第73話 姉倉姫の命と舟倉山       富山市船峅

 舟倉に鎮座する姉倉姫神社にまつわる物語である。
 昔、上新川郡の東南にある舟倉山に、姉倉姫の命という女神が住んでいた。この女神の夫は伊須流伎比古といって、越中と能登の国境にある補益山に住んでいて、二人の神は仲むつまじく心を合わせて国内の政治にあたっていた。ところが、隣の能登国の杣木山にいた能登姫という心のよくない女神は、越中の領地がほしくなり、男神の比古をうまくだまそうとした。この事を知った姉倉姫は、使者を出して改心させようとしたのであるが、意地悪な能登姫は全くそれを聞きいれず、ますます伊須流伎比古に接近したのだった。



 このような能登姫の態度に怒った姉倉姫は国中の兵を集めて能登姫征伐の軍をおこし、それに対抗して能登姫もまた防戦の構えをみせた。この両者の戦いは、氷見市宇波山にはじまり、敵味方入り乱れた争いに発展し、なかなか収拾がつかなかった。こんなむごい有様をみて、大変心配したのは天地の神々であった。
 まもなく神々は使者を高天原におくり、高皇産霊神にこのことを注進したところ、尊は大変驚き、出雲の大国主命に越の争いをしずめるよう命ずることになった。大国主命は出雲をたって越路に入り、越の神々といろいろ軍議をなし、姉倉姫の立て籠もる舟倉山の城を攻めた。
 しかし、舟倉山にはまわり七里(二十八キロメートル)もある大きな池があって、とても攻め登れそうにもなかった。そこで山を掘って池水を切り開くと、水はせきをきって大急流となり、あっという間に流れ出てしまった。これにびっくりした姉倉姫は、柿梭の宮に逃げのびることになった。それも大国主命の軍に襲われ、とうとう生け捕られてしまった。そして姫は呉羽山の西麓の小竹野に流され、その地で布を織って貢物となし、また越中の女たちに機織りの仕事を教えることになった。
 いっぽう、能登姫と伊須流伎比古も大国主命の攻撃に必死に抵抗したけれども、まもなく捕えられ、海辺で殺されてしまった。大国主命によって越にふたたびあかるさがとりもどされたこの姉倉姫と伊須流伎比古の話は、越中の初めを物語る神々として、今も語り伝えられている。
                                    
「越中伝説集」