第13話 黄金の鶏と軍用金の伝説 富山市岩稲
むかし、岩稲の八幡さまは、飛騨街道の通りのはしにあったそうな。境内には、スギやカシやケヤキなどの大木がしげり、昼でも暗いほどで、道ばたのコケむした石垣は、往来する人たちの憩いの場でもあったそうな。
ところで、この境内のどこかに、ウルシ千杯、朱千杯、黄金の鶏一つがいが埋められているとの伝説があるが、話の起こりはこうである。
時は戦国時代のころ、飛騨丹生川の尾崎城は別名「金鶏城」とも言われた。
この城の城主は、塩谷筑前守秋貞である。秋貞はこの城を中心にこのあたり一帯を治めていた。今でもこのあたりを八賀町と言っているのは、この城下町であったからだ。
秋貞は自分の勢力を伸ばそうと信州へ進攻した。そして上杉謙信と通じて飛騨古川に高野城、坂下に塩谷城を築き、さらに越中に進攻した。
まずは笹津付近を攻め取り、自分は猿倉城を築き、八賀の尾崎城には少数の兵と妻子を残し、秋貞は諸蒋と共に猿倉城から広く広がる越中平野を眺めて、上杉謙信と連絡を取りながら、攻略の機会をねらっていた。
ところが上杉謙信が死去したという知らせが伝わると魚津から椎名越中守の軍勢が攻め寄せた。秋貞は猿倉城を堅く守って容易に城は落ちなかった。しかし椎名の新手の軍勢にいよいよ支え切れず秋貞は落城を覚悟した。
秋貞はいつも愛玩していた黄金の鶏一つがいの床飾りを持ち、軍用金はウルシと朱塗りの箱に入れて家来に持たせ、闇夜にまぎれて猿倉山を下り、川を渡って対岸の岩稲に着いたそうな。そして岩稲八幡社で小者の姿に着替えて、大切に持って来た黄金の鶏の床飾りも軍用金も境内に埋めたとのこと。岩稲八幡社で、この身を無事に守らせ給えと祈願し、命からがら塩谷の方へ落ちて行った。
しかし幾日か後、塩谷近くの戸谷あたりで、疲れきって一休みしているところへ椎名の軍勢に追い付かれ、無念や六十三歳で討死した。
八賀の尾崎城に秋貞戦死の悲報が届き、三木休庵が攻めて来るとのことで、尾崎城では残った兵も僅かで逃げ散る者が多く、秋貞の奥さんも子どもも共に自害されて果てた。
朝に興り夕べに亡ぶる戦国時代の常とはいえ、あまりにも悲惨な錦華一朝のはかない夢である。
「ふるさとのわらべうたとむかしばなし」細入婦人学級編