第35話  母なる川  船倉用水         富山市船峅



 春、雪が解け始めると、田んぼのまわりに、透き透きのきれいな水が流れてきます。この用水が、田んぼ一面に入ってくると、田植えが始まります。
 苗は日増しに大きくなって、やがてお米になります。用水はお米を育ててくれる母なのです。
 さて、この用水は、どこから、どのように流れて来るのでしょう。そして、用水にまつわる悲しいお話がいくつもありました。
 用水のふるさとは、険しい山を次から次へと越えた川の上流にあります。
 そこから水路を開くためには、たくさんの岩石を割っていかなればなりませんでした。しかも、むかしは、機械もなく、人の力しかなかったので、命がけの仕事でした。岩石を割るのに、山から草木を切り集め、それを岩の上にかぶせて焼き、山の冷たい水をぶっかけると、岩がもろくなるという方法がとられました。
 このように苦労を重ねてつくられた船倉用水は、毎年、春には船峅の各地から、人々が集まって用水のごみざらいや、いたんだ所を直す作業が行われています。
 明治四十四年五月の終わりごろに、片路地内で用水路が八メートルこわれたとの知らせがあって、ただちに出動の命令が出ました。
 さっそく船峅の各地区から、六名の人たちが、土俵やむしろを背負って、真夜中の午前零時に直坂のお宮さんの前に集まりました。
 「ごくろうさん」
 「おー。あんたもか」
 「さー、出発―」
 たがいにいたわりの言葉を掛け合いながら、こわれた用水路へ急がれたのでした。
 ようやく現場に着いたころには、空がしらじらと明るくなっていました。
 眠らず、休まず、作業を続け、かついできた土俵やむしろを三重四重に打ち込んで、水路のようすを見ながらやっていたその時、
 「ゴー、ゴー、ドドドー」と川上から地ひびきを立てながら、雪どけの水があふれ込んで来たのです。
 突然のことなので、どうすることもできません。六人はあっという間に土俵といっしょに谷川へまっさかさまに落ちていき、とうとう亡くなってしまいました。尊い命の犠牲者が出たのです。
 長い歴史をもつ船峅には、命をかけて働かれた人々がいたことを忘れてはいけないと思います。
                       
話者 高道笑子・西川久子
           
「船峅のむかしがたり」