第5話   畠山重忠伝説  「サイの角」                   富山市楡原

 建久三年(一一九二)源頼朝は、鎌倉に幕府を開いて、天下の政治をとっていました。
 ある年のことです。将軍頼朝が、母のように慕っていた方が、病気になりました。 
 医者だの、薬だのと大騒ぎをしましたが、病は重くなるばかりでした。ほとほと困った頼朝は、日本で名の知られた、占い師をよんで、みてもらいました。
 


「サイの角があれば、すぐにも治りますが」と、いうのが、占い師の言葉でした。しかし、暑い南の国に住むというサイが、この日本のどこにいるというのでしょう。
 頼朝は、家来を集めて、みんなの意見を聞くことにしました。この時、畠山重忠という大将が進み出て、「越中の国に流れる神通川を逆上ると、サイと呼ばれる、不思議なものが、住んでいると聞いています。さっそく、これを退治して、その角を、持参しましょう」と、申しました。
 頼朝の許しをうけた重忠は、神通川の奥、東猪谷の山奥深く分け入り、草を枕に、険しい山の中を、サイを探して、苦しい毎日を過ごしました。
 今日もまた、疲れた足を引きずって、とある谷あいに踏み込みますと、一人の老人が現れ、「この谷に住むサイは、今まで、人に害を加えたことはありません。このようなものを打ち殺すのは、将軍様のご命令でも、むごいことだと思います。どうか思いとどまり、命を助けてやってください」と、悲し気に語りました。
 重忠は、心のうちに、「人かげもないこんな山奥に、老人が一人住んでいるのは、不思議だ。この老人の正体は、サイに間違いない」と、思いました。
 重忠は、自分の心の内を気づかれては困りますので、うわべだけは、うなずいてみせ、帰るふりをしながら、こっそりと、この老人の後をつけて行きました。
 老人は、はっとする間もなく、目の前の湖に、身をひるがえして飛び込みました。老人は、みるみるサイの正体を現して、底深くしずんで行きます。重忠は、「しめた!」と喜び、急いで着物を、脱ぎ捨てました。重忠は、一刀を口にくわえて、ザブンとばかり、サイの後を追いました。
 


 水の底では、ランランと目を光らせて、サイが待ち受けていました。しかし、東国一といわれた豪者、重忠は、少しも恐れません。たちまち、すさまじい争いが、巻き起こりました。
 けれども、さすがのサイも、重忠の力に勝てません。やがて、美しい湖をまっ赤に染めて、サイの大きな体が、水の上に浮かびました。重忠は、サイの角を切りとると、さっそく鎌倉に向かい、サイの角を届けました。
 しかし、せっかく届けられたサイの角も、さっぱり効き目があらわれず、病人の病いは、一層悪くなり、とうとう亡くなってしまいました。
 頼朝は、疑い深い人でしたので、重忠がニセのものを持って来たのだと思い、サイの角を重忠につきかえしました。それでも、頼朝は、腹の虫が治まらなかったのでしょう。急に、討っ手を向けて、武蔵の国の、二股川というところで、忠義な重忠を、攻め殺してしまいました。
 重忠の子、六郎は、うちよせる敵の目をくぐって、越中の国へ、のがれて来ました。
 六郎は、父の遺骨を楡原に葬り、父の言葉を守り、代々伝わるカブトと、父がサイの角に刻んだ「三帰妙王」という仏様をもって、楡原にお寺を建て、父の霊と、サイの後生を弔いました。
 これが法雲寺といわれ、その後このお寺は、上行寺と名前をかえました。
 

  
民話出典「猪谷むかしばなし」