち帰り、
おまもりしていました。

 ある日のこと、山ぶしすがたの行者が来られ、「今夜、とめてもらいたい。どこにでもよいから休ませてほしい」ともうされたので、お婆は、やさしい声で「どうぞ どうぞ」と、ろばたにあんないし、ごちそうを作って、もてなしました。

 行事さんは、「あなたの家に仏ぞうがあるはず。
私におきょうをとなえさせてください」と言い、おきょうをとなえられました。

 よく朝、出発ぎわに、一夜とめていただいたお礼に」と言って、
草木を使っての薬の作り方を教え、
「あなたの家が、生活にこまった時には、この薬が
あなた方を助けてくれますから」と言って、立ちさられました。

 教えられた草木で作った薬を「アイス」と言い、多くの人々
にりようされました。 

 山ぶしさんま言われたように、
家がこまった時には、「アイス」がよく売れたそうです。

 その時の仏ぞうは、伏木の神明社にごうひされています。

 それから、伏木ぶらくの人たちは、きゅうれきの五月五日になると、朝めし前に、一荷ずつ、ヨモギ、アオキ、スイカズラなど、それぞれの薬草をせおい、アイス屋の薬草小屋の前においたものです。そのお礼に、ショウブぶろに入れてもらいました。

 薬草をかげぼしにし、一年中使用できるほど、作っていました。

 ぶらくの人たちは、アイスをひつようとする時は、むりょうでもらって使用したそうです。

 また、近ごう、近ざいの方も、アイスをもとめに来られたそうです。

                                  民話出典「ふるさと下南部  野菊の会」

 

伏木地域は、神通川東岸の河岸段丘に開けた集落である。江戸時代には伏木村と呼ばれ、加賀藩領であった。石高は一〇五石(一六七〇年ころ)。

越中と飛騨を結ぶ飛騨街道東道が通り、旧街道沿いには、大日如来や地蔵尊などの石仏が今でも残っている。

秘伝妙薬 アイスの作り方  

 @ 陰干しにした薬草を、黒焼きにする。    A 大きな木の臼で、練りつぶす。

 B 絹ごしのフルイでふるう。           C 薬局から「合い草」を買って入れ、仕上げる。

効用

 ねんざ、手の筋の腫れ、打撲などに効く。

利用の仕方

 水では、薬が口の中で広がって飲みにくいため、お酒で飲むと飲みやすい。

 ねんざや打撲に使うときは、ごはんをよく練りつぶし、アイスと酒を合わせて布に平らに塗り、痛い箇所に貼ると、良く効く。
                       (現在は製造していません)