第100話  御鷹山   富山市須原・土 



 富山藩十万石領内には室牧村の御鷹山と、須原・土との境にある御鷹山との二つがあって、共に藩公の鷹狩りに当たられたところである。
 藩の家臣が鷹狩りに当地を来遊するときは、土の中川家に休息したもののようで、数年前に後ろの山の地すべりで、中川家の家屋が押しつぶされた。そのとき家屋の平物には、前田公の定紋梅鉢の彫刻がしてあった。
 また、この藩の家臣等の土産として持ってきた湯飲みその外、文書の貴重なものが所蔵されていたらしいが、しばしば火災に遭ったので、今は当時の文書はないそうである。
 土から御鷹山までの藩公の道筋は、土の部落で芝刈り、道作りをして、常用に服したらしいが、何しろ何里とある遠い道程なので、六郎平というここから先は、隣りの下伏・小羽をも誘って一本の道筋を縦に三等分して作業に従事したらしい。後にそれが下伏と小羽が元部落から遠くはなれて、飛び地を持つに至った由来であるとのことである。
 御鷹山は当時の最高の峻峰で、頂上は喬木類は少なく、灌木がわずかに茂るのみであるが、東には立山連峰が見え、北には日本海に白帆の去来するを眺め得る絶景の地で、南には飛騨の連山が肩に迫る仙境である。冬季にはスキーを楽しむアルピニストもたくさん押し寄せて、時ならぬ繁昌をみせている。    
               
「大沢野町誌」