第20話  五郎兵衛宮   富山市町長

 町長村の山頂に相当な平地(ダイラバタケ)がある。人呼んで「五郎兵衛宮」と称している。先人代々からの言い伝えやら過去帳等により、元禄の末期頃より明確に記録されている。
 五郎兵衛三兄弟がダイラバタケに住んでおり、兄は五郎兵衛、弟の二人は清助と三右ヱ門との事、兄弟三人は次々と、このダイラバタケから下山、現在の町長の地に住み着いたとのこと。このダイラバタケは町長村発祥の地と言われている。
 湧き水を利用しての水田が一反ばかりあった。山肌には、昔畑をしていた跡が見受けられる。屋敷の廻りにあったらしい柿の木も二〜三本、大きな梨の木、五抱えもある栃の大木がある。
 その辺にお宮の跡の石らしき物があり、今の野崎隆義家(野崎五郎兵衛)では、大正の末期まで鏡餅を持って、正月二日にはどんな大雪でも初詣に出かけたものだそうだ。
 

 
 その後、昭和二十年代の食糧難の折り、町長の田中秀治家の方たちがそのダイラバタケの荒れ果てた田畑らしき所を一反余り開墾し、小屋を建て、水稲及び陸稲を三十年代頃まで耕作していた。
 当時、梨の木の梢に卵より大きい梨がなっていて、村人たちが田中さんに梨をもらって食べたとのことだ。また、湧き水が流れ出ている谷間にわさびが生えており、少し上には「ナシノキダイラ」と言って広々した山面に、萱、ススキが生え、テンポナシ、ワラビ、ゼンマイ、ススタケ等の山菜に恵まれていた。
 時代の流れと共に林道が造られ、杉等が植林されて、昔を偲ばしてくれていた栃の大木や山菜等が姿を消 した。それでも、町長の野崎隆義家の嘆願により、大きい梨の木のみ姿を留め、当時を物語っている。
 野崎隆義家(野崎五郎兵衛)の田植えには、どんなに「晴天の日」であっても、二日間の田植え中には、必ず「二粒」か「三粒」の雨が降ったという。雨が降って来ると、大勢の早乙女衆が声を揃えて「あっ、またダイラバタケの神様がござった。今年も、五郎兵衛さは平穏安泰であった」と叫び合うそうだ。 

「大沢野町 下夕北部のあゆみ」