船峅山帝龍寺報
ふなくらまんだら

第 185 号
令和元年5月発行
富山県富山市舟倉2334  高野山真言宗 船峅山 帝龍寺

今月の行事

【5月の行事】
 1日(水) 新元号「令和」に改元
 (帝龍寺の行事はありません)

【6月の行事】
 8日(土) 御前山雨乞岩祭礼(寺家町内会行事)
15日(土) 宗祖降誕会(龍高寺にて:中組行事)

お知らせ

◆ 寺家公園三十三観音巡拝路にあった修行大師像を帝龍寺境内に再建立します。檀信徒の皆様には、建立浄財の勧募にご協力ください。檀家の皆様にはご案内をお送りし、既に多くの皆様から浄財が寄せられていますが、本年10月までの建立を目指し、8月末までに資金を集めたいと思いますので、ご協力をお願いします。
◆ 6月8日(土)に、寺家町内会行事として雨乞岩祭礼を行います。雨乞岩の下に祀られている不動明王様に、水田や畑に十分な水が供給されるよう祈願し、作物の豊穣を願う行事です。近年は町内会以外からの参加も増えています。足場の悪いところも通りますので、参加希望の方は寺家町内会長または帝龍寺まで事前にお知らせください。

ひとこと法話

◆面目・真面目◆
 「面目」という言葉はよく耳にしますが、「面目丸潰れ」や「面目ない」のように「めんぼく」と発音する場合と、「面目を改める」や「真面目を発揮する」のように「めんもく」と発音する場合があります。しかし、発音に違いがあっても、意味の違いはないようです。
 「面」という語は、「おもて」や「つら」という訓読みがあるとおり、私たちの顔を指す言葉です。面には大切な感覚器官が集まっており、中でも「目」はその中心的存在です。「面目」という言葉は、「面」と「目」を重ね合わせて人間の本性(仏性)を表す語として用いられてきました。本来の面目とは、私たちのあるべき姿であり、この宇宙の大生命と一体になって生きる大きな自己の姿を表します。
 したがって、本来の面目すなわち真面目(しんめんもく)に生きることが大切なのです。真面目を「まじめ」と読ませ、日常的にもよく使われますが、まじめとは真の面目に照らして生きることでなければなりません。一度しかないこの人生を悔いなく生きられるよう、普段から心がけたいものです。
 

ご 意 見
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