第21話 布尻の長者屋敷 富山市布尻
布尻南、下夕平という所に、「ふるみやあと」と よばれる 所がある。西孫左衛門という者の やしきあとで、おくまんちょうじゃで あったらしい。
しゅういに ほりを めぐらし、東の方に お宮をつくり、東ざしきの 戸を 開ければ、いながらにして朝の お日さまとともに、お宮もうでが できるしくみに なっていたという。
今の 布尻神社は、この長者の やしきで あったのを、安政年間にげんざいちに うつしたものだと いうことである。
この長者の家に、ふつうの馬と、目の色のちがった「ジョウン馬」という馬も 五、六頭 かってあったという。今なお、町長との さかいの谷を、「ジョウメン谷」といい、ほりの あったところを、「ほりの田」と いっている。
この やしきあとに ついては、こんな話も のこっている。
布尻の とうふ屋で、しかも、何代目かの あととりむすこに 文右衛門と いうものがいた。身分のよい家の このむすこは、はたらくことが 大きらいで、朝から 酒ばかり 飲んでいた。
家の人は、「これでは どうにも ならんぬ」と こまりはて、田んぼを 見回る 仕事につかせ、ここに家をたてて、よめさんを 見つけてけっこんさせた。
しかし、文右衛門は、いっこうにはたらこうとせず、目の回るようにいそがしい五月のころにも、よめさんには おめかしをさせ、自分は酒を飲んで、歌え おどれの 生活を 続けていた。
この文右衛門が、ある夜のこと、たいへん よっぱらって うたたねを したそうだ。その時の ゆめまくらに、ぼんやりと あらわれたのが 白衣白髪の老人。
その老人が、「千杯のうるしと、千両の小判と、この世で 一番の 黄金の鳥が、朝日と夕日に かがやく所、三つ葉うつぎの 下にあるぞ。お前一人で来て さがすがよい。けっして 人には言うな」と つげた。
文右衛門は、パッと はねおきて、「これだ。長者やしきの ひほうと つたえられているのは…」とばかり、くわを つかんで 飛び出した。しかし、夜明けには、まだ 早い 寅の刻(とらのこく 今の午前四時ごろ)。あたりは まだ まっくらだった。
文右衛門は、根が おくびょう者だから、引き返して、よめさんを つれて 行くことにした。そして、このあたりだろうと 思われる所へやって来た。
「あったぞ。三つ葉ウツギが あったぞ!」 一かぶの 三つ葉ウツギを見つけた 文右衛門と よめさんは、くるったように 土を ほり返しては すすみ、 ほり返しては すすんだ。そして、ようやくにして ほりあてたのは、えたいの 知れないほどの 大きな 岩ばんだった。
文右衛門と よめさんは、ついにせいも こんも つきはてて、そこへ へたばって しまった。そして、空を見上げると、すっかり 晴れ上がった 東の空から、すがすがしい太陽が のぼっていたのだった。
文右衛門は、その時に なって やっと気づいたのだ。それは、「お前一人で…」との おつげに、よめさんを つれてきた ことだった。
そして、文右衛門は、もう一つ、大事なことに 気づいたのだ。それは、「おれも、はたらけるのだ」と いうことであった。文右衛門は、「これからは しんけんに はたらこう」と けっしんし、その足で、田んぼの あぜ道作りに 向かった。
朝めし前に、いっしんふらんに ふり上げる くわのかるさと 心地よさ。そして、文右衛門が 生まれて はじめて あじわったのが、自分の あせの あじだった。
その時である。くわさきに ガサッと 手ごたえが あった。と、同時に、バタバタバタと 金色をした わけの わからない鳥が 神通川をわたって、楡原村の 竹やぶの方へ飛んでいった。そして、その鳥が いたあとには、いつ作られたのか 分からない古いつぼがあったそうだ。
民話出典「大沢野町誌」からの再話