窓の中の風景


   
ふわふわした雪片の舞い狂う、少し鉛を帯びて澱んだ白一色の世界それは不思議な無の世界

  であったそこに佇つと空想も湧かねば現実を顧みる気も起きない。妖しい雪の精の幻も見えず、

  無慈悲な自然が呪わしくもならない。ただ何分か何時間を立ち尽くしてふっと我に帰るだけだ。


 
   けれども、ひとたび雪が止んで、後ろの木が山が姿を現すと、停止していたさまざまな想念が、

  いちどきにわっと押し寄せる。美しいもの、厳しいもの、清浄、酷薄、父への憧れ
真実の追求、

   憩い、ひそやかな愛。

    窓から見る低い山並みは、今は真っ白く穏やかに横たわっているが、ひとたび風が山肌を撫ぜる

   と、木々に花咲いていた雪はたちまち吹き払われ、あっと目を見張るまもなく、曼荼羅の幕に掛け

   変わる。そして、また、雪。

 
 
    生まれつきの無口は自他共に認めるところだが、自然も人為も含めて日常起きるさまざまな現象

   を、いつも感動の目で見るようになったのは、ある年齢を境に始まっている。それは意識の割れ目か

   らこぼれ落ちて、砂のように心の深奥に積もった幼時の記憶からたどって、いつか一巻の詩となった

   ようでもありながら、実はただ模糊として自分自身にもつかめ得ていない。



    窓枠に区切られた視界の中で、空は重く垂れているのに、その下に横たわる風景は以外に冴え

   ざえと清澄で、人間世界の喧騒を、ひっそりと閉じ込めたまま静かだった。楽しみにしていた知人の

   訪れが無になるかも知れない、とふと先走って考えるのは年のせいだろうか

    自分はしかし現代を、とうてい情緒のお化けのように生きられはせず、かといってこの目まぐるしい

   現実の戸外へ飛び出してゆく勇気もない。歴然たる現世との断層を埋めるのは、目前の風景を

   ひと思いに春の野山に変えるより至難である。

         煩い絶えぬ人の世を 遁れんため     深く我 君が光に ひたらばや

    誰の詩だったろう?人の世のわずらいからは大分開放されたはずだけど、時折りは、もっともっと

    肩の力を抜いて、思い出の中に浸ってみる。







   

   夢みる人
  

 治療台に私を座らせてから、その老歯科医は胸に両手を当てて一思案すると、古色蒼然たる

電蓄の前へいそいそと、何やらしきりにドーナツ盤のレコードを選んでいる。早春の光が溢れた

小さな診察室に、やがて流れ出た優しいメロディは、昔々の日本の懐かしい流行歌で、思い出

すたびのどかな楽しさがこみ上げる。



 「困るなぁ、誰が僕のこと教えたんです?ほんとはこのまま帰ってもらいたいんだけど」と、いき

なり初対面から患者の私に詰問口調で驚かされたのは、未だ予約制も診療拒否とやらもない

よき時代だったから。

 「ふむ、男に生れりゃよかったなぁ」 口中を一瞥するなり、連発する言葉がなんだかとても

ユーモラス。いやいや、「性格だけではありません。環境や、知能、教養の程度だって、歯を

一見すればすぐ分かります。」なんて不気味な言葉まで、時々音楽のリズムにつられて大きく

うねる指先をはらはら眺めては、あんぐり口をとられたまま聞くしかない。


 
明るい午後の日差しの中で、部屋いっぱいに流れるメロディと、白磁の壺に挿されてふるえ

ていた一枝の桃の花びらが、治療の合間に手を止めて、正直に歌に聞きほれている老先生

の仕草とともに、メルヘンの世界にでもいたような。

 

 人は潤いを求めていつの世にも夢みることを忘れない。壮年はたたかい、老年は後悔という

けれど、ゆきつく所医は仙術、といった様子の今は亡い老先生、悠々閑々と大宇宙の一点を

のどかに生きることこそ夢だったのだろう。


 
「私のことは他の人には言わないでくださいよ、決して誰にも言わないでくださいよ」

安い治療代を払って帰りかける後ろから、何度も念を押されて、掲げられた歯科医院の看板

を思わず横目に見入る背に、陶然と優しい流行歌が流れてた。それは小粋なシャンソンでは

なく、あまいバラードでもなかったけれど、時を経るごとに懐かしく人恋しい思いをつのらせる。

あの時、こんな太いのは見はじめだよ、と老先生が感嘆して、ピンセットの先でピラピラ踊らせ

たピンク色の神経も、すっかり磨り減ってか細く縮んだ×年後の昨今






  夢占い


  私は一心不乱に見えない山の頂きを目指して登っていた。真紅の絨毯を敷き詰めたタケノコ

 状の山は、めまぐるしく足下へ足下へと移動してゆくのだが、わずかな手がかりと足場が確実な

 手ごたえで私を導き、ようやく頂上まで登りつめたらしい。と、眼下は一望に開け、洋々たる緑の

 大河の流れが目を奪う。突然、後ろからわらわらと人の群れが湧きあがり、エメラルドに輝く飛沫

 を素足に散らしながら、私は水上を駆けはじめる。


  新緑の樹立ちと、樹漏れ日を思わせる緑と銀の、段だら縞の世界が次々と後ろに消えて

ゆく。 かたわらにぴったり寄り添って走る白い裳裾をなびかせた婦人は誰か分からない。

二人はいつのまにか手を取り合って、無数の鍾乳石が縦横にとび出したような奇怪な洞窟の

中にいた。

あたりは不透明に沈んだトルコ石の青の世界に変わっている、。人声が近づき、二人はまた駆け

はじめる。行く手に白砂かグラニュー糖を思わせる真っ白な渚が続き、見渡す限りの雪原が、

一方は高くそびえる氷の連山が果てしない。いら立ちと不思議な安穏のうちに夢見る私は

駆けながら いつか舞台は皐月闇の中へと暗転するのである。


  私はまだ半ば目覚めず、姉が死に至る病床の傍らの無明の闇の中にいて、何かにすがらず

にいれなかったあの頃を思い出す。そしてまた、哀憐と思慕の思いに心の奥まで洗われていた

あの頃を。姉はまだ一度も夢にさえ現れてはくれななかった。

  時間と空間を跳び越えて、もう一度夢の世界に戻りたい。あの氷の奇怪なでこぼこは、姉の手

 術の傷痕にはびこった不気味な細胞の形態に似ていた。すると、手をとって走った白衣の夫人

 は姉ではなかったか−。私はようやく目覚める。そして否応無く姉の死を現実として認めざるを

 得ない。


  夢は、平素抑圧された衝動や観念が変形し、象徴となって現れるといわれ、ロマン派詩人は

 夢を無意識界の啓示として賞賛もするそうだが、フロイトならどう分析するだろう。

  姉の生前私は幾度となく、大空を飛翔する夢を見ている。その無限のうちに広がる爽やかさ、

 雄大かつ幽玄さは、さめての後もしばし陶然と、妖しい興奮のうちに遊ばずにはいられない。

 それは常に人間世界の悲哀や煩雑さを、現実として受けとめ達観し、その呪縛から逃れること

 の出来ぬものの、ひと時のはかない慰めにも似ているが。


 そして今、何より不思議なことは、あの極彩色の無限曼荼羅の一図絵が、目覚めた瞬間、

いつかどこかで見たような記憶がはっきり残っていることである。





ティタイム
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――自然はともだち ひともすき――

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自然はともだち
     
  
     ハワイ日記















































  



 海辺で


    紫陽花の若芽が音もなく雨に濡れはじめ、三毛の背の金色が輝いてくるとき、ふっと季節を感じて

    いきなり戸外へ飛び出し歩き回ることがよくあった。肉親の死、受け入れられぬ現実、わずらわしい

    人間関係、心はいつもハングリーで、黒い洋服を好み、ひっそりと闘争心を燃やしたりもしていた。


     荒れた海などことに好きで、台風の近づく日は、八の字型に海中に突き出た堤防の突端で、詩や

    会話や独白を試みるときもある。それはいつもしぶきと共に冷たく跳ね返り、いっそう心地よく自分の

    中に納まって、

     ―― 詩は神秘でも象徴でも鬼でもない、 ただ病める魂の所有者と孤独者の寂しい慰め―― 

    と言う詩人の言葉が思い浮かび、掌中の珠のようにその心を抱いて帰るのが常であった。

     しかし、異次元から容赦なく引き戻す現実は、つぎつぎとやってくる。

  
    黄昏海辺を歩くとき、しばしば見かける人がいた。果てしない海や空は人間の姿をいっそう孤独に

    見せ、こうしたところに佇む人は、、何か傷心を抱いているのだろうかと想像をめぐらすこともある。

    憎しみを忘れてキラリと美しい詩の断片がかすめるとき、心を浄化する自然の恩恵を深く感謝せず

    にはいられない。


     ある日、T市からかえるバスにその人が同乗していた。宵闇にほの白い道を疾駆する車中には、

    一日の疲れが重くよどみ、どうやらい眠っている様子。ボンヤリと後尾に座って、窓外に視線を流し

    ている自分もまた、疲れて帰る一個の平凡な人間に過ぎない。私は突然狼狽し、あわててまたも

    空想の世界に戻ってゆく。

   
    ――明日はまた海辺で無心に石を投げるだろうか、水平線上に屹立する連峰の後ろには、どんな

   街があるのか空想するだろうか、それとも、人気のない砂浜で、こどものようにどっと泣くだろうか…  


       


 
  古い日記帳から



     古い日記帳の1ページに挟みこまれた一通の赤茶けた手紙。

      「今夏は北海道で1ヶ月の援農アルバイトのため、春休みに引き続き帰省出来なくなりましたが

     ご了解ください」  から始まる筆不精で極楽トンボの 息子からの殊勝? な手紙。


 
        先般来、体調がすぐれず,ことに最近は世界中の不幸とうつ病を一身に集めたような不快

         に襲われるなど日一日悪化の一途をたどり、医師からも治療の余地なしと宣告され、苦し

         い毎日です。勿論僕は出来うる限りの抵抗を試みはしましたが、病根はガンよりもなお速

         やかに体内にはびこり、ついに刀折れ矢尽きて、今はただ静かに戦場あとに横たわり餓死

         を待つのみとなりました。


    そら来た、この見え透いた魂胆。それにしても古い手であること。

    
 
         しかし、それからあとが私の私らしさ、必死の努力で何とか運命の転換をと生への執念      
  
         にかじりつき、幼少の頃より一筋に集積した膨大なる資料を駆使して,わが頭脳コンピ

         ューターにかけてみた所、何たる運の強さでしょうか、神も仏も見放したこの業病が、

         あっというまに頑健無類、しかも輝かしき将来を約束と言う、まことに驚嘆すべき方法を

         発見したのであります。病名をゲルピン病と称し…


     そして一応遠慮深げに来月の生活費の前借を申し出ているのは、前科が大分重なっているからで、

    目には目を。調子を合わせた返信がメモってある。

   
  
      ――さてお申し越しの件につき、当方のコンピューターはより正確無比に起死回生の

         妙案をうち出しております。それは今回、せっかく得がたい病を得てしかも重態におち

         いっているのだから、さらに奥深く苦悩を極め、意を決し死してのち再び生き返ることで

         あります。人間生れるときと死ぬときは必ずひとりとか、この際他力本願でなしにあくま

         で自分ひとりで問題解決をはかることこそ最良の方法なのであります。哀れや名だたる

         悪童も、金の切れ目がこの世の分かれ目、朝夕は灯明をあげ成仏を祈りましょう。

         では来世にてお目にかかるのを楽しみに。生者必滅会者定離。南無阿弥陀仏――


    
投函したとき、思わずニヤリとなった

 
 
    読み返してまたもやニヤリとなった。確か、餓死をとげんとする頃合を見計らって送金の手続きに

 
   はしったっけ。 どちらも若くて、せいいっぱい背伸びして、一生懸命生きたあの頃。

     ファイト、ファイト、またファイト、それだけではだめなんだね、おふくろ。手紙の最後にこうしめくくっ

    た息子も今は二児の親となり、「頑張ろう」と言う挨拶言葉はもう時代遅れなんだぜとのたまっている。












              
              
new 避暑地の秋
  
      たそがれ始めた浅間の裾野は
なだらかな一面のうす紫にかすんで見えていた。

     避暑客の去った晩秋の軽井沢を訪れるのは何度目になるだろう
  
     始めは沓掛の宿とよばれた中軽井沢から霧の渦巻く峰の茶屋へ、一度は碓井の峠を小雨の中に走

     り抜け、いつかはまた広漠たる六里ヶ原を一気に南下して。

     そして今は一筋に貫く高速道をひた走って、何を思うまもなく目的地についてしまった。


      上京のたび車窓から眺めて旅愁を分かちあった優しい姉はすでになく、待ち受けてくれる母もいな

     い。愛用の白いジャンパーで運転を楽しんでいた夫も先に逝ってしまった。

      耐え難い肉親との別れや、忘れえぬ人たちとのさまざまな出会いを胸に、旅の一日を晩秋の避暑

     地に遊んで、黄金色した静寂に魅せられている。


      早朝窓辺で始まる小鳥のコーラスに目覚め、朝霧の流れる中を落ち葉とコケを踏みしめて、人気

     のない林の中を歩いてみた。ホテル専用のサイクリングロードや、遊歩道、温泉プール、テニスコー

     ト、野球場や教会があり、他に大小5千を越す別荘が散在する。万葉の昔から多くの歌人に読まれ

     芭蕉が通り、室生犀星や正宗白鳥の文学碑をはじめ幾多の文人歌人の碑があるという。それらは

     みなひっそりと音を消して静まりかえり
自然は生れたままの姿で私の目の前にあって、この上なく

     優しく語りかけてくるように思われた。


      林の尽きるところまた林は重なり、落ち葉を踏み固めて小道はどこまでもうねうねと続いている。静

     かな淋しい林の中の情景は、白秋の「落葉松」が描破する。ホテルの敷地の一角に詩の全文を銅版

     にはめ込んで、浅間の山容に似た詩碑があり、終章を白秋の自筆が刻んでいる。

     ”世のなかよあはれなりけり 常なけどうれしかりけり…” から松にから松の風が吹き、黄金色した

     から松にから松の音がなると、心の内面をじっと見つめながら育てた半生の思いは瞬間停止し、そし

     て徐徐に我にかえる。 自分は歳を重ねても、枯淡の境地に達するときはあるだろうか?いつかは

     心おだやかにこの地を再訪できるだろうか   最後に訪れて自問した数年前のことが昨日のように     

     思い出だされて、懐旧の念と同時にいつかこびりついた心のアカも洗い流された清涼感が残ってい

     た。




  
new   時雨れる日に


      ”旅二夜 ひと夜しぐれて たのしくて”

      雨の北陸から旅をして埃っぽい都会に出ると、ひえびえと濡れた空気が恋しくて、こんな歌人の句

     を思い出す。

      騒音を逃れて静かな裏通りを行くと、珍しく小雨に降られ、かたわらに続いていた生垣が急にさえ

     ざえとしてきた。私が住んだ北陸の小さな町の裏通りに、やはり同じ生垣の続く路があった。思い出

     が秘めてあって、生垣の尽きるところに赤いつるバラが淋しく雨に散る風情や、人通りの途絶える夜

     は、角の青い常夜灯が無常に見えた。

      「たまたまに別れて、ひとの世の旅路にまためぐり合う」こともあるなら、秘められた思い出は今は

     心のふるさとであり、あの辻はそのまま人生の岐路だったともいえるのだろうか。 この先重ねる旅路

     に、あの常夜灯の青さをシグナルとして、人生の苦しみも楽しみも古い庭石の コケのように身につ

     くころ、しみじみ嬉しく思い返すことが出来ますようにと、しぐれのあとの思いは尽きない。

     そして、雨が降って心までぬらす日の多い北陸は、私にとって何より大切なふるさとであり、そこに

     住むことのできる幸せをかみしめる旅でもあった。 






                              
                              
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