原風景 アルバム
私の中の原風景 (1)


 母が生まれた小さな海辺の町、中央を東西に二分して、海へと注ぐ白岩川が、夏も冬も変わらぬ

豊かな水量で流れている鄙びた水郷が、私のふるさとである。

 この川の岸辺の道の一箇所に陣取って、本を読むのが私の大好きな時間だった。それは誰かが

読み古して、そこらに放り出されていた小説本だったり、擦り切れた母の婦人雑誌だったり、ときに

は誰からも忘れられていたゲーテの「若きウェルテルの悩み」の一章だったりもしたが、とにかく活

字でさえあれば手当たり次第に繰り返し読み返ししているのが常だった。 

 多分何を考えるでもなく、ひたすらその場所に直行し、寝ころんでは活字や絵をみるのが理屈ぬき

で好きだったのだ。 それは小学校入学の前後4〜5年間のことだから、実にのどかな時代だった

といえる。


 夕刻、潮騒のように響いていた子供たちの歓声がいつか遠のいて、あたりに薄闇の忍び寄る頃

ようやく気づいて、重い腰を上げるのが常だった。 時々はボンヤリ眼を放して、際限なく流れる水

面を飛び跳ねる魚影や、それを狙って舞い降りる鳥たちや、すばやい動きで移る雲の影を目で追

いかけたりしながら、無心に過ごしたことも思い浮かぶ。 子どもが、母のそばで、何分か何時間

黙って過ごすだけで心が満たされるように、この川は、私を穏やかな少女時代へと育んでくれたの

だった。



 夏の休みの終わる頃、まだ済んでいない宿題の絵に、追い詰められた気持ちで描いた白岩川の

スケッチが、額に入れられて校長室の壁に掛かっていた。それに気づいたとき、ここはふるさと、と

いう思いがぐっと胸に迫った。

 白岩川と東西橋、岸辺に並ぶポプラ、水面に揺れる緑の影。

 この風景の持つ癒しに気づくよりも、そのときは危機を救ってくれた安心感、信頼感のほうが強

かったのだが。

 
 


 
 ひとりをたのしむ性格は、成長してからもあまり変わらない。 しかし、自然に対する熱い思いは

この水辺から生れたものと思われる。  そして私の描く風景に人の気配がないことも、幼い頃の

感情が投影しているのに違いない。


 
心中深く植えつけられたこの地をいま訪れようとは思わない。あまりにも長い時間が流れ、人心

は変わり、あの頃とはかけ隔たった自分がある。

 この半世紀で水の流れ以外は変貌したに違いないふるさと。 あの手垢にまみれた幾冊もの本と

いっしょに、記憶の中にいつまでもそっと納めて置こう、私の心の中心にある大切な原風景として









 私の中の原風景(2
 一枚の絵


 それは、,お代わりだって許されない小さな茶碗に、無限の哀しみを注いだ戦時の食卓風景の中に

凝縮されている。 一切の理屈を抜きにした恐怖と不安とひもじさの中で、波にもまれてもがき続けた

こども心、とでも表現すれば一番ぴったりするだろう。

 大豆の中に米粒がわずかにのぞいて、おかずは漬物か薄い味噌汁

 それ以外の何もない乏しい食卓に向かって、それでもああ、お代わりしたい… と切実に願いつつ、

口にすることだけは決してすまいと心にきめた愛しくなるほどの忍耐心 

 振り返ってみれば、一生の間のほんの数年に過ぎないのに、 白紙の生地に刻み込まれた戦中戦

後の鮮烈な哀しみは、遠い昔夢の中の出来事のようでありながら、記憶から薄れたことはいまだかっ

てない。



 
両手のひらにすっぽり包み込まれると、見えなくなった小さなこども茶碗そこに立ち上る湯気の中

から同時に見えてくるのは  特攻、一億玉砕、原爆…など生々しい言葉が、強い痛みと悲しみを伴

って浮かびあがる    そして…

     学童疎開、、学徒出陣、慰問袋、滅私奉公、大本営、英霊、一億玉砕…

 今は死語となったはずのシーンが亡霊のごとくよみがえってくる





  空襲警報のサイレンは悪魔の訪れのように毎夜鳴り響いていた。そのときは親子4人、灯火管制

のわずかな灯りを吹き消して、闇の中に息をひそめて過ぎ去るのを待つしかない。

 母は近所の人たちと避難所へ走るのも諦めたようにじっと動かなかった。父をなくした生活に疲れ

ていたのだろう。子供たちはただ母のそばにさえいればそれでよかった。


 二階へ駆け上がった兄が大声で叫んでいた

 10キロ離れたT市の上空は真紅に染まり、無数のB29が赤とんぼのように舞っている。

 開け放った雨戸を額縁にした、異様に美しく、恐ろしい一枚の絵

 燃え上がる夜空を背景に梅の古木のシルエットが、影絵のように映れるのを息を呑んで眺めた。

 時を忘れて、いつまでも立ち尽くした。

 その下で、どのような地獄が繰り広げられていたかも知らずに。




  …どれくらいたったのだろう?

 あらゆる音が消えていた。

 そっと戸外に出てみると、あたりに人影ひとつなく、静まり返った街並みは

夜明けをおもわせる薄闇のなかに沈んでいる。

 軒下の防火用水のばけつの水だけが白い光を放っていた。




           
 食への欲求は希薄な年齢となりつつある現在も、食べ物が残り少なくなってくると、豊かな心と

暮らしに見放されそうな不安感がどこかに芽生える。刻みつけられた幼時の飢餓感を、この飽食

の時代いつまでも引きずり続ける愚かさにあきれながらも、改める気にならない。

     

 私の原体験は、半世紀以上のときを超えて、グルメはびこる世に変貌した今も、さまざまな場所

から顔をのぞかせては、自戒の警鐘を鳴らし続けているようだ。







              第二次世界大戦の死者 約2200万人
              アウシュビッツ       400万人以上
              日本人死者         約180万人
              うち広島原爆による死者  約20万人
              東京大空襲  〃      約10万人
               (非戦闘員を狙った無差別爆撃)

            戦後半世紀を経た現在もこの数字は更新され続けている
          




       
           


       



        敵機来ないこんなに広い夏の空 
松谷忠和


                                     (
小学生の作品集より)   
                      
                 




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