第62話 馬鞍谷の大蛇の伝説 富山市坂本
昔、とんと昔、大きな川の近くに、広い広い台地があったと。
台地は、いくつかの山をとりまくように広がっていたと。
台地には、古い武士のやかたや百姓屋が点々とあったと。
台地に行く時は、険しい谷や坂を越さねばならなかったと。
昼でも暗いでこぼこした道は、細くて、くねくねと曲がって、しかも赤土でよくすべってころんだといね。
夜は、きつねやたぬきが出て来て、よーくばかされたもんだと。
美女になったり、馬のふんがまんじゅうに化けたり、明け方まで同じ道を往ったり来たり、またきつね火にもおうたといね。
さて、台地にある武士のやかたでは、へいぜいは、田んぼや畑をたがやして、平和に暮らしていたと。この家には、先祖代々から伝わった馬の鞍があったと。何よりも、大切に床の間に飾ってあったと。
ところが、同じ台地に勢力の強い豪族が住んでいたと。
この豪族は、前々から宝物の馬の鞍がほしいと思っていたと。
ある日、とっぷりくれた闇の晩に大ぜいの手下を連れて、この武士のやかたへ乗り込んで行ったと。
一方、何も知らずにぐっすりねこんだこの武士のやかたの人たちは、だれ一人、馬の鞍が盗まれたことに気づく者はいなかったと。
まんまと自分のものにした馬の鞍を、豪族たちは近くにある大きな池に投げ込んだといね。
すると、池の水がにわかに吹き出し、それは、天にもとどくような勢いで上がったと。
その時、一ぴきの大蛇がとびはねて、やがて、うねうねと赤い舌をペロペロ出しながら、山の木や草を押し分けて進んで行ったと。大蛇のあとをぼうように、池からたくさんの水が流れていき、やがて大きな川となったといね。
これを見ていた台地の人たちは、「こんなに水があれば、お米がたくさんとれるぞ。大蛇は神様のお使いかもしれない。ありがたや、ありがたや」
と、みんな両手をあわせて拝み続けたと。
また、この険しい谷を人々は馬鞍谷と呼ぶようになったと。
参考資料 「大沢野町ガイド」 「船峅のむかしがたり」