第56話 命の水 富山市小糸
弘法大師が、八二〇年ころ日本の国をめぐりあるいて、人々をおしえ、池や沼をつくって、しゃかいのためにつくされたことは、みなさんは、聞いたことがあると思います。
この弘法大師が、越中から飛騨へ、神通川にそったけわしい道をあるいて、やがて、小糸の村に入られました。
大師は、一けんの家にたちよって、 「水を、一ぱいおくれ」と、もうされました。
この家のおばあさんは、日ごろからしんせつな人でありましたので、
「これは、これは。たびのおぼうさんですか。すぐさしあげますから、しばらくおまちください。」といって、おくへ入りました。すがたはみすぼらしいが、なんとなく、仏さまのようにありがたいおぼうさんに見えましたので、家にくんである水ではもったいないと、手おけをもって、出かけました。
ようやく、もって来た水を、大師はうまそうに飲みながら、
「たいへん時間がかかったようだが、この水はどこからくんでくるのか」と、たずねました。
おばあさんは、
「はい、はい。おそくなりまして、あいすみませんでした。
じつは、六ちょう(六百メートル)ほどのおくの谷間までまいりませんと、おいしい水がわいておりません。それで、ずいぶんおそくなりました。おゆるしください。」と、こたえました。
大師は、たいそうよろこばれ、
「村人のなんぎを、すくうことになろうから」といって、ひしゃくにのこった水を、その家のにわにそそぎながら、なにかをとなえられました。
すると、ふしぎなことに、しみずがこんこんとわき出てまいりました。
この泉は、今でも、「命の水」とよばれ、小糸村でただ一つの泉として、たいせつにつかわれています。
民話出典「大沢野ものがたり」