ふ な く ら も の が た り

〜大沢野工業高等学校社会研究部編「大沢野ものがたり」より〜

「 あ ね く ら 姫 」

1 魔 薬
2 ふなくら山
3 恨みの心
4 五行の旗
5 水
6 罪と罰

1 魔 薬

 大沢野の舟倉にある姉倉比売神社、それから同じく舟倉の神明社の神様は、安根倉比売命または姉倉比売神と記されている「あねくら姫」という女神です。この神は、大沢野に生まれ、越中を舞台に活躍されました。つまり、私たちに一番関係が深く、私たちの祖先ともいう神様です。
 この女神について、池上秀雄先生が「立山千夜一夜」という本の中で大変面白く書いておいでになります。
 みどりのかげ美しい舟倉山の山奥には、いつも変わらぬ清い池と、それを取り巻いて年中色あせぬ草花が、絶えずかぐわしい風を漂わせていました。
 そこは人の近づくことのできない仙境で、女神とそのそばに仕える山の精たちだけの天地でした。女神の住居は池端の花に包まれた御殿で、女神の名はあねくら姫といいました。どの花より美しく、汚れを知らないお方でした。その姫には、年頃言い交わした補益山(石動山)のいするぎ彦という方があって、近くご夫婦になる約束でした。
 ところが、ここに能登姫という心のよくない神がいて、絶えず世の人の邪魔になるようなことばかりして喜んでいるのでした。そして、顔だけは、あねくら姫にも劣らぬ人を引きつける美しさをもっていました。
 「いするぎ彦があねくら姫と一緒になれば、それだけ強い国が隣にできることになり、私の領地が脅かされることとなろう。これは捨て置けぬ一大事だ。何とかよい考えはないものか。」と小手をつかねて考えた末
 「ああ、これはよい考えだ。」と手を打って気味悪い笑いを浮かべました。何を思いついたのでしょうか、しばらくすると能登姫はありったけの美しい着物を並べて、その中から一番立派な着物を選んで身を飾り立て、そそくさと自分の山を下りていきました。そして、補益山のいするぎ彦の住居へと急ぐのでした。能登姫は、胸の中でこうたくらんでいました。
 「あねくら姫にいするぎ彦をとられる前に、いするぎ彦をだまして、私がお嫁さんになってやろう。そうすれば領地も広がることになる。幸いあねくら姫はおとなしい女神だから、泣きながらあきらめるに違いない。これはうまい考えだこと。」
 能登姫は、こんないけないことを考えていたのです。能登姫は、それから何回となくいするぎ彦の御殿へ出かけ、美しくて優しく親切な女神のように振る舞い、いろいろといするぎ彦のお世話をしました。
 こうして、初めの内は心を許さなかったいするぎ彦も、次第に能登姫に傾いていきました。もう一息だと思った能登姫は、心を乱す魔法の薬が入った酒を持っていって、毎日のようにいするぎ彦に飲ませたので、とうとういするぎ彦はあねくら姫のことをすっかり忘れてしまい、朝から能登姫とふざけ散らして遊んでばかりいました。

2 ふなくら山

 「いするぎ彦が能登姫と親しくしていらっしゃるそうな、あねくら姫をさしおいてご夫婦になられるそうな。」といううわさが、ふなくら山まで聞こえてきました。
 「まあ、あんな魔神と?いえいえ、それは信じられません。嘘です。どうしてそんなばかげた噂を立てるのでしょう。根も葉もない噂は、放っておけば朝露がやがて朝日に消えるようになくなってしまいます。」あねくら姫は、いつもいい方へばかりものを考える方で、ご自身の美しい姿のように、心の汚れのないように気を付けていらっしゃいました。そして、いするぎ彦の真心を心から信用なさっていました。ところが、毎日毎日悪い噂が消えるどころかますますたくさんになって伝わってきますので、姫の心ももはやこれ以上耐えられなくなってきました。そこで、ある日、いするぎ彦の本当の心を確かめるために山鳩をお使いに出されました。山鳩は、日頃から姫を慰めてくれる友であり、忠実この上ない召使いでした。それが、姫の真心を込めたお手紙を持って、羽音高くいするぎ彦の御殿へ飛び立っていきました。しかし、ものの3時間もたった頃、思いもかけず血だらけになって池の水面をすれすれに帰ってきました。
 「これよ。どうしたのです。その血は!」
 姫が走り寄って抱き上げますと、山鳩は苦しい息の下から悔しくてたまらぬというようすで、歯をギリギリと鳴らしながら申しました。
 「私の心から尊敬するあねくら姫様に、最後の言葉を一番言いたくないことで報告するようになったのも、私の日頃の行いが神様の心にかなっていなかったからでしょうか。私は、まずいするぎ彦様の御殿に参りました。そして、噂が本当であることをこの目ではっきりと見て参りました。私が女神様からのお手紙を差し出しますと、いきなり矢を射掛けられてこの始末です。女神様のお手紙はろくに見もしないで、能登姫様の前で引き裂いておしまいになりました。いするぎ彦様は全くお心が変わり、ご無念に存じます。ご無念に………、ああおさらばです。もう目が見えません。では、さようなら………。」山鳩は、そう言い終わると、ガクッと首を垂れてしまいました。
 「これお待ち、死んじゃいけない!」姫は、かわいがっていた山鳩の魂を呼び返そうと焦りました。しかし、その体はいよいよ冷たくなるばかりでした。姫は、やむなく山鳩の死体を池端に埋めてやりました。姫は、ただたまらないやるせなさに気の抜けたようになって、御殿に引きこもったきり、さめざめと泣いてばかりいらっしゃいました。
姫は疑いの心をもたなければならなくなったことが、今までのご自分の清く美しい生活を汚したので、寂しくてたまらなかったのです。ふなくら山の草という草、木という木はみんなしおれて、鉛色の雲が流すのか、空からは涙のような雨がしとしとと降り出してくるのでした。

3 恨みの心

 毎日毎日泣くだけ泣いた姫の心には、今までの自分の真心をこんなにも惨めに踏みにじって、しかも顧みることもなく、日々よこしまな楽しみにふけっている男女二人の神様に、恨みの火が憎しみの炎となってムラムラと燃え上がりました。ものを愛するにも、心から情熱を傾けられる姫は、反対にものを憎くお思いになるときも、やはり夢中になって前後の見境もつかないまでになられました。
 すくっとふなくら山の頂上にお立ちになると、補益の山をお望みになり、キッと血走ったまなじりを上げて
 「いするぎ彦様のお心を奪った能登姫も憎いが、やすやすとあんな魔女にだまされるお心もあんまりだ。二人とも、息の根を止めてやらずにおくものか!」
 姫は、敢然と二神に挑戦状を発せられました。そして自分は、ふなくら山に生きとし生けるあらゆる木や草や花の妖精を従えて、補益の山を攻められました。そして、ふなくら山の岩を砕いて石つぶてとし、雨あられのように投げつけられました。
 一方、いするぎ彦と能登姫は
 「あねくら姫は、おとなしい女神だ。泣いてばかりいるだろうよ。アッハッハッ。」
 と高をくくっておりましたので、この攻撃にはすっかりあわを食ってしまわれました。そして、あわてて戦争の準備をされ、見方を四方から集められました。ふなくら山と補益山との」間には、たちまち天地を暗くするような戦さが始まりました。ふなくら山では、山中の妖精が総出で一生懸命に石つぶてを投げて攻めているうちに、山中の石という石はひとかけらもなくなってしまいました。
 「女神様、石がなくなりました。今度は何で戦いましょう。放っておけば、まもなく敵は私たちの山を乗っ取ってしまいます。」
 「弱ったことになったね。私たちは日頃戦うための準備をしていなかったからね。さて、どうしたものかしら………。」
 この様子を見ていたのは、隣の山の神様であねくら姫の友達の布倉姫でした。そして、近頃のあねくら姫に深く同情していた矢先でしたので、進んで味方にはせつけ、
 「あねくらさん。武器なら心配することはありません。私の山は山中が鉄でできているんだから、遠慮せずにお使いよ。」
 といってくれました。
 「ああ、困ったときにかけてもらう情けほど身にしみるものはありません。それでは,遠慮なくお力をお借りします。」
 あねくら姫は、布倉山の鉄を借り受けて勇ましく戦いを続けられました。今度の武器は、石などと違って、一弾一弾が全部一人ずつ敵を倒していきました。
 一方、いするぎ彦と能登姫は、これはかなわぬと能登の加夫刀山(カブト山)に住んでいたかぶと彦に助けを借りました。かぶと彦は、氷見まで出かけてきて、天から星を落として海に投げ入れ、かぶとを作ってくれました。このため、海の水はたちまち熱湯のように煮えくり返り、沸き立った上を能登姫が起こした風が吹きまくり、津波となってふなくら山と布倉山を襲いました。吹き付ける熱風と恐ろしい大波は、たちまち山々の雪を溶かしました。まず神通川が大洪水を起こし、続いて常願寺川や庄川等が暴れ出しました。しかし、あねくら姫の軍勢はなかなか優勢で、あちこちでいするぎ彦と能登姫の軍勢を破って進んでおりました。
 戦争ほど恐ろしいものはありません。越中の天地は黒雲がひょうを降らして飛び交うやら、大波がどこかしこの区別なく荒れ回るやら、鉄のつぶてが絶えずひゅうひゅうとその間を飛び回るやら、家も森も田も畠もそのためにめちゃめちゃになってしまいました。
 月も日も光を見せず、昼夜の区別の付かない日が幾月も続きました。

4 五行の旗

 この宇宙をおつくりになったタカムスビノ神(高御産日神)が、ある日御殿をお出ましになって、ぶらぶらと雲の池のほとりを散歩していらっしゃいました。その雲の池の底には、ご自分が精魂込めてお造りになった地球があるのでした。
 タカムスビノ神は、いつものように召使いの小鳥達ののどかなさえずりに耳をすまされながら池端にたたずまれますと、どこから加聞き慣れぬ嫌な音が聞こえてきますので、ふと眉をひそめられました。見れば雲の池の中程まで気味の悪い煙が底の方から立ち上がってきています。
 「おや?」タカムスビノ神は、不思議に思って、じいっと雲の底を見透かされました。すると、はるか越中の天地にものすごい戦いが巻きおこって、そこにある憎しみや心の汚れが呪いの煙となって立ち上ってくるのだということが分かりました。
 「おお、人はすべて愛し合い、神はその手本にならねばならぬのに、この騒ぎはいったいなんということだ。これは、誰かに注意させねばならぬ。」
 そうつぶやいていらっしゃるところへ、出雲の国を作った大黒様で名高いオオクニヌシノ命(大国主命)が、やっぱり散歩においでになりました。
 「これは大神様、今朝は一段とすがすがしい朝だと思っておりますのに、なんでそのように浮かぬ顔をしておいでですか。」
 「ウム、大国主よ。お前はすがすがしいなどと言っているが、足下に踏みつけている汚れが分からぬとみえる。」
 「え?わかりませんなア。何かあるのですか。私の足の下にはこれこのように美しい雲があるだけですわい。」
 「これこれ、足の裏まで見せんでもよい。そのもっと下じゃ。あれを見よ。あの煙を。そして、それはどこからくるかを知れ。下界は今や乱れに乱れている。」
 「どれどれ。ほほう、これはまた盛大にやっておりますな。あれは越中でございますね。私も、ここへ参ります前に一度行ったことがある国ですよ。ヌナカワ姫(沼河姫)に会いたいと思いましてね。………あれあれ山も川もあれではめちゃめちゃになってしまう。これは大変だ。」
 「この雲の上の神の国では、何もかも心のままにできているから何でも見える。これをクウ(空)という。形があろうがなかろうが、ずーっと見通せるのだ。ところが下界では視野が限られ、自分が見たり聞いたり行ったりする経験も限られている。だから、真理を悟ることがなかなかできない。彼らの多くは、すべてを失わねば真理を悟ることができないのだ。大国主よ、そなたはもう一度下界へ下って、彼らの目を覚ましてやってはくれまいか。」
 「はア、ではちょいとひとっ走り行ってまいりましょう。」
 「ああ、彼らももとはといえば、私の心から生まれたものだからな。頼んだよ。」
 「わかりましたとも。では。」
 というわけで、大国主命は神の国を飛び出されました。まず天上の雲から下界の雲に飛び降りて、どこかにいい足場がないかと探していらっしゃいますと、近くに雲とすれすれに高い山が背伸びしています。立山でした。
 「こりゃ、いい具合に山がある。」
 大国主命は、ひょいと立山の頂上に飛び降りられました。そこから見ると、うち続く戦争のために越中の国は一面地獄の血の池を見るように油ぎった光を照り返しています。大国主は、今まで美しい神の国ばかり見慣れていたので、そんな汚れた下界に降りることをちょっとばかり戸惑っておられました。しかし、ふと見られると、立山の中腹弥陀ヶ原あたりに数人の人影がうごめいているのが目にうつりました。命は、こんな山にいるのはどんな人たちだろうと思われ、大声で
 「ヤヤ、そこにいるのはいかなる人か名を名乗れ。わしは、天から参った大国主命である。」
 と呼びかけると、その人群は急にざわめいて、うれしそうに大国主の立っている岩の上に登ってきました。そして、命の前でかしこまり
 「私たちは、あねくら姫の乱を避けて、ここに避難している者です。」
 といって、順々に名を名乗りました。その主だった人たちは
  立山の手刀王彦(タチオウ彦)、ふなくら山の狭子姫(サコ姫)、篠山の貞治命(サダジノ命)、
  布倉山の伊勢彦(イセ彦)、鳳至山の釜生彦(カマウ彦)
 という顔ぶれでした。
 大国主の使命を聞くと、みんなぜひともお手伝いさせていただきたいと心から申しますので、命も大変喜ばれ、また力強い味方を頼もしく思われました。
 命は、まず二通の手紙をお書きになって、両軍とも仲直りをするよう勧められましたが、いったん始まった戦争は、ちょっとやそっとのことではやみそうもありません。また、両軍の代表を立山に集めて平和のための会議を開かせようともなさいましたが、これも失敗に終わりました。
 「かくなる上は、こちらでも軍備をしてこの乱を鎮め、大神様の御心に報いなければならぬ。」
 情け深い大国主命もとうとう決心され、「からむし」という麻の一種で八尺の旗を五本作られ、五つの色に別々に染め上げて五行の陣を立て、まずふなくら山へと進まれました。

5 水

 あねくら姫は、五隊の神軍が五行の旗を日に輝かせて、天地に立ちこめる黒雲をたちまちに払い分けながら来るのを見ると、さすがにハッとなさり、全妖精軍をふなくら山へ引くように命ぜられました。そして、山の上にあった池、かっては毎日のように清く美しい姿をうつしてみる心の鏡であった池に、今は血まみれな姿を再びうつされました。姫の胸は痛みました。
 「ああ、これが我が姿か。心が変われば、姿までなんと醜く変わるものか。我が心を知る池を、こんなに恐ろしいと思って見たことがあろうか。ああ、私はどうすればいいのでしょう。私の池よ、美しい池よ、私を許して下さい。」
 あねくら姫は、身を震わせて嘆いているうちに、今までの心のいらだちが消えていき、元の清い心に還っていくのを覚えました。今までの争いが悪い夢のようでもあり、また今も続いている戦争のことを思うと、思わずうろたえもなさるのでした。姫は迷われました。
 「本当に、どうしたらいいのでしょう。」
 その時です。池の水面が波打って、その波頭から忽然と一人の美しい女神が現れました。水の精です。彼女は陽炎のように水面に立って、にっこりえくぼを見せながらやさしく姫を差し招くのです。
 「いらっしゃい。何をためらっているのです。あなたは疲れています。あなたはもう悪魔の心を捨てました。戦う心もなくなっています。けれども、世の中はなかなかあなたを許してくれないでしょう。いらっしゃい、私の立っているところへ。ここは島になっているのです。あなたを攻める者が間もなくここへ来ましたら、私があって話をつけてあげましょう。それまで、私のところで休んでいらっしゃい。」
 「はい………。」
 「遠慮は要りません。何もいまさら分け隔てする間柄ではないじゃありませんか。ホ、ホ、ホ………、いつもはいたずら者の妖精たちも、珍しくかしこまっているのね。どうしたの、皆さんも一緒にいらっしゃい。」
 水の精は、水面を歩いてきて姫の手を取りました。
 「さあ、立ちなさい。さあ、妖精の皆さんも。私の住まいは、とても広くて案外立派なんですよ。」
 「すみません。」「すみません。」
 姫を先に立てて、妖精たちは口々にお礼を言いながら水の精の住居へ隠れていきました。まだ青い木の葉がはらはらと夏の風に舞い落ちて、水面に浮かびました。
 その頃、大国主命の五将五隊は、ふなくら山の裾に着いていました。命は狭子姫を山の登らせて様子を見させますと
 「あねくら姫様は、山の上の池に立てこもられ、あたりもしんとして物音一つありません。」
 と報告しました。
 「そうか、それは不思議だ。」あねくら姫の考えの深いことは天上の神々の口にも上るくらいだ。どんな計略があるかも知れぬ、これはうかつに山へは登れないぞ。」
 「さればでございます。」
 と手刀王彦(タチオウ彦)が意見を出しました。
 「うん、よい知恵があるか。」
 「はい、私の考えでは、敵は山上の池に身を潜めているのですから、きっと水を利用して攻め掛かる計略と思われます。ですから、池の水をなくすれば、きっと降参すると思いますが。」
 「おいおい、水は自然の天険なんだよ。どうして、なくすることができるのだ。」
 「はあ、山に横穴をくりぬいて、水を干してしまうのです。」
 「山をくりぬく?なるほど、いささか時間がかかるがそうするほかはないようだ。早速仕事に取りかかろう。」
 「そのことでしたら………」
 と今度は釜生彦(カマウ彦)が進み出ました。
 「私にその仕事をやらせて下さい。」
 「それはまたなぜか。」
 「はい、私はこの地方の風の神と雨の神の親戚でございます。だから、彼らを呼んでやらせたら、あっという間に成し遂げてくれるだろうと思うのですが。」
 「なに?風の神と雨の神が親戚だと申すのか。いや越中というところはなんと面白いところだ。よし、この役は釜生彦に一任した。ぬかりなくやってくれよ。」
 「はい、ありがたい幸せでございます。」
 釜生彦がすくっと立ち上がると、天地に合図をしました。すると、空一面に散らばっていた雲がたちまち頭の上に集まって、アレヨと驚くうちにその雲の中から二人の大入道が躍り出ました。一人は、水瓶を持って、頭からぐっしょりと濡れたままいつもにこにこしている男で、もう一人は、ものをいうたびにプウプウ鼻を鳴らしていました。二人とも、釜生彦を見おろして、ペコペコ頭を下げていました。
 「これは釜生彦様、ずいぶんお久しい。今日のお呼びは、何か私どもにご用でもございましたか。」
 釜生彦は、喜んで二人を迎えると、上を見上げて大声でガンガン言いました。
 「ここにいらっしゃる大国主命様の仰せで、この山のあねくら姫をせめている。ところが姫様は池に隠れて待ち伏せしておいでなんだ。そこで、君たちを呼んだのは他でもない。実は、この山に横穴をくりぬいて、水を底の方から抜こうという計略なんだ。そこで思いついたのが君たちだ。君たちなら、この仕事を引き受けてくれるだろう。」
 「頼みとおっしゃるからはどんな大事かと思いましたのに、何のそれしきのことでございますか。」
 二人の大入道は、早速承知して、思い思いに口に呪文を唱えました。すると、一陣の風が巻きおこり、二人の姿が消えたかと思うとき、耳をつんざく大音響とともに大きな火柱が立ち、ゆらゆらと天地が動きました。あまりのものすごさに、居合わせたものは大地に突っ伏したまま顔も上げず、後はごうごうという響きに体だけおののかしているだけでした。
 「見事、見事、大成功じゃ。」
 明るい声は、大国主命の声でした。どうやら、仕事の一部始終を見つめていらっしゃったのは、命ただ一人だけだったらしい。やがて、とうとうと水音が耳近く聞こえてきました。おそるおそる顔を上げると、いつのまみか。目の前に大きな川が、しぶきを上げて流れていました。それは、山腹にポッカリあいた大穴から出ているのです。山の上の池は次第に干されていきました。
 山上では、思いがけぬ大音響とともに、ハッとする間もなく、水の精はキャッ!と大声を上げ、みるみる身を絞られるように苦しみもだえました。苦しい息は、とぎれとぎれに
 「私の一番尊敬する優しく美しいあねくら姫様、池の底が抜かれました。私は、水と一緒に龍宮へ帰らなければなりません。でも、私は必ずこの地に帰って参ります。姫様も、これからどんなことにあわれましても、必ずこの地へ帰って下さい。姫様、水の精の力がどんなに人々を幸福にするかものを、私はやがてこの地に帰ってきてきっと示してみせます。ああ、いけません。だんだん水がなくなります。もうだめです。姫様をお守りできず残念です。姫様、姫様、やがて神通の流れをせき止めて人々に愛の光を恵む私の姿を、ふなくら山の上からご無事でご覧下さい。そして、この地を水の恵み深き大沢野としてつくりあげてみせます。姫様、さようなら。」
 水はグイグイと減っていきます。そして、水の精、今神通川の発電所で日本の人々に温かい情けを込めて電流を送っているあの水の精は、どこへともなく姿を隠してしまいました。
 あねくら姫は、せっかく取りなしてもらおうと思った水の精がこのようにして意外な災難で姿を隠したので、すっかり度を失ってしまいました。そして、干せかれた池の真ん中に立って
 「もともと私がいけなかったのだから、いっそここで降参してしまおう。」
 とため息をつきながら漏らされました。しかし、従っている妖精たちがききません
 「姫様、それはいけません。この戦いは、こちらが悪いのではありません。何のために頭を下げる必要がありましょうか。いするぎ彦の方を後回しにして、正しい私たちばかりをお攻めになる天の神様とやらも信用できません。それに、私たちは、私たちを子供のようにかわいがって下さった姫様を、負け戦の女王などにしたくありません。最後の一人まで戦わせて下さい。」
 「女神様、お願いします。」
 「あねくら姫様、お願いします。」
 妖精達ばかりではありませんでした。下タ村から上大久保のあたり、当時荒地山といわれた八尾のあたりに住む人々までが、あねくら姫様の一大事だといって続々ふなくら山に詰め寄せてきました。
 「あねくら姫様の一大事だぞ。」
 今の大山町や富山市の岩瀬浜に住む人々も次から次と集まってきました。人々は大国主命様は偉い神様だということを知っていました。また、大国主命様は自分たちの遠いご先祖、沼河姫様のお婿さんであったことも知っていました。
 しかし、人々はすっかり頭にきていましたので、口々に
 「大国主のバカヤロー。」「日本一、あねくら姫。」「やっつけろ、いするぎ。」「能登姫、帰れ!」
 などと、さまざまに叫びながらふなくら山へ集まってきました。さすがの大国主命もびっくりして、越中とは大変なところじゃのうと思っていらっしゃるすきに、布倉姫は
 「今のうちよ。さあ、私の山へ逃げましょう。」
 といって、無理やりあねくら姫の手を引いて山伝いにどんどん逃げていかれました。しかし、あねくら姫は、自分が逃げるためにかわいい妖精たちが一人また一人と大国主命の軍勢に殺されていくことを胸の痛くなるほど知っていました。また、自分が守ってやらなねばならない人々が、逆に自分を守るために倒れていくことは我慢のできない悲しみでした。姫は、走りながら歯を食いしばって、涙で顔中をぬらしていました。そして、カサキの宮(柿梭の宮=上市)まできたときに、もうとてもたまらなくなり、ワッと泣き伏してしまわれました。

6 罪と罰

 カサキの宮で降参なさいましたあねくら姫は、罰として呉羽の小竹野つまり今の八ヵ山の山裾に流されて
 「あなたは、あなた自身が乱した越中の国を元通り平和にするために、働いてもらわねばなりません。それは、あなたが小竹野で毎日機を織って布を作り、もっとよい機織りの方法がないか考え出して人々に教えることです。」
 と大国主命から申し渡しがありました。大国主命は布倉姫に対しても
 「あなたの気持ちは分からぬでもないが、同じようにあねくら姫を助けるのならば、機織りの仕事を助けてあげなさい。」
 と命ぜられました。そのあとで、あねくら姫のそばへきてそっとささやかれました。それはとても小さな声で、誰にも分かりませんでしたが、あねくら姫の顔がとたんにパッと明るく輝きました。大国主命は、そっと次のようにつぶやいたのです。
 「水の精は神通川の守り神にしましたぞ。あなたを助けた人々はみんな傷が治って元気です。死んだ妖精たちも生き返ったとのことだ。」
 やっぱり大国主命は偉い偉い神様でした。
 しかし、大国主命の仕事は、これで終わったのではありません。命は続いて補益山のいするぎ彦を攻めて、いするぎ彦と能登姫を海辺まで引きずりおろし
 「お前たち二人の罪は一番重い。」
 といって、二人の首を切り落とし、世の見せしめのためにさらしものになさいました。かぶと彦は、その罪をあがなうために、嵐の夜には必ず山上に赤い灯をともして難破船を救うようお命じになりました。嵐の夜には不思議に海をさまよう舟からこの山の赤い日が見えると、漁師たちが今でもいっています。
 あねくら姫がいろいろと準備を整えてふなくら山から呉羽の小竹野へおいでになるとき、あいにく神通川の船頭さんが留守でした。あねくら姫は
 「では、私たちでこぎましょう。私に竿をお貸しなさい。」
 と妖精たちに勧めて舟に乗りました。妖精たちは口々に
 「女神様、舟は私たちでこぎますよ。」
 といいました。
 「いえいえ、私たちはこれから先いろんな苦しみに耐えねばならぬのです。舟ぐらいはこぐことを知っていなければ、とても暮らしていくことはできません。それに、あなた方は何の罪もないのです。罪人は私一人なのです。もう女神でも女王でもないのですよ。」
 「女神様………。」
 誰もみんな、あまりにも立派な姫のけなげさに、止める言葉もありませんでした。こんな立派で美しい姫のためなら、地獄へでもどこへでも行ってやるぞと思うのでした。神通川には、長い間、女の船頭さんが舟をこぐ習慣がありましたが、それはこのことがあってからとのことです。
 小竹野にお着きになった女神様は、機織りの道具を工夫して、早速仕事にかかられました。妖精たちは田を耕して姫を助け、毎日和やかな生産の歌が、春風とともに野山に行き渡って聞こえました。
  ここは いずこぞ 小竹野よ 機を織ります 私は
  みんなきれいにするために 心とともに トンカラリ
 姫の美しい心を知る人々は、娘達に機織りを習わせようと、我も我もとよこしてきました。姫は、それらの娘達一人一人に、手を取ってお教えになりました。姫の美しい心は人々に慕われ、時々尋ねてくる布倉姫も、まだ年若いせいもあって娘達や青年達にたいそうな人気があり
 「一生ここにいようかしら。」
 などとおっしゃるくらいでした。ある日のこと、八ヵ山の麓を流れる神通川のほとりをあねくら姫が歩いていますと、白波を立てる岩の上に水の精が現れて
 「姫様、お元気ですか。ちょうど今姫様がお立ちになっている所へ大きな石をこねた土台が立って、その上を鉄で作った車が私たち水の力で走るのよ。分かりますかねエ。その次には、やっぱり水の力でできた目に見えない力で、長い長い車が走るんだって。私にもよく分からないけれど、偉い人間が生まれてきてそうなるんだと、龍王様が言っていらっしゃいました。その頃になると、水の精もずいぶん汚くなるんだって。でも、それも一時のことだよ。何しろ人間はもっともっと賢くなるからと話していらっしゃったわよ。」
 といって消えました。あねくら姫は、ずーっと前まだ小さい頃に、天の神様からそんなことを習ったことを思い出して、それまでになるには何回も戦争や苦しみがあること、それにはどうすればよいかなどと、心配そうに考えておられました。
 こんな心配そうな顔をしているあねくら姫の顔を見ると、近くの川に住むしじみ貝たちは悲しくてたまりませんでした。それで、しじみ貝たちは無数の蝶々になって姫を慰めに来るのです。
 「ありがとう。私はこんな罪人なのに、あなた達はなんと優しい心ばかり向けて下さるのでしょう。」
 といって姫はそっと目頭を拭われるのでした。
 やがて、大国主命からお許しの使いが届いてふなくら山にお帰りになるとき、姫はとりわけその蝶々たちに名残を惜しまれました。そして
 「あなた達とももうお別れね。でも、私は永久にあなた達を忘れません。そして、いつまでも心は一緒にいます。」
 姫がそういったとき、川という川にいたしじみ貝は一斉に貝殻の羽根を開いて飛び立ち、姫の周りを取り巻きました。そして、姫を自分の羽根で持ち上げ、空飛ぶ雲のようにふなくら山をさして飛んでいきました。
 「おやおや、僕たちもですか。」「これはすみません。らくちんらくちん。」
 こうして、あねくら姫はふるさとの大沢野へ帰りました。間もなく布倉姫も許されて、しばしばあねくら姫の御殿に遊びにおいでるようになりました。水の精も、時々神通川から
 「おはよう姫様。」とか「さようなら。」とか、朝夕元気な声を掛けながら流れていきました。
 あねくら姫は、ゆっくりと落ち着いて大沢野の開拓に力を注ぎ始められました。
 大沢野の建設が始まり、その大事業は今も休みなく続けられています。

姉倉比売神 姉倉比売神社(舟倉)
神  明  社(舟倉)