第29話 雨乞い滝 富山市楡原
数年前までの飛騨街道は、荷車、荷馬車の行列、商いする人、旅する人の二人一人また三人というように、繁華とはいえないが、山村の道路にしては本当に珍しい人通りでしたが、飛越鉄道の開通は、この街路を今はもう淋しいものにしてしまいました。道の両側にまばらに建ち並ぶ楡原の家並みを離れて、上へ約二百メートル行くと、その左手に赤松の老樹が鬱蒼と生い茂って、さびれ行く飛騨街道を一層淋しくさせています。
その松林の横を谷川に沿って、薄気味悪い細道を押し分けて行くと、この谷川が神通川に落ちるところが、高さ五十メートルもあろうと思われる大きな滝になっていて、雑木が薄暗いほど茂っている中に、ものすごい音を立てている滝の近くに行くと、急に体が寒くなります。この滝を雨乞滝といっています。
雨乞滝の名の起こりは、ちょうど今から五百数十年前のある夏のことです。来る日も来る日も暑い炎天ばかり、谷川の水は枯れる、田畑は乾する、作物は萎える。遂に飲料水までも欠乏するような状態になってしまいました。村人たちは、ただ「これでは駄目だ、これでは駄目だ」と、天をうらんでばかりで、どうする事もできません。
そこで、これを見かねた上行寺の住職大徳和尚が考えに考えあげた末、村の滝に雨乞いする外にないと思い立ち、この滝に八大龍王を祈り祈祷を始められたのでした。祈祷を始めるや否や、不思議にも晴れに晴れきっていた空は急に曇って一時に大雨が降り出しました。そして、それが二日も三日も降り続いたので、乾ききっていた田畑は腹いっぱいに水を吸い、萎えちぢんでいた作物は生き生きと茂り、今まで望みを失い、不安な日を送っていた人々は大変喜びました。雨乞滝の名はこの時から言い伝えられたのだそうです。
それから後、雨の降らない年があれば、和尚さんが一週間お寺で雨乞いをして、それで降らなければ八日目から滝の側に小屋を建て、そこで祈祷して、二十一日目までどうしても降らなければ、和尚さんが真心をこめて祈祷していないためだということで、寺を追い出すことに決まっていました。
二十四代目の天悟院という和尚さんが、ある年雨乞いをし始めたが、一週間経っても二週間経っても少しも雨が降りそうでないばかりか、かえってお天気がよくなるので、村の人々が大変怒って、追い出す用意をして待っていますと、二十一日目の夕方、ゴーっと大雨が降ってきたので、その和尚さんが漸く助かったという話もあります。しかし、今ではそんな決まりはありません。
昔はこの雨乞滝の中ごろに大きな穴があいていて、その穴が神通川まで通じ、龍が穴の中から川へ、川から滝へ、行き来していたという事ですが、大地震のため今ではその穴が砂で埋まって、跡が大きな溝になっています。
けれども、龍は今も尚その所に住んでいて、雨乞い祭りには、その龍が天の雲を呼んで雨を降らせるといわれています。
毎年七月一日に、雨乞滝の横の八大龍王を祀ってある御堂の前で、雨の降る年はお礼として、又、雨の降らない年は雨乞いとして、和尚さんの読経によって盛大な祭りが行われます。
「細入歴史調査同好会 村の今昔