第39話  七人衆の墓         富山市猪谷



 今から四百二十年前、永禄年間の頃、武田信玄と上杉謙信の争いがここ、細入谷にも広がりました。落武者が手きずをうけ、ここまで逃れてきましたが、とうとう七人ともここ猪谷で死んでしまったので、この墓がたてられたのだと言い伝えられています。何という武士かわかりませんが、「白屋筑前守秋貞」と、これにしたがう武士ではないかと言われています。
 このお墓は、七、八年前まで、猪谷の国道線、池内さんの近くに小さなお墓が七つならんでいました。しかし、国道拡張のため、どこか(お寺へ)に移されたそうですが、不明です。
          
猪谷小学校長 丸山 博
    
館報ほそいり 昭和四八年九月五日号