歩くアルペンルート:スタンプラリーを終えて
歩くスタンプラリーを終えて(記:2008年10月)
きっかけは、メタボでした。腹囲だけならまだしも、血液検査の結果もよくなかった。これまでもマイカー通勤を廃止したり、極力歩くように
心掛けていただけにショックでした。やはり、息切れするくらいの運動量が必要なのか考え始めていたころ、立山マラニックの存在を知ることに
なる。この大会に出ることを目標にすれば、途中で挫折することもないだろうと考えていた。当時の私は美女平と弥陀ヶ原の位置関係もあやふや
の状態でした。アルペンルートの地図をネットで検索しているときに、歩くスタンプラリーのことを知った。気持ちの中で「これだ!」という確信
みたいのが沸いた。19箇所歩き通そうと決めたものの、要領がさっぱり分からない。
まず、最初に取り掛かったことは、地図に記載されている標準時間と自分の実際時間との差である。八郎坂で検証し、あまり違いのないことが
分かり、計画が立つようになった。次は、体力である。無理はしないこととしていたので、自宅から立山駅までの徒歩を皮切りに、称名滝までを
歩いた。このころ、バスが出ていることも分かり、体力は山の上のためにとっておこうとバスを利用後、八郎坂を登り、弥陀ヶ原まで、天狗平ま
でと毎回登る時刻を早めて距離を伸ばしていった。
室堂まで行く途中、弥陀ヶ原から天狗平へのルートに美松坂があり、八郎坂に続いて坂が2つ続いたため、天狗平から室堂へ行く途中のベンチ
で熟睡をしてしまい、八郎坂まで戻る余裕がなくなったことがあった。結局、帰りは高原バスを利用することにし、往路のみの歩行に方針変更し
た。
お盆の長期休暇で、最長の黒部湖までを目指したが、八郎坂で熊に遭遇し、バスで立山駅まで戻り、ケーブルカーで美女平まで行き、そこから
12時間歩いて雷鳥沢についたときは、疲労困憊でした。おまけに、嵐でテントが倒壊してしまい、シュラフには雨水が入り、ずっしり重くなっ
ていた。それでも、年に一回の長期休暇なので一の越までを試みたが、リュックの重さは尋常ではなく、断念して高原バスで帰宅してしまった。
帰って新聞を見ると市内でもだいぶ冠水したところがあったので、納得した。この経験で初めて、早朝は動物ための食事時間と改めて思い、称名
道路の時間規制の意味を理解できた。
そして次の土、日に再チャレンジした。前回の苦い経験から、雷鳥沢をベースキャンプにする方法を思い付いた。サブザックで登る方法は一般
的な登山の書物には記載されており、普通の方法であることは後から知った。
一の越は、雄山へ登頂する入口という認識があり、大勢の登山客がたむろしていた。こっちは雨具と水のみで、一の越から下っていったものだ
から、注目の的であった。東一の越までは、道が決壊しており、慎重に渡った。東一の越から見える黒部湖はヒスイのようであり、小さく見えた。
しばらくして、黒部湖が湖ということは、下にあるから水が溜まっているのだという当たり前のことを思い浮かべ、今からどのくらい下るのだろ
うと思い描きながら、約3時間掛けて黒部平についた。途中、道が無くなっていたが、引き返すことは全部登りになるので、背水の陣の気持ちで
歩き通した。
黒部平から黒部湖までは、4kmと近く黒部湖湖畔で風を切り、ウイニングロードのごとく颯爽と歩いていた。帰りは、ケーブル、トロリーバ
スで30分ほどで室堂まで戻った。
最後の雄山登頂でスタンプラリーは終了した。
2ヶ月前まで、山歩きなどまったく知らなかった私であるが、今では拠点ごとの時間も読めるようになった。注意することは、熊だけではない
だろうか。2m前に雄たけびを上げている熊の恐怖は今も頭の中に鮮明に残っている。
今回は、途中で交通機関を使用してしまい、完全な歩くアルペンルートではなかったので、次回は、自宅から全工程歩き通すことを目標に考え
ている。
スタンプラリーを終えてみて、肉体的にも精神的にも変わっている自分に驚いている。達成感はもちろんあったが、自信を得たことが一番大き
い。認定証は額に入れて目に付くところに掲げてありどの健康診断書よりも価値のある健康証明書ではないかと考えている。
以上
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