第30話   勘蔵地蔵     富山市芦生



 牛ケ増と芦生の境、俗にいう境松に「南無阿弥陀仏」と書いた地蔵がある。これは、昔、東猪谷村善造の弟に勘造という者がおり、下夕道の村々で、食わして貰うだけで一日働くという
日稼や、貰い物等をして生活していた。
 ある年の師走の夕刻、笹津の村へ用足しに行った。牛ケ増村八右衛門方で夕食をご馳走になって、「早く帰らんと山犬が出るぞ」との声を後にして出た。
 同じ頃、布尻村肝煎善右衛門は、呼び出しがあって、天正寺村の金山十村へと、この街道を急いでいた。境松の角を曲ってヒョイと出ると、前の土橋の上におよそ十数匹もおろうか、狼の群が「グオーグオツ」とうごめいていた。
善右衛門はギョッとしたが、ここで怖れていてはお上の御用が勤まらぬと、「やいっ 獣物共、今日の善右衛門は、いつもの善右衛門と訳が違う。お上の御用で急ぎの道じゃ。邪魔立てすると用捨はせぬぞっ」と、大音声を発すると、狼共は気押されて、何か黒い物を咥えて橋の下に引きずり込んだ。翌朝、村人たちが見つけた頃には、見るも哀れな勘造の姿であったという。
追悼のため、塔を刻んで建てたのが翌年の正月二十七日のことである。今、この塔が三つに割れているのは、ある時の洪水で流失したのだが、神岡軌道建設の際、石工が河原で石垣石を採取中、あまり大きいので三つに割って、裏返して見た所、仏塔であったのに驚き、現地に安置したものだという。      
           
「大沢野町誌」