第53話   川木と山境       富山市舟渡
 


 飛騨のおびただしい粗材はいつも、神通川を利用して送っていた。また雪解けになると出水と同時に「川木」という薪材も、地方沿岸住民には重要なものの一つであった。
 舟渡・東猪谷は加賀百万石、西猪谷は富山十万石、中山横山は飛騨天領で、三ツ搦みで面白い話も多い。
 或る時の出水時、丁度用材流送中だったので薪に拾ってもよい「じゃみ」(比較的細かい流れ木)に交じって、天領の用材も沢山流れて出た。舟渡村の百姓は各々拾いに出た。初めは用材に手を掛けなかったが、やがて一人拾い二人拾いして、先を争って手頃なものを拾い上げ、なお百万石領を笠に着て、舟を持っているのを幸いに、西猪谷十万石側で拾い上げたものも、舟の後ろに縄で縛って残らず持って来た。
 ところが天領から「古呂材(板をとるために良質の大きいものを四尺から七尺に切ったもの)用材を拾いおる者は、速やかに届け出るべし、私に隠し持つ者あれば重罪に処する」ということになった。慌てて裏の山に埋めたが、天領では余り届け出が少ないので、巡視に来た。
 西猪谷では仇討ちとばかり「舟渡で沢山隠した」と告げた。さア大変、役人が舟渡村へやって来た。真直ぐ裏山へ行って「これは誰が隠した」誰も答える者がいない。中の老人が一人進み出て「お役人様、これは東猪谷の持ち山でございまして、手前共は一向に存じませぬ」「然と左様か」「はい間違いござりませぬ」一同の者やっと愁眉を開いた。
 役人は東猪谷に乗り込み、調べた揚句、早速猪谷から人夫を連れて来て、運び出した。舟渡の人達は罪にならないで良かったと内心ほくそ笑んでいた。役人は帰り際に「以後この山から南の方を東猪谷の持ち山とする、わかったか」といった。従来、谷が猪谷との境であったのが、このことがあってから、この山が境にさせられたという。
               
「大沢野町誌」