第40話 飛騨の武将 塩屋秋貞 富山市猪谷
織田信長、武田信玄、上杉謙信が戦っていた戦国時代の頃のお話です。飛騨に塩屋秋貞という武将がいました。秋貞は、もとは商人でしたが、だんだんと力をつけ、武将となり、丹生川(岐阜県丹生川町町方)の尾崎城を居城としていました。
その頃、武田信玄は、上洛を考え、飛騨や越中を攻め始めました。武田軍の武将、飯富昌景が、秋貞のいる尾崎城を攻めてきました。秋貞は、必死に防戦しましたが、城はあっけなく攻め落とされ、秋貞は命からがら逃げのびました。飯富昌景は、さらに追い討ちをかけようとしましたが、信濃川中島で武田信玄と上杉謙信の戦いが始まり、急遽、引き返して行きました。
塩屋秋貞は、古川の蛤城が空き家になっていることを知り、その後は、ここを居城とすることにしました。ここで、塩屋秋貞は、上杉謙信の家来となり、飛騨の武将三木氏に仕えることになりました。
天正4年、上杉軍が越中に攻め入り、秋貞は、その先兵として活躍し、猿倉城を築きました。またすぐ近くの舟倉も攻め、舟倉城を築いて、ここを本拠にしました。
しかし、天下の流れは大きく変わろうとしていました。織田信長が、三河長篠の合戦で武田勝頼を破り、武田軍を滅ぼし、その後、越前に攻め入り、一向一揆をなで斬りにしました。越中では、織田対上杉という戦いが始まろうとしていました。塩屋秋貞が仕えていた三木自綱は、上洛して織田信長に謁見し、上杉と手を切り、織田と同盟を結びました。困ったのは、秋貞です。上杉につくか、織田につくか。越中では、織田と上杉の戦いが始まろうとしていました。結局、塩屋秋貞は、上杉と手を切り、三木氏と共に、織田に仕えることにしました。
天正11年、塩屋秋貞は、上杉軍の越中城生城主、斉藤信利に攻め入りました。戦いは攻勢でしたが、上杉景勝の援軍が到着して劣勢となり、飛騨に退却する途中、西猪谷砂場で、鉄砲に打たれました。瀕死の重傷になった秋貞は、戸板に乗せられて運ばれて行きましたが、猪谷の塔婆坂で息を引き取りました。今も、猪谷の旧飛騨街道近くの山の中に、塩屋秋貞のお墓が残っています。
出典不明