第58話 地名の由来 富山市下夕
東猪谷
細入村の猪谷と同地名が東西にあるので、区別する意味から東猪谷と呼びならわされたものである。
舟渡
神通川を挟んで、猪谷との交通連絡上、舟の渡し場があったことから来たものであるという.
薄波
長棟川の水が薄く山肌を洗うていたところから出たものといわれる。
牛ヶ増
飛騨入りの諸物資を運搬するのに、この辺りより険しくなるので、牛を増して運搬したところより起こる。
笹津・今生津・寺津・舟津と、津の地名が多い。津とは舟着場を意味し、往時陸運不便の折、水量豊かであったろう神通川が、貨物輸送の最大至便の交通路であったことを古老が証している。
下夕地区の側に津が多いところからみても、当時の世相の様子が偲ばれる。寺津には、古い家の呼び名「たや」の呼称からも、由緒ある家があったと思われるが、火災等による資料の散逸のために確証はない。
吉野部落は明治二十七年・三十年・三十三年の前後三回の部落全焼という猛火に見舞われ、これがため文献も見当たらず、その起因沿革は、村人の口伝によってしか知ることができない。吉野は天正年間鉱脈が発見されたことにより、一躍世に知られるようになった。この鉱脈発見の魅力により、葦の生え茂ったこの土地に因んで「葦野(吉野)」と名付けたものといわれている。
「大沢野町誌」