第75話 姉倉姫 富山市船峅
むかしむかし、みどりの美しい舟倉山に姉倉姫という女神さまがいました。その姫にはいいかわした補益山の伊須流伎比古命という神さまがあって、近く結婚する約束でした。ところが、能登の柚木山に能登姫という心のよくない女神がいて、たえず人のじゃまになるようなことばかりして、喜んでいたのでした。
「伊須流伎比古命が姉倉姫といっしょになれば、それだけ強い国がとなりにできることになり、わたしの領地がおびやかされることになる。これは、すてておけぬ一大事だ。何かよい考えはないものか」と、いっしょうけんめいに考えたすえ、能登姫はありったけの美しい着物をえらんで身をかざりたて、山をおり、補益山の伊須流伎比古命の御殿へと急ぎました。
能登姫は胸の中で、
「姉倉姫と伊須流伎比古命が結婚する前に、伊須流伎比古命をだまして、わたしがお嫁さんになってやろう」と考えていたのです。
能登姫はそれから何回となく伊須流伎比古命の御殿へ出かけ、美しくて、やさしい親切な女神のようにふるまい、いろいろと伊須流伎比古命の世話をしたのです。
すると、はじめは心をゆるさなかった伊須流伎比古命も、しだいに能登姫にかたむいていきました。とうとう伊須流伎比古命は、姉倉姫のことをすっかりわすれてしまい、朝から能登姫と、遊んでばかりいるようになってしまいました。
舟倉山では、
「伊須流伎比古命が能登姫と親しくていらっしゃるそうな。姉倉姫をさしおいて、ご夫婦になられるそうな」といううわさが広まり、姉倉姫の耳にも聞こえてきました。
姉倉姫は、伊須流伎比古命を心から信じていました。けれども、毎日のように二人のうわさが伝わってきますので、もうこれ以上たえられなくなってきたのでした。
そこで、ある日、伊須流伎比古命のほんとうの心を確かめるために、ヤマバトを使いに出しました。ヤマバトは、日ごろから姉倉姫を心からなぐさめてくれる友だちでした。
ヤマバトは羽音高く、伊須流伎比古命の御殿へ姉倉姫の真心をこめた手紙を持って、飛んで行きましたが、思いもかけないことに、三時間ばかりたったころ、血だらけになって帰って来たのでした。
「これ、ヤマバトよ、どうしたのです。その血は」
姫が走りよってヤマバトを抱き上げますと、ヤマバトは苦しい息の下から、
「姉倉姫様、二人のうわさがほんとうであることを、この目ではっきり見てまいりました。私が、姫さまからの手紙を差し出しますと、伊須流伎比古命さまは、ろくに見もしないで、能登姫の前でいきなり引きさいてしまい、あげくのはてに、私は矢をかけられて追い払われてしまったのです。伊須流伎比古命さまは、お心がかわりました。まったく残念でございます」
ヤマバトはそう言い終わると、がっくり首をたれてしまいました。
「これ、ヤマバトよ。死んではいけない」
と、姫はヤマバトを抱きかかえて、励ましましたが、ヤマバトのからだはだんだんと冷えていきました。
それからの姉倉姫は、御殿に引きこもって、さめざめと泣いていましたが、やがて、あの二人がにくくてたまらなくなり、とうとう爆発してしまいました。
舟倉山と補益山との間に、たちまちはげしい戦争が始まりました。
どちらもはげしく石つぶてを投げて攻めあいましたから、やがて山にあった石という石は一かけらもなくなってしまいました。
そのうちに、この戦争のようすを見ていたとなりの布倉山の布倉姫が姉倉姫に深く同情して、味方になり布倉山の鉄を使って勇ましく補益山を攻めました。
越中(富山県)の天地はひっくりかえるようなさわぎとなりました。家も田も畑もめちゃくちゃになってしまいました。
そのころ、この宇宙をつくった高御産日神が、御殿を出て、ぶらぶらと雲の池のほとりを散歩していました。すると、どこからか聞きなれない音が聞こえますので、ふと池の中を見ると、気味の悪い煙が底の方から立ち上っていました。
高御産日神がじっと見ていると、はるか越中で、ものすごい戦争が巻き起こっていることがわかり、急いで出雲の国(島根県)をつくった大国主命に、ただちに戦争を中止するように使いを命じました。
そこで、大国主命は二通の手紙を書いて、両方とも今すぐ戦争をやめて仲直りするようにすすめました。
しかし、戦争はちょっとやそっとのことでは、やみそうにもありませんでした。
おだやかな大国主命もとうとう決心し、「からむし」(アサの一種)で、旗を五本作り、五つの色に染めあげて、立山の手力王比古命ら五人の神さまを先頭に、まず姉倉姫の舟倉山へ進みました。
姉倉姫は、五色の旗を見ると、急いで軍を舟倉山に引きました。姉倉姫は日ごろから尊敬していた大国主命の軍勢とすぐわかり、いままで自分のやってきた戦いのことを悔やんだのです。
姉倉姫は山の上にあった池に自分の姿をうつしてみました。すると、血やどろによごれた自分の姿がうつっていたのでびっくりしてしまいました。
やさしい姫の胸は、後悔でいっぱいになりました。
「ああ、これがわが姿か。心がかわれば姿までこんなにみにくくなるものか。いったいどうしたらよいのだろうか」
と、姉倉姫は身をふるわしてなげきました。
大国主命の軍勢は、舟倉山のふもとに着きました。そして、オキコヒメを山に登らせ、ようすをさぐらせました。
「姉倉姫は、山の上の池に身をひそめています。きっと水を利用して攻めかかる計画と思われます。ですから、池の水をなくせば、きっと降参すると思いますが」と、報告しました。大国主命は、すぐ釜生彦に、山に横穴をくりぬくように命じました。
舟倉山の上の池はぐんぐん減っていきました。姉倉姫は、
「わたしが、もともといけなかったのだから、いっそここで降参してしまおう」と、大きなため息をついて思いました。
ところが、味方になる人たちが、下夕や八尾や呉羽の村から、姉倉姫の一大事とばかり、ぞくぞくと舟倉山に集まって来て、大国主命の軍と戦いました。
しかし、大国主命の軍勢には勝てませんでした。姉倉姫は、柿梭の宮(上市町)まで逃げた時、もうこれまでと地面に泣き伏してしまいました。
柿梭の宮で降参した姉倉姫は、罰として呉羽の小竹野(八カ山・富山市)の山すそに流されて、機織りを広めるように命じられました。
姉倉姫といっしょになって戦った布倉姫に対しても、大国主命は、
「あなたの気持ちはわからぬでもないが、同じように姉倉姫を助けるのなら、機織りの仕事を助けてあげなさい」と命じました。
続いて大国主命は、補益山の伊須流伎比古命と能登姫を攻めて、とうとう亡ぼしてしまいました。
まもなく姉倉姫は、許されて舟倉山に帰されましたが、ここでも熱心に機織りを広めたということです。
文 吉田律子
「たずねあるいた民話 大沢野」