船峅山帝龍寺報
ふなくらまんだら

第 173 号
平成30年5月発行
富山県富山市舟倉2334  高野山真言宗 船峅山 帝龍寺

今月の行事

【5月の行事】
 (帝龍寺の行事はありません)
 19日(日)第86回新西國三十三所観世音御開帳
     特別法要(13:00富山市民プラザ)
【6月の行事】
 (帝龍寺の行事はありません)
  9日(土)雨乞岩祭礼14:00寺家公民館出発

お知らせ

◆ 高野山真言宗フリーマガジン「そらうみ」創刊号を設置しました。仏教や真言宗にまつわる話や季節の話題など、読みやすい内容になっています。案内が届いてからすぐに申し込んだのですが、全国の寺院から希望が殺到して、すぐに予定数を突破したそうです。幸いにも当山は増刷分で対応していただきましたが、手に入らない寺院もあったように聞いています。当山にお参りの際は、ぜひ手にとってお読みください。
◆ 5月19日(土)に富山市民プラザアンサンブルホールにおいて第86回新西國三十三所観世音御開帳特別法要が開催されます。今回は天台宗僧侶で落語家の露の団姫(つゆのまるこ)さんの講演と三十三観音の御砂踏み巡堂を行います。
◆ 10月の四国参拝後に高野山へ結願報告の参拝を行います。その際に高野山で写経奉納式を行いますので、檀信徒の皆様のご協力をお願いします。なお、一巻に付き1000円の奉納料が必要です。

ひとこと法話

◆心ばかり◆
 最近はのし袋に書く言葉も変わって、「心ばかり」などくだけた表現が見られるようになったようです。「心ばかり」とは、人に金品を贈る際に謙遜の意味を込めて使う言葉ですね。「ばかり」は物事を限定したり程度を示したりする副助詞ですから、心の段階で止まっていてそれ以上ではないということです。
 心(意)があれば必ず言葉(口)に出ますし、体(身)で表現することにつながります。例えば、怒りの感情があれば口から怒りの言葉が発せられ暴力へとつながりますし、感謝すれば「ありがとう」という言葉とともに頭を下げる動作が生まれます。仏教では三業相応といって、身口意の三者の釣り合いを取ることが大切とされています。人間はこの三者によって、悪いことも善いことも行います。悪いことは口や身が発する前の意の段階で止めなければなりませんが、善いことは口や身で積極的に表現してほしいものです。
 実際「心ばかりですが…」と言って相手に金品を贈る時は、心ばかりでなく実行に及んでいるのです。謙遜して使うのであれば、のし袋には「寸志」や「薄謝」などと書くこともあります。謙譲は日本人の美徳ともいえますが、度が過ぎると嫌みにとられることもありますので、時と場に応じた表現に注意したいものです。

ご 意 見
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