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神通峡周辺の民話・伝説シリーズ  その14

尾萩野の首なし地蔵さん

(小糸)

はじめに

  しょうわ 30ねんだい、 こめづくりを しやすく するために、 すいでんの こうちせいりが ありました。 おおきな きかいが はいり、 れんじつ たいへんな さぎょうが おこなわれました。 のぼとけの さとの ほとけさまたちも だいいどうして、 せいりされた ころの おはなしです。

 
  ちょっと むかしに あった おはなしですが、 「おはぎの」と いう ところで、かいたくが はじまったころの ことです。 そのころの 「おはぎの」は、ひと ひとりが ようやく とおれる くらいの ほそい みちでした。



  みちの まがりかどに じぞうさんたちが ならび、 くさが のびると じぞうさんたちを めあてに あるいた ところです。

そんな のどかな ふうけいが ひろがる 「おはぎの」だったのです。



  「おはぎの」では、 よっつの むらの ひとたちが あつまり、 はたけしごとに ごぼうやら にんじんなどをつくり、 ちかくの むらへ うりにいって、 こずかいかせぎを して くらして おりました。



  いちめんに くわのきが あり、 かいこさまを はる、 なつ、 あきと さんかいも かいました。
 かいこさまからは まゆを とり、 その まゆから、 やわらかい きぬのいとを とりました。



  そのころの こどもたちは おやつも ないので、 がっこうが おわると、 いそいで はたけへ いって、 おやつがわりに くわのみを くちのまわりが むらさきいろに そまるくらいに たべたものです。それが なによりの たのしみの ひとつでした。



  そんな 「おはぎの」に だいじけんが おきました。 その くわばたけを おこし、 たんぼにして こめを つくることに なったのです。



  あるひ、ブルドーザーが はいって きました。 おおきな おとで、 ガアー ガアー。 ゴロゴロ ゴロゴロ ゴロゴロゴー。

  むらの ひとたちは おどろき、 いそいで おじぞうさんたちを すこし はなれた やまての ばしょへ うつしました。



  それから しばらく こうじが つづき、 すこし たいらな ところが できたので、 むらの ひとたちは あたらしい たんぼを つくる しごとを していました。



  すると、 くわのさきに カッチンと あたる まるい いしに、 おばさんは びっくり!

  ほりおこして みて、 おばさんは にど びっくり!
 

 
  「ありゃ りゃ りゃ! これはたいへん! おじぞうさんの あたまかも しれんよ!」

  くさのなかに あった おじぞうさんが、 こうじのときに ブルドーザーに とばされたのかも しれません。

  おばさんは、 まわりに どうたいが ないかと、 あっちこっち さがしました。 ありました! くびのない おじぞうさんが、 みつかりました。



  あたりを キョロキョロ みわたすと、 いっしょに しごとを していた おじいさんが みえました。

  よぶと、 おじいさんも とんできて びっくり!



  「これは これは もったいない。 おじぞうさんの あたまは、 おれが つけてやろう」と おじいさんは、 たいせつに いえに もちかえりました。

  きれいな みずで あらって みると、 なんとも かわいい おかおの おじぞうさまでした。  


  
  おじいさんは ていねいに コンクリートを ねり、 あたまと どうたいを つけてあげました。



  しばらくして、 もとの すがたに もどった おじぞうさまを、 きれいになった だいちに そっと かえしてあげました。



  やはり、 もとの だいちが うれしいのか、 おじぞうさまは、にこやかな すがたになり、 しずかに てを あわせて いらっしゃいました。

  それからのち、 ふしぎなことがおきました。

  ながいあいだ あたまが いたくて おばさんは こまって おりましたが、 もとの すがたに なられた おじぞうさまの おかげで、 ずつうが すっかり なくなりました。

                                         おしまい

 

         民話出典  「下夕南部野菊の会  紙芝居」より            

  旧飛騨街道「野仏の里」に 百九十八体の石仏が点在

旧飛騨街道の途中、大沢野町で最も古い集落と言われる下夕地区がある。今では、二つの国を行き交った旅人たちの熱気やにぎわいを肌で感じることはできないが、沿道の草むらや家屋の軒下にひっそりたたずむ石仏たちから、道中の安全を願った人々の心をうかがい知ることができる。

 石仏は、吉野、伏木、小糸、舟渡、猪谷の五地区からなる下夕南部地区に集中している。同地区の住民らで組織され、石仏を調べている「野菊の会」によると、石仏は、大日如来や地蔵尊、不動明王など全部で百九十八体を数える。一つひとつの石仏は、だれが、いつ、何の目的で作ったものなのか、明確にはなっていない。旅の安全はもとより、無病息災、疫病や天災を防ぐ願いを込めて住民によってまつられたものだろうといわれている。

 神通峡の美しい自然に溶け込み、眠るようにたたずんでいる素朴な姿に町外からわざわざ足を運ぶ愛好者が数多い。仏たちののどかな風ぼうが、訪れる人たちの心をいやしてくれるのである。

             (富山新聞 「富山春秋」 1995.11.5)