大宝二年(西暦702年),文武天皇の御連枝真福上人によって開創され,勅願所であったと伝えられています。当時は,姉倉比売神社本地佛の嵯峨虚空蔵菩薩を本尊とし,帝立寺と称していました。帝立寺の住職は,姉倉比売神社(虚空蔵菩薩)の外,春日社(薬師如来),八幡社(阿弥陀如来),稲荷社(十一面観音菩薩),諏訪社(不動明王)の4社の社僧として,代々奉祠してきました。
 以後,七堂伽藍が建立され,360坊を統べる本寺として隆盛を誇りましたが,応永年間の放火により,諸坊や縁起記録等はことごとく焼失してしまいました。また,その後復興の努力がされましたが,明治の初期に,近火の類焼で本寺の建物・宝物などが焼失しました。現在の本堂は,平成12年に建立されたものです。
 大日如来を本尊とし,高野山真言宗の船峅山帝龍寺として現在に至っています。

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