第104話 火の番丁と夜回り 富山市二松
文政年間から町屋敷といわれたように、道の両側に家が並び、市街地並に整理されていた船峅地区は、特に南風が強く、鶏の鳴かぬ日があっても、風の吹かぬ日はないと言われたくらいで、そのため、火災には特に注意をはらい、大火の発生しやすい南風の強い晩は、夜回りをかねて、火の元の用心につとめられていた。それが火の番丁である。
いつの頃から始められたものかは不明であるが、共同で村を守ろうという精神から始められたものであると思う。
拍子木をたたき、錫杖を鳴らし、南は役場前(現土地改良区)、北は急滝川の橋まで回り、終われば隣家に申し送り、風の止むまで、また必要がなくなったと認めた時は、各自の判断で切り上げた。
「開村百七十周年記念 二松のあゆみ」