日本画 昴の会 二人展 ティタイム Diary

ハワイ日記

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流行語大賞
 私は自分自身を客観的に見ることが出来るんです、あなたとは違うんです
 突然の辞任を発表する前首相の記者会見で、「総理の言葉は、我々国民にとっては人ごとを語っているように聞こえますが」という記者の質問は、当時すべての国民の気持ちを素朴に代弁して適切だったと思うのだが、ご丁寧に人を喰った答弁は、割合印象の薄いこの人が最後に放ったイタチっぺ(失礼)。
 少しばかりユーモアとペーソスも感じられて、質問したほうの反応が写らないのが残念だった。
 太字の大文字で印象深く刻みこまれていたこの言葉、そうして今年の新流行語大賞に選ばれた。もっともご本人は、まことに光栄ながら花深く咲くところ行跡なし、とやはり人を喰ったようなメッセージを伝えて受賞辞退をしたけれど。そういえば以前の幹事長時代にも、政治家には珍しい文学的表現などもなさったっけ。
 
 同じくトップテン入賞に問題の「後期高齢者」もある。
 その反応の切なさ大きさに驚いて、長寿〜なんとか慌てて新ネーミングに付け替えようとしたが、心に受けた傷は忘れまいとか、いずれもかえりみもされなかった。
 高級官僚や選ばれた政治家たち、やはり日ごろから一般国民とはかけ離れた環境に身をおけば、人間らしい優しさ思いやりなどますますすり減らしてゆくのかもしれない。
 べらんめぇ口調の新首相は近頃ちょっと斬新で、当初庶民的な人気も結構あったのに、秋葉原を離れてまもなく新K・Yなる流行語を残して、世のマンガ愛好家たちを落胆させたし。
 空気が読めないK・Yの前首相  漢字が読めない新K・Yは現首相
 傑作だ!
 一般庶民は泣き笑い。これが日本の頂点に立つ人の頭の中身となると笑ってばかりでは済まされない。

 クラシックな蟹工船が流行語としてよみがえったことも、政治家は深く心に刻んでほしい。
 暗い世相の中で共産党の支持者が増え、なかでも志位さんは人気もの、ウルトラC(志位)と呼ばれているとか、現政権、与党の皆様はなんとご覧になりまする?
 居酒屋タクシー、ああ乗ってみたいそんなタクシー、とエレジーを唄うのはヒラリーマンならずとも。
 埋蔵金は庁舎の地下に実際に埋められていると錯覚している人もたくさんいるそうだから、いつか霞が関にゴールドラッシュが展開するかも…
 
 この不況時代を的確に表現し、憂さを忘れて面白く乗り切る知恵のひとつと考えれば、毎年の流行語大賞発表時の賑やかな一幕だってとても有意義なこと。
 昭和一桁、ご存知後期〜〜の世代にとっては、やや偏見に傾くときはある…と、自分自身を客観的に眺めることもできるんです、複雑怪奇な世相を興じてひとりいっぱしの口をきいている愉しいひとときだった。
                                                      (20/12/6)

野球脳
 グループ展のあと始末も片付かぬうち、なぜか次々途切れなく生まれてくる雑用に、まず悲鳴を上げたのは体よりもかぼそくなった思考回路。長年のモットーであるスローライフも怪しくなってきたころに、思いもかけないところから助け舟となった得体の知れないものがある。
 そいつはきっと眉間の中央あたり、右脳と左脳の中間(ってどこ?)に鎮座しているに違いない。途切れがちな情報網をかきあつめ繋ぎ合わせては、絶えず赤や青の無数の小さな電飾をきらきら光らせて、周囲に刺激を与えているのだろう。私は勝手に野球脳と名前をつけることにした。

 孫に曳かれていまさらながらの野球観戦に始まっている。
 生活様式はもう固まって、乏しくなった脳のスペースに、野球なんてとんでもないものなど入り込む余地もなく、始めは誘われてもまるで他人事だったのに、いつのまにか不思議に抵抗無く日程の中へはまり込んでいた。
 平日しかも中間試験の最中とあって、甲子園でのような派手な応援合戦もなく、報道陣の数も少ないマイナーな大会ではあったが、アカペラの応援歌が雨もよいの空の下でより印象的に、ともかく県大会、地区大会と勝ち抜いて全国大会まで走り抜いた12連勝。 
 たち上がってまもないし、練習期間さえろくに無かったし、まったくの未知数だった新チームが、秋の全国大会をいきなり制覇してしまったのは、イメージを実現させる右脳が一役噛んでいるのではないかしら!
 チームが一勝するたび、どこかに芽生えた野球脳なるものがじわじわ膨らんでくるようで、しばらくの間その感覚を楽しみながら、疲れを癒す大切な時間になっている。

 ルールにも怪しくて、地元のチームにさえあまり興味もなかったのが、最近はブログなど覗いて高校野球が春、夏のほか秋に神宮球場で行われることをはじめて知った。
 甲子園での試合前の散水が、如何に芸術的であり、熟練を必要としているか
 選手たちが思いを込めて持ち帰る黒い土の保存にどれほどの研究努力がなされているか
 そして高校野球への熱い思いを如何に多くの人たちが今も抱きつづけているか
 何よりも、勝つための条件として、身体的なものよりメンタル面にあり、双方の絶え間ない努力こそが行き着く唯一の道であること。当然知っていることながら凄く新鮮な感動をかみ締めた。

 ここへきて急激に芽生えた私の野球脳、太郎のおかげで始めてみる色合いに塗りこめられてくる。
 けれども――どうぞ大切な色彩の世界だけは侵食しませんように。
 その存在はとても興味があるから、おかしいけれども病み付きにならないよう自戒もしてしまう。
 未知のものへの驚きと好奇心は、ともすれば既成の領域まで踏み込んでしまうらしく、言いたくないけど最近ちょっとしたミスが続いてしまったものだから。
                                                       (20/11/21)

手帳
 友人と会食する機会が続いた。次の打ち合わせの日を調整するときになって、それぞれいっせいに鞄から取り出した手帳には、どれもぎっしりスケジュールが並んでいる。さすが教室の先生や生徒だけあってみんなカッコいいな、たとえお義理の顔出しであろうと、懐と相談しながらのアソビの予約であろうと、これだけ行事が続いていれば、年とってる暇なんてないものね。
 ただ一人手帳を持参しない私は、それでもとのんびりの自分を慰める。いつの間にかこの場では折角最高年齢となってしまったのだもの、それらしく威厳を保ってごらん。無理でもなんでもそう、せめてインターネットとかで得たメイ知識でも披露して、お脳の健在?振りをアピールするとか… 
 とは一瞬に頭をよぎったこと、もちろんそんな逆効果なことできっこない。

 赤や黒の表紙で、中身はまっ白で、何冊かの手帳は持っている。なんだろうと書くのが好きで、予定だって向こう何年かは詰まっているはずなのに、手帳だけなぜか持ち歩いたことがない。そのくせ帰宅してからの判読しにくい走り書きばかりは机の上に散らばっている。それを絶えずかき回して見つけ出すのも楽しみのひとつとすれば、それは時間の浪費となるのだろうか。案外こんな無駄な時間を持つことで均衡を保っているのでは?
 今日もどこかにあったはずと、忘れないため書いたメモ紙を探しながらふと考えた。グループ展に向けての煩雑な事務を、あまり愚痴もこぼさずひとつひとつマイペースでこなせてゆけたのは、この机の上の状態がたしかに一役買っている。
 この行程だって、一冊の手帳にまとめて整理してしまったら。
 眺めるだけで目先がちらちらして、手帳はそのまま閉じられる。次の日だって同じこと。万全を期したい、そんな厄介な性格がかえって邪魔をして、仕事ははかどらないのに肩の荷ばかりが重くなり…
 どれくらい時間を節約できて、代わりにどれくらいのストレスがたまるのか、一考の余地がありそうだ…
 などとあれこれ理屈をコネてみるけど、要するにいつも書き散していたい困った習慣をただ自己弁解してるだけ。天然自然に任せていれば、もっと可愛いい単細胞でいれるかも。

 生まれたときを基準にしたら、30才代は3倍、50代は5倍の速さで時間が流れてゆくと聞いたときは、まだ少し抵抗感が残っていたのに、近頃の一日の短いこと。
 言葉を変えて、30代は30分の1、50代では50分の1の残り時間だと表現されたら、残念なことにすんなり納得させられてしまう自分がいる。やっぱり貴重な時間は有効に使うべし、なんだ。

 机の上には、あちこちの引き出しからみつけ出した手帳が、まだ手付かずのまま幾さつも積み重ねられて行く末を待っている。
                                                        (20/9/24)

長月の始め
 2学期が始まった。万年休日、ストレス皆無の身もなんとなく背筋がしゃっきりする。
 休みの終わりが近づく頃には、残った宿題を抱えた子どもたち、さぞかし胸を痛めたことだろう。遠い記憶の中から、しょっぱいような思いを手繰っていたら、あるテレビ番組で急にシラけていってしまった。

 宿題のお助けサイトなるものが、最近インターネット上に増えているとそのレポーターは語っている。
 サイトには原稿用紙3枚用、5枚用…と幾通りにも分けたさまざまな模範文章が載っていて、コピー&ペーストで幾種類か組み合わせたり、ひどいのは丸ごと失敬して、厄介な研究課題でもたちまち出来上がり。
 今やどの小学校にも常備されたパソコンで、手軽に知識を吸収する学習体系には、時代の相違を痛感するしかないが、同時に起きる弊害の多様さ、とうとうこんなところまで。
 呆れたことに小学生たちから続々お礼のメールが届き、中には親からの丁寧な感謝の言葉まで掲載されるのを見ると、漏らす吐息の方角が大分狂ってしまう。
 努力もせずに結果を出す。それを憂うか便利と見るか。 コピペの悪用は、当初からある程度予測できていたらしいが、提出されたレポートの文章が、そっくり同じなのを見た小学校教師はどのように対処したのだろう?


 『私は小学校低学年、兄は高学年のある年。
 長い夏休みをのんびり好きな読書で明け暮れて、工作も研究課題も一向に進んでいない私を見かね、雑誌か何かを手引きに兄がこつこつ作ったのはカレンダー付きの鉛筆立て。黙々と時間をかけて完成したら、ハイと私に渡してくれた…  その手元を覗き込んで、その間中一緒に張り付いてともに汗を流して、自分も作った気持ちでいられた…』 
 工作だけはコピー〜とはゆかないけど、観察文のまとめも作文も寝ずに仕上げて、努力のあとの達成感を子供心に味わった。 ちょっと心が痛むのは、その鉛筆立てが(当然だけど)入賞して展示されちゃったこと。
 当時の大きな賞状を眺めながら、それでも今よりはいいではないか、と自分勝手な思いに浸る。

 危機先送りのその場しのぎ、それと知りながら多くの個人から団体の、特に政治家の常套手段となって、いつしか国は衰退し立ち上がれなくなる。 人智は限りなく、悪知恵とのいたちごっこもまたどこまで伸びてゆくのやら。近いうちにはコピペ悪用のみ禁止できるソフトだって開発されるかもしれない。 万物の霊長人間様のお脳は、進歩と退化を繰り返しつつ何処へ向かって進んでゆくのだろう。
 子どもの頃の自然と人間のふれあい、地域、家族、友人との思い出に、なんともいえぬ優しさ懐かしさを伴うのは、決して単なる郷愁でないことを教えてくれる。
                                                         (20/9/3)

それぞれの夏
 高校野球部の応援掲示板なるものをインターネットではじめて覗いてみる気になったのは、春選抜に引き続き46年ぶりとなる夏の甲子園出場をきめた、太郎の野球チームの様子が知りたかったせいである。
 3年生レギュラーを中心にエンジョイベースボールがモットーの、よくまとまったチームの中でご愛嬌みたいな存在の太郎も、春選抜で予想に反しあっけなく初戦敗退してしまったときは人並み悔しかったらしく、それからの3ヶ月チームの一員として、屈辱をばねにひたすら努力を積み重ねた毎日は褒めてあげたい。

 ハイレベルな地区の決勝戦では凄かった。中身の濃さはもちろんだけど、はじめて垣間見る高校野球ファンの熱狂ぶりにも驚くほかなかった。
 1イニングごとに冷静な結果報告する人がいる。リアルタイムで試合の状況が分かり、そのたび幾つも丁寧な応対や期待の声が寄せられて、マナーのよさに感心したのは始めの頃。逆転に次ぐ逆転で次第に見るもの聞くもの分刻み秒刻みの表現となり、発信元は入り乱れて支離滅裂、更新のボタンを押し続けて判読しながら、いつの間にか渦の中へ巻き込まれてしまっている。
 「左打ち、構えました、なんとか一本おねがいします」
 「次、打てーっ打て!打て!」   「少し落ち着け!」
 「ホームラン!」    「よっしゃ!」
 「誰が?」   「頼む、もちっと詳しく!」
 多分目は前方に貼りついたまま指だけが動いているのだろう。

 後日見たテレビでは3年連続で優勝決定戦に破れ、甲子園の夢を絶たれた188cmの主砲がマウンドに泣き崩れ、勝者は拳を突き上げながら泣いているし、熱狂するファンもひと群れずつ肩を抱き合って泣いている。とどろく歓声の中を、ときと場所を離れて見るものまで一瞬空白になる不思議な光景…
 汗と砂にまみれた双方の選手陣には、ゴジラもいればドカベンもいた。けれど目前に勝ち負けを競って繰り広がるのはバーチャルではない現実の世界、現代っ子も親である団塊の世代もともに熱中するのはうなずける。そのせいか全国8強まで勝ち進めたことも、この余勢に乗った自然な流れとの思いで受け止められた。
 危険と隣りあわせのリスクを背負いながら、練習一筋に過ごす太郎たちの日々を思った。それは決してこの日のためばかりではない。心がけ次第必ずいつか大きなものへと形作られるだろう。
 ここらあたりがちょうど良い  緊張から解放されて少しうつろな胸の中にこんな囁きも聞こえていた。

 応援団、チアガール、家族、OBなど関係者のほかにも、いたるところからこの夏共有するひとときを持った年代を問わぬ熱いメールが、掲示板に読みきれないほど延々と続いている。
 「戦中を生き残った老残OBです。青春の血が滾るのを感じました」
 「何の生き甲斐もなかった高校最後の夏、この日の感動を今後の糧とします。ありがとう」
 「暑かったろう、日吉に帰ってゆっくりお休み。みんな愛しているよ」…

                                              (20/8/18)

 転落の記
 閉め切ってあるのに、天井の片隅からアメーバのごとく湧きあがり、大きく広がって迫ってくる物体がある。 
スルスル スルスル。
 暗闇の中で鮮やかなピンクに浮き上がり、見る間に箱型に固まってゆく。 何だこれ? 旅行かばん?
 灯りを落とした寝室のベッドの上で、硬直状態のまま、ギャ−とかグェーとか、あきれるほどの奇声がのどを突いて出た。すると物体はピタリと動きを止め、今度はフイルムを巻き戻すようにみるみる姿を消してゆく。
 スルスル スルスル… これがまた怖かった。
 何とかしてこの場から逃げださなくては。
 早く・・・金縛りの動かぬ体を必死になってよじり続けるうち、左の胸と肩に衝撃が走って、ようやく夢の出来事と気づいた。
 寝苦しい夜は、あちこち目まぐるしく向きを変えても、ついに片手片足をしどけなく畳の上に垂らしても、十分な信頼関係のあるこのベッドから、私は、オ、チ、タ!
 とても信じられない。畳の上に落下すると言う勇ましい人生初体験。
 枕もとのスタンドをつけるとか、冷たい水を一口飲むとかして、悪い夢を完全に断ち切る才覚も思いつかない。反射的にベッドへ這い上がり、見たばかりの夢の中身を反芻しながら,,、ショックに耐え続ける間もしっかり目を閉じたままだったのは、まだ半分くらい眠りの中にいたのだろう。

 
 夢の中身の詳しい説明ほど、聞くものにとって退屈なことはないが、当の本人は異次元の不思議体験を実感したほどに思い込むときもある。
 かなり長い間、自分はどんな高所からでも心地よく着地できると思い込んでいたのも、若さがだんだん遠のいてからある夜、夢でそれと知らされた。今同じ夢を見たら、まっさかさまに転落して震え上がるに決まっている。
 この不思議な夢で味わう感覚を、いつしか夢のように忘れ去るとしたら何だかもったいない気がしてPちゃんに話したら、案の定ベッドから転落した現実に大いに笑われて、たちまち意欲は萎んでしまった。
 外見に似合わず肝っ玉の大きさに恵まれた日頃の共通点があるから、あの得体の知れない恐怖感だけは我ながら納得がゆかないにしても、まぁ予想していた通り。
 ったく、夢の話なんて大真面目にするもんじゃない。

 ちなみに夢占いで遊んだら、「旅行かばん」が凶とでて、空を飛んだり着地する夢は大吉だった。
 転落したんだなぁ。
 この象徴的出来事は大きいよ。今更だけど身にしみる。
 胸と肩は、今日もまだ痛い。 
 
                                                       
(20/7/31)
  
 話題
 天をつく高層ビルが林立し、空間を横切って無数の回廊がビルとビルとをつなぐ、まるで宇宙都市みたいなものが近い将来この地球上に実現する? CGばりの超音速の飛行物体が縦横無尽に飛び交えば、中から降りてくるのは人造のターミネーターか、金で買われた宇宙人かも。
 SFマンガの1シーンではない。中東のある石油産油国の近況を視察した日本の外交官は、砂漠の中に忽然と生まれつつある高層建築群を目前にして、マジに驚くべき発展振りと褒め称えている。
 世界からかき集めた富の力をそのまま形で誇示するもの、その前にひれ伏すもの。

 人によっては、そんなのディズニーランドとは五十歩百歩、と素っ気無い。でも生きてる間に一度でいいから我が目で見てみたいね、というのは本音だろう。自分だったらとてものこと。順応できないに決まっているから。
 日ごろ小さな部屋の中から近視眼的にものを見るのだけは避けたいと意識している。
 先日久しぶりに肉親や知人との集いを持った。以前の絵の仲間と旧交を温める機会もあった。そのとき温泉につかるような心地よさに浸りながら、なぜか物足りなく何かにあせる想いが生まれるのに気づいた。
 静かな水面に小石が落ちて、波紋が広がって、揺らぐ水鏡をドキッと見守ったりもしたのに。
 語りかけるより聞くことのほうが好みと認めながら、いま少し話題に変化があってもよいのでは。
 集団から一歩はなれれば、ちょっと視界が広がったのかと思える反面、現役から徐々に遠ざかってゆく悲哀とも受け取れて、昭和の年代で育まれた心の中に、砂中から立ち上がる未来都市の映像の刺激は、ボデイブローを受けたごとく徐々に効いてくる。

 週1で新聞紙上に発表される週刊誌の広告が興味を引く。世の中の移り変わりが掬い取れて、話題には事欠かないような気になっていた。どう書けば読者の眼を集めるか題名だけはここ一番頭を絞るが、それ以上に突っ込んだ中身はまるで無いから、本誌まで購入する必要はなし。 会話に疎くても広告にさえちょっと目を通していれば、結構面白おかしく話を合わせてゆける、なんて、買ってないから半分くらい乗せられた甘ちゃんだった。マスコミの目の届かぬところに、こんなピリッと効く隠し技が潜んでいるなんて。
 一方で追い詰められ急に声を大に報道されだした環境破壊、そこからくる世界中の危機現象が次々容赦ないパンチを浴びせてくる。息絶え絶えのリングの片隅に追いやられて逃げ場所はどこ?と回りを探す。
 ・・・やはり好きな絵の世界にでも浸りきるしかない、ピュアな心で残された人生をこれ以上汚さずに… 
 消極的おまけに時代遅れを笑われても、とりあえずは今の環境に感謝。これが一番身の丈に合っている。
 自分には関係のないこと、悪い夢は忘れましょうと、ひとりの話題を閉じることにした。
 木々の葉の、そよとも動かぬ真夏の午後だ。
                                                         (20/7/22)

 蟷螂のつぶやき
 近頃はニュースを聞くたび腹が立つことがありすぎて、心を波立たせず過ごした日なんて年甲斐もなく一日だって無い。名誉ある天然ボケの称号も怪しいものだ。長い時間をかけて定着したはずののんびりも、いっそのこと返上しようかと思い詰めるときもあるが、それだけは勿体ないからおよしと待ったをかけている。
 腹立たしいことは、ご存じやりきれないほど連日のごとく見たり聞いたり。
 おおかたは、たまる一方の不満不信を、せいぜい友人か家族間でキャッチボールしながらまぎらわすのだろうけど、自分にはそれだけのエネルギーがあればほかの部分へ回したくて、大概のことなら聞き流せるにもかかわらず、なのである。

 むかつく最大の芽は、とどまることを知らない原油価格の高騰だ。
 もっと直接的な、生活を脅かされてキレたくなる理由など、ほかに数え切れないほどあるのに、なぜかこの問題だけは頭のてっぺんから湯気がたつような怒りを感じてしまう。
 燃料費として一番安いからと、灯油の暖房に切り替えた直後の値上がりだったから、なんてケチな理由でないのはたしか。自慢じゃないけど車も持たないのだから、そんなの関係ない。
 無利子に近い日本の低金利から始まった、世界的な金余りの先物買い、ほんの一握りの人間の口先ひとつで操られるガソリン価格と、それがもたらす危機的環境、それを世界中の為政者が対処の方法さえ持たず、ただ指をくわえて見ているだけとは、一体どういうことなんだろう?
 インドや中国の経済発展に伴う需要の高まりだけなら、対応できる英知も人間は持っている。
 資本主義社会では、このような人為の危機に対しては明確な答えを用意してないのだろうか?

 メールの定期便が途絶えている心優しい知人がいる。何事かがおきて苦しんでいるのではと、思い巡らし
 花や風景の写真を届けてくれる友人がいて、希望と平和に包まれた日々を想像する。
 早くに逝った肉親をしのんで、残された家族の健康を朝夕念じながら
 恵まれた毎日を与えられていることに感謝して暮らしている。
 そして、人々は地球とともに滅亡の淵へと見えない歩みを速めている…
 値上がりと聞いて怒りがこみ上げるたび、蟷螂が斧を振り上げているマンガチックな画面が浮かんでくる。
 そのカマキリに自分の顔をすげ替えると、すんなり当てはまるのがやるせない。

 ま、いいか。どっちみち人類が生き延びるか滅亡するかの無数の分かれ路は、先ゆく指導者達のお任せで先送りするとして、今現在だけの幸せを念頭に…で、かたをつけるしかないこの気持ち、どうしたら治まるだろう?
 あった。
 とりあえず、到来のアイスクリームを飽きるほど食べて頭を冷やすこと。 描きかけの数枚のボードの余白、埋めてゆく岩絵の具の染み入る色を眺めながら、しばらくは日曜のお昼寝とかでリラックスしてごらん。 
                                                         (20/7/6)

 最良の生き方
 梅雨入り宣言のあと、雨の予報も何とか一日中曇り空を保った週末。
 太郎の高校の野球チームが金沢へ遠征試合というので、息子夫婦の車に便乗して出かけた。
 東京から彦根へ飛んでお祖父さまを同乗させてから、金沢までいらした父兄会長のYさんは、早くから撮影の場所を選んで陣取っている。いつも7に各地の試合の状況を、リアルに発信する情報源はここらしい。
 北信越の強豪校との対戦に、余裕を持って勝つことが出来て、ちょっと責任を果たせたような気分になったのもおかしいが、持参の遠眼鏡があまり役立たない太郎の、動き回る姿を追いかけながら、なんだか胸中が熱くなるのを感じてしまう。

 試合終了後、宿舎へ送るバスの近くで待っていると、やがて大きなバッグを抱えて三々五々帰ってくる選手たちが、目礼しながら、ときに懐かしいようなまなざしさえ見せて通り過ぎる。
 汗とほこりにまみれたユニフォームを着替える子どもたち、180センチ前後の健康な肢体の上に乗っかっている顔は、にっこりするとあどけなさが残っていてかわいい…なんて、昭和生まれのおセンチ心で見守った。
 あ、来たきた!と、お母さんが教えてくれる。
 そがれた頬に、元通り濃く生えそろった眉、濡れたような黒い目が近づいてくる。
 笑いかけて一直線に向かってくる。 迎える私はどんな表情をしていたのだろう?
 息子夫婦が監督や部長と挨拶を交わしている間、数分間あわただしく話し合った。
 別れ際、「試合に勝てるよういつも祈っているからね」と言ったら、彼は答えた。
 「次郎にも祈ってやってね。 僕もおばぁちゃんの健康を一番に祈っているよ」

 もう、なにもいらない。
 当分の間は。

 前日「最高の人生の見つけ方」という映画を見ていた。
 余命を限られた二人の男性の出会い。人生の最高のものとは、お金や地位か、家族や愛か。
 シニカルな毒舌と、穏やかであきれるほど博識の二人の、笑いとペーソスに溢れる会話。
 ヒマラヤ、ピラミッド、スカイダイビング、世界旅行。欲深ければ、さらにキリがないだろう。
 二人の性格俳優の名演に引きずり込まれた、おとなのおとぎ話の世界から脱して、身近なところにある最良の生きかたを見つけだすことが出来たら――
 それこそサイコーと、私には思われた。
 恵まれた日和、いろんな具をまぶしたおにぎり、家族の笑顔、たしかに生きているこの一日を振り返りながら。
                                                         ( 20/6/23)  

 恍惚の時間
 O先生の個展を見に行きませんか、とお誘いの電話があった。
 久しぶりに聞く明るい声は、少女のように甘く華やかで屈託がない。スケッチ会のあとさきには必ず家の中へ招じこまれて、お茶やお菓子を振舞わなければ始まらなかったその頃が思い浮かんで懐かしかった。
 生活費もアソビの費用も一切制限がない代わり、来客の接待だけはきっちりとソツなくこなすよう訓練されている、と自認する彼女が、日常の買出しやスーパー情報に一番精通しているのを、生活に疎い我々仲間はうらやんだり驚いたりしたものである。
 私も見たい個展だったがしばらくは都合がつかず、ほかの人を誘ってみるということで長い会話は終わった。

 次の日。
 着信の音楽が鳴って取り上げた電話に、昨日とまったく同じ内容の甘い声が流れてくる。
 その翌日もまた翌々日も。
 3度目あたりから気がついて、時間が勿体ないと思ったけど、訂正したりとがめたりする気にはならなかった。
 そのたびこちらも気長に同じ返答で応対したから、傍で聞く人がいたらさぞ可笑しかっただろう。
 ご夫君がなくなってから、残された広い屋敷と庭園は管理するだけでも大変だったはず。忙しくはあっても、客の来なくなったひとりの暮らしは、どれほど気の抜けたものだったのだろうか。
 意外な思いも強かった。話し好き、外出好き、美味しいもの食べ歩き、おしゃれも好き。好奇心旺盛で仲間の私生活にも大いに興味ありで、ときどき閉口はしたけれど。
 それにしてもこの明るさは。 話の中身を変えて質問してみると、やはり興味津々の華やいだ声で、打てば響くように応じてくる。どもってつかえている自分の方がよほど歯がゆい。
 1ヶ月位の間に20回以上は明るい声と笑いで、同じやり取りが一見何の変わりもなく続いた。
 今更だけど いろんな関心が薄くて小さな世界に連日浸りきりの、自分のゆくさきが見えなくなってくる。 

 95歳現役のある映画監督は、自分というものを保つために、孤独な時間を大切にするという。特にひとりぼんやりする時間は何より豊かで欠かせないと聞くと、思わず大きくうなずいてしまった。本当に何も考えず庭の樹木や、遠い山並みや田んぼを眺めているときに、ふっと何かがかすめてヒントとなることがあるのだから。
 わが意を得たとばかり力説すると
 そんな大切な時間が、昔から豊富にあり過ぎるほどあってよかったね、と息子はにやりとする。
 スピーディがとりえの現代人のつもりなのに、今はかなり息切れするようで残念ね、と私は答える。
                                                         (20/6/9)

 白牡丹
 大輪の牡丹を一鉢買ってきて庭に地植えしたのは二十年あまりも昔のことである。
 牡丹の栽培は難しいらしく一向に咲いてくれなくて、ガーデニングの本を何冊も買いこみ、消毒と施肥を丹念に余暇を愉しむつもりだった彼が熱くなるさまを、野次馬根性で冷やかしていた当時。
 毎年雨で流れる土を新しく補充して、初夏の頃は赤、ピンク、白、黄色と賑やかな花々が咲き競うのに、鉢にたわわだったあの大きな牡丹だけは、それきり二度とおめにかかれない。
 失望と期待の繰り返しにも飽きた春の日、彼の方が待ちきれず花に背いてひと足先に逝ってしまった。そしてその年、手入れする気も起きず雑草の生い茂った庭で、忘れられていた白牡丹が突然大きく開いたのである。

 見送って1ヶ月、かえりみることもなかった庭の中央から、ひっそりとしかしあたりを圧するような白い光を放っていた。瞬間、空っぽの頭と体からただ溢れて流れる涙が不思議で、実はよく似合う九谷の壺に活けて霊前に供えた前後のことは、あまりはっきりと覚えていない。
 花びらの一枚一枚は薄く無色に近い透明なのに、打ち重なって純白のその塊りは、かすかに震え神秘なオーラを周辺に放っている。近く見れば見るほど神様の手でしか作られない造作の妙に覚えた。彼の丹精に数年間答えなかった花が、今突然現実のものとも思えぬ美しさで目の前にあることが、人の死を受け入れられぬ無明の闇の中から、フッと自分を取り戻すと同時に、なにか静かなメッセージとなって伝わるのを感じていた。

 それから、数年。
 ある朝、庭の中央に今までと異なるひとむらの色彩が風にそよぐのを見た。二度目の牡丹の開花だ。
 同じ木から白ではなく? 
 今度は濃い赤紫の大輪である。それにしてもなんという大きさ濃密さ、その凝縮した妖しさ。
 また新たな感動だった。純黒に少量の岩緋と群青を混ぜたら、このビロードのような深い紅みは作れるだろうか。その量の加減はきわめて微妙だろうな、と瞬時思いがよぎった。いかなる名作の冨貴花といえども、これほど心動かされることはない。いくつかの牡丹園もめぐり、実際の花を手に取り拡大鏡で覗いてしげしげ眺めもしたが、ただ月並みに美しいものとしての鑑賞に過ぎなかったのだろう。
  
 ”白牡丹 宇宙なり”
 これは詩人が詠った。
 赤い牡丹には「愛」という言葉が浮かんだ。
 濃い臙脂のこの尋常でない色の深さに、小宇宙で愛の深淵を想った。 
 両方に「神秘」という言葉も重ねた。
 花は異なる色を見せてたった二度開いたきり、使命を終えたようにそれを最後としていつか地上から消えた。
 感動を深めるとき、大輪の牡丹はただ一本、眼近かな鑑賞が一番ふさわしいと思っている。
                                                           (20/5/7)
 
 花残月
 四月後半の別名に花残月というのがある。その余韻に嫋々の感は、年毎にものやわらかな響きを増すのだが、花にまつわるさまざまな想いは、ひとつふたつと積み重なるたびかすんでいつか遠のき、散る花びらのように淡くこころもとない。
 この時季、好きな詩集を持って好きな友と一夜の旅に出た。
 案内された部屋のふすまがあけられた瞬間、 あ… 二人同時に吐息が漏れた。
 思いもかけなく眼前に大きく展けた風景は、花残月を題名としたらまことに相応しい。

 対岸に濃い紫の岩壁が、濃淡織り交ぜたみどりの衣をまとい、峡を流れる川の色は深い碧玉。
 手の届きそうなところに、見るものを抱きかかえる勢いでひろがる数本の桜。苔むした黒く太い幹。
 構図が似ている、子どもの頃赤く炎えた空襲の夜空を背景に、浮かび上がった梅の古木の絵と。
 異なるのは時代の移り変わりと、そこに身をおいた人の移ろいだ。
 まじかの黒い枝が鋭く両手を広げて、これは隈取り鮮やかな歌舞伎役者が大見得を切るさまを思わせる。
 ふすまが開けられると同時に、舞台の幕が切って落とされたのだ。
 天井から白い花びらも舞っている。
 古風な漆塗りの柱に青い畳。余分な飾りと一切音を消した寂の和室の一隅から舞台を眺めた。正座して花を見つめる人のシルエットもまたひっそりと、美しく絵の中に溶け込んでいる。
 持参していた白秋の詩の中に、時雨には水墨のかをりがする 金梨地の漆器の気品もするという一節があるが、ここにもほのじろい午後の空に、一面まかれた金砂子の気品が私にも見えていた。淡いはなむらと入り混じる新芽のいろも、華やかの数段手前にとどまって、しかも華やかを失わず、くすんだ墨絵のかをりさえ感じられる。

 夜。 同行の友が話し疲れて安らかな眠りに落ちるのを傍らに、時雨にも似たかすかな滝の水音がして、耳をすます夜更けのひとときが、宝石のように大切な時間に思われた。
 朝。目覚めた雪見障子のガラス一面、夢でない現実の大舞台が出現したことに、再びの感動が抑えられない。
 花びらはゆるやかに横に流れ、上方へと舞い上がり、ときに一陣の風に乗って四方に吹き散りながら、やがて地に落ちる。言葉にならぬ思いが積もって溢れ、黙っていても通じ合う友への親愛と感謝の念も満ちてくる。
 昨日より風が強くて、花吹雪は雪のように幹に降り積み、若葉の浅い緑がこころなし多い。
 路傍に散り敷かれた花筵。かたわらの深い川は白く泡立って、幾つもの花筏が水上を流れ続けていた。

 絶好のタイミングだったのね、とやや盛りを過ぎた二人は話し合う。
 ひとりは新たな門出への記念に、ひとりは新たに記憶の1ページに深く刻み込んだ花残月のある日だった。
                                                         (20/4/18)

 和み
  ―― ときは春、日はあした
 四月、物価上昇爛漫の春だ。
 朝明けの光とともに、ここだけ平穏な日常の一郭へそよ風がとどく。
 そよ風を受けて かろやかにパソコンを開いたら、ズラリ並んだ迷惑メールの中に、大切な人からのを示す青い文字列が見えた。カードも届いている。
 「球春始まる」が数日前、すかさず今は「新しい目標で頑張って」 Eさんならではのその心遣いが嬉しい。
 まもなく太郎のメッセージも届いた。相も変わらぬ感嘆符と絵文字が踊る1行詩は
 「楽しかったけど、悔しかった!!」 
 
 チームの主力に力道山の孫という人がいて、春選抜の発表前から桁違いに華々しい報道合戦があったらしい。
 正式メンバーに選ばれただけでベンチから見守るしかない太郎までが、舞い上がりかねない雰囲気に包まれていたが、期待が大きいほどその反動も強いはず。予想を覆す緒戦敗退後の数日間の記憶は、若い胸のうち苦くも甘くも深く刻み込まれたことだろう。得がたい教訓となればよいが。
 負けてよかった、といえば叱られるけど… 3年たってごらん、「悔しかったけど楽しかった」 と入れ替わるよ。
 いやもしかしたら、3年後は神宮球場を目指して汗を流しているかも知れず、ひょっとすれば「悔しくて、悲しかった」なんてメールがくるかも。そのときは10年たってごらん、とでも言うしかない…

 午後ダイレクトメールの束の中から、一通の黒い封筒を見つけた。予感どうり彼女からの私信だ。
 懸案の諸問題も明るい見通しがたつようになったらしい。自分だけでなく周囲にも優しい目を配りながら、新たな希望とその実現に向けて、一歩踏み出す姿が想像できた。
 封筒の黒が目にとまってから、手繰り寄せられるように浮かんでくるものがある。
 台風の来る突堤に立ち、飛沫とともに跳ね返る独白で、危うく心の平衡を保っていたあの頃のこと。
 身につけるものは上も下も黒ずくめだった。まるで華やかな色彩は一切排除しなければ困難に立ち向かえない、とでもいうように。 やはり黒は固い決意を表す色なのだろうか。
 いつか必ず純黒を使って絵を描こう。

 先日見た映画へのノスタルジャも記されて、
 やがてまた柔らかい光の中へ、パステル調のイメージの世界が戻ってきた。強いうちにも優しさや潤いをも秘めるひと、幾つになってもどのような環境にあっても、その想いを捨てないひとでいて欲しい。
 追憶は、黒も赤も白もすべてがはるかな春の空へ雲のように流れ去ってゆく。
 そう、放て、心をひょうびょうと、だ。
 目を開けば日差しはあやに、スギ花粉もダイオキシンもそよ風も吹いている。 けれども神は空にしろしめす。 
 すべて世はこともなし、とはゆかないが。
                                                         (20/3/31)

 Gフレンド
 「そろそろ車の運転は自粛しなくちゃね。自分だけならともかく、ひとさまを乗せて、もし事故ったりしようものなら、それこそお終いなんだから」
 始めてニョーボが非難めいたせりふを口にしたとき、Yさんはちょっと憤然として言い返したものだ。 まだまだ オレさまはそこまでモーロクしとらんばい。
 けれども。
 暖かな春の陽気になんとなく気力の充実を感じ、久しぶりにガールフレンドのMちゃんを訪ねてみる気になったある日のこと。
 すっかり若返った気分で楽しくひとときを過ごし、ようやく重たい腰を持ち上げて帰途に着いた道すがら、 おや?この道は一本間違えたかな…と気づいたとたん、どこにいるか分からなくなってしまった。
 冷静に、冷静に、とパニクる気持ちをなだめて、思考をたどってみる。
 今、何をしてる?  分かりきったこと。Mちゃんに会って、これから我が家へ帰るにきまってるだろ
 我が家の場所は覚えてる?  ――フン。 バカにするな!
 どうやら認知症ではないらしい。路傍にいったん車を止め、心を落ち着けてから、広い国道を探すことにした。国道にさえ出ればしめたものだ。 そしていつもの2倍だか3倍だかの時間をかけて、ようやく我が家にたどり着いたとき、夕闇の中で待ちくたびれたニョ−ボが言ったのが冒頭の言葉である。

 Yさんはこっそり己の年を数えなおし、驚き反省した。
 Mちゃんを追っかけて、面白おかしく、ときに切なく過ごした日々は、なみの数倍早いスピードで通り過ぎていったんだ。 こんなに歳食ってたなんて、考えてもみなかった。もたもたしてるうち、もうすぐ喜寿とやらがくるんだぜ!・・・いや待てよ、米寿だったっけ?
 そういえば、今まで周りから何度も忠告めいて、似たせりふを聞かされていたような気もする。都合のいいことしか受け付けないこの耳が、曲がりなりにも聞き分けたということは・・・

 年貢の納め時を悟ったYさんから、それまでの喧嘩っ早くて強引で、好き嫌いが激しく思い込みが強く、我執の塊りだった強烈なアクが抜けて、薄味の好々爺にと変貌していった。好意のめがねにかけなおして眺めれば、行動的で知識欲旺盛で、感情豊かな個性的人間ではあったから、今ようやく、両てんぴんのバランスが取れてきたのだとも言える。
 長い付き合いのG(爺)フレンドだったけど、手ひとつ握らせないで、それで通せた昔人間は可愛いものね、と甘酸っぱい表情でMちゃんは振り返る。思えばこれまで何度、あの押しの強さに辟易させられてきたことか。とはいえ、もとよりMちゃんもただの人。どうやらここにきて、やっと彼女も眼鏡をかけなおすまで行き着いたらしい。
 これも時が持つはかり知れない力のひとつ。ふたり共々に行きつ戻りつしながらも、無駄ではない時間を過ごしたことになるのだろうか。
 さあこれからも頑張って。おたがいきれいに歳をとりましょ。 ここにも似たり寄ったりなのがいるのだから。
と語りかけたら、あのYさんどんな反応をみせるかしら。 もし、いつか会う機会があるとしたら。
  
                                            (20/3/18)

 いつか眠りにつく前に
 誘われて久しぶりの映画鑑賞だった。
 年老いて病床の夢うつつの境から、過ぎ去った遠い日の愛を回顧するストーリーは珍しくないのに、登場する人物一人一人の優しさを綴り合わせて、生きるよろこびとかなしみを歌い上げる映像と音楽の魔力。
 始めは軽くデートを楽しむくらいの気持ちだったのが、途中から心に染み入るわびしさに包まれ、晴れ晴れとしてあかるくなり、揺らめくはかなさが深く伝わってまぶしく、幾たびも目を閉じずにはいられなかった。
      日のあやよ、そよかぜよ、ただ。
      かげろふよ、さざなみよ、ただ。
      にほふのみ、ゆらぐのみ、ただ。
      無為に、ああ…   
 胸の中に頭の中に、好きな詩の一節ががかすかに行き来していた。

 300人くらいは入る場内で、ほかははるか後方にたったひとつきりの人影しか見えないことにまず驚く。
 娯楽の少ない昔は、二本立てか三本立てを一日中放映してあきたらず、夏の夜はナイトショーまで場内から観客がはみ出るほどの人気ぶりだった頃との、あまりの違い。
 若かったその頃とは、同じ映画を見ての感じ方だけでも天と地ほどの相違があるだろう。時代の移り変わりと、受け止める心のあり方の違いに気づけば、いっそう想いが深まるのだろう。そして広い場内に人いきれはなく、劇中の登場人物たちの心の動きは、さえぎるものなく迫るに任せた。
 映画の題名は、いつか眠りにつく前に・・・   思いを入れこめての賛美などしなくても。ただ。
 誠実にまたこんなにも清らかな時間を持てたこと、誘ってくれたPちゃんに感謝しなければ。
 
 三月に入った。
 今日も柔らかな日差しと、淡い牡丹雪が舞う風景を、交互に窓の中で見ている。
 余韻に浸りながら、なぜか例年に増して春が待たれる。   
      放て、心を、ひょうびょうと、
      空と水とのなまめきに。
 お土産にもらったチョコレートの、コーヒーとカカオの淡い香りもマッチして爽やかにあと味よく、いっそう追憶と郷愁を掻き立てるその日は3月3日、あるかなし華の気配も漂わせて静かに更けた雛の夜だった。   

                                                                   
詩「海豹と雲 (20/3/4)

神頼み
 野球少年の太郎は、高校進学の際、野球をとるか勉学をとるかで悩むほどのひまもなく、不思議な大きな流れの中で、自然に野球へと傾いていったようである。
 大概はプロ野球や社会人野球、あるいは学生野球などに熱狂する親がいて、そんな環境からくる影響が大きいと思うのに、そろってさめた見方しかしない両親から、どうしてあんなにも野球好きな子ができたのだろう。私のDNAだって少しは受け継いでいるはずでは? そのよしあしは別として。
 親は希望を込めてある程度は将来の指針を示唆したし、幾つかの障害もあったのを乗り越えたのだから、最終的に彼は自分で決定して乗る舟を選んだことになり、大まかに言えば自分で運命を切り拓いたともいえる。

 太郎は仮の名。生まれたときから大きな祝福と幸運に恵まれていた。
 誕生を誰より強く待望していた彼の祖父が、昏睡の床から未来への祈りを込めて「健生」の名を残し、彼は周囲の誰からも愛されて素直に育った。不思議に幸運が付いて回り、それは亡くなったおやじの霊に守られているのだと今でも息子は口にする。 
 ところが。その強運から最近は見放されつつあるのでは?
 地方ではエースとして活躍していたが、強豪ぞろいの関東で大勢の仲間に抜きんでるのは今までの数倍努力が要る。何より学業優先で、苦手の芸術文化にもまったく無縁というわけにゆかない校風だし、疲れて帰れば山ほどの汚れ物との格闘が、毎夜待ち構えているのだし。
 本心は挫折に耐えられる強靭さを身に着けてもらえれば、これに勝るものはないと思ってはいるのだが。

 今年春の高校選抜野球に甲子園出場がきまった。
 入学の翌春に夢の甲子園へ行けるのは、やはりラッキーなのかもしれない。レギュラーの9名はみな上級の2年生で、念願のレギュラー入りは果たせなかったから、残る9名の正式決定までには目の色変えての競合が続いたと思われる。のんびりおっとりの太郎は、そこで太刀打ちできるだろうか、いや案外図太くてちっともコタえてはいないかも、など想像してはときどき落ちつかなくなっていた。 
 足が速く、狙った盗塁は失敗したことがないという。今までは「東海のイチロー」とのニックネームだったと聞いて、イメージが狂ってしまったが、今回も俊足と瞬発力を買われて、とあったから、ふーん役には立つのだと考えが変わった。 盗塁。ルールには違いないとしても、それより運の神様、ここしばらくホームランからは縁遠くなっているのですが…

 
いけない、いけない。苦労は買ってでも与えよ!

 甲子園の星。名前が素敵なスポーツ誌に載った紹介文を見たらこうあった。
 将来進みたい道
――「野球関係の仕事」
 7割まではプロ野球選手、ほかは弁護士とか会計士とかの中でひとり異色の発言。
 異色とまではゆかないとしても、野球関係とは、かわいいというか堅実というか。 日ごろ両親が教えていたプロへの道の険しさを、彼はしっかり覚えているのだろう。それとも身をもって感じ取ったか。
 当分は少年大志で行っていいのだよ、と取り巻きはここにきて勝手な欲を出している。

                                                       
(20/2/24) 
 
賛歌とエレジー
 床の上で組んだ両手両肘で、作った三角形の上に頭頂を乗せ、壁に向かい二つに折ったからだをできるだけ近づけてから、そっと足をけってみる。二度、三度、できたできた、久しぶりの逆立ちのポーズ。
 力を抜くとふわっと浮き上がる感覚。すっと音が遠のいて、顔が熱くなってくる。下から眺めあげる世界は当然のことさかさまで、流れる血も逆流しはじめたのではないかしら。
 この姿勢で、思いがけない逆転の発想に教えられることもあって、私は「トンヒのポーズ」と勝手によんでいた。 ヒントを逆さまにして。ときにはトンでもないヒントだって生まれるし。

 当時の印刷手段のひとつだったガリ版の原紙切りに追われた時期がある。
 息子が小学生の頃、学級新聞作りを手伝ったのがきっかけで、小さな印刷会社から次々持ってくる時間切りの原稿を、断りきれず引き受けては、若さのせいもあって不自然な姿勢で無理を重ねた。面白半分は始めのうち、やがて全身の関節が弱音を上げ出したのに気づくまでまで8年たっていた。
 次の7年間がヨガと付き合うことになった。ヨガマット・ヨガスーツはおろか、同好の友と事後の喫茶店ゆきなどお楽しみ時間もなく、ただ必要に迫られての孤独なたたかい、というとちょっと大げさだけど。
 
 その効果は理屈より体験で実感できた。本との出会い、はじめて逆立ちのポーズができたときの予感と感動。人知れず自信を抱いて、最初の1年365日をただの一日たりとも欠かさず、夜中にずれても実践しとおしたのには我ながら感心する。
 原動力は興味とたくさんの余得を知ったからだろう。「ねじりのポーズ」のマニュアルどうり体をねじって、極限の一歩手前で静止するときのストイックな爽快感。これほどの水気が残っているのかとあきれるほど、全身から汗が流れて、おまけに水分とともにこびりついた古い油まで搾り出され、みるまに娘時代の体型が復活した!
 「雑巾のポーズ」と名づけたのはこの状況にぴったりだからで、愛着があるけどちょっと相済まない気もする。
 「トンヒのポーズ」だって負けてはいない。逆立ちから身を起こしたときの腰の軽さは信じられないほど。よくもまぁこんなに重いものを日ごろぶら下げて生きていれること。

 本も幾冊も読めば、84種類とかの基本の形、瞑想を基にした奥行きの深さなど幾分かは理解できたものの、メンタルな部分は当時あまり念頭に置かなかった。ただ体が柔らかいのか、基礎的な幾つかのポーズはすぐにマスターし、指、手首から、ひじ、首、肩、腰、と面白いほど順序良く襲ってきた痛みの半分以上は退治した気分で心地よかった。
 節目節目は7〜8年ごとに来るらしく、絵のほうに執念が生まれると同時にいつしか熱は冷めていったのだが、忘れかけていたこの頃、かつての痛みがまた少しずつ顔を出し始めている。
 今でも腰が重くて億劫なとき、気分が優れず転換を図りたいときに行えば、劇的な効果があるのだが、あの熱中ぶりは戻らない。「雑巾のポーズ」だって擦り切れた古雑巾ともなれば、絞っても雫だって落ちやしない。

 マイカーを運転し、溌剌と余暇をカルチャー教室で楽しむヨギたちは、ただそれだけでじゅうぶん。頑張る必要はなくて、楽しみながら美しくなれるところが一番なんだから。(私だって、それなりに?)
 新たなヒントは得られなかったけど、無理なく思いこめたのが今日の成果だったのかも。
                                                        (20/2/12)

 猫の恋
 大寒中の凍てつく夜、どこかで恋猫が啼いている。
 ネコは見かけによらないもの。 いつもの取り澄ました貌かたちや仕草からは、似てもにつかぬ異様な響き。
 近づいてくる声は否応なく胸底まで入り込んで、平和なムードをかき乱す。
 なりふりかまわずむき出しにした動物の本能って、なにやら哀しい。人間も理性を失えばこうなるのだろうか?

 童話の本に出てくるような愛らしい三毛と、三倍くらいはありそうな大きな黒猫の恋物語を知っている。
 ひとりっこの息子の遊び相手にと、もらってきた三毛の子猫は、ひいき目なのかも知れないが、人間にしたらすごい美人に思えた。性格も穏やかで品よく、てまりで遊ぶ姿など、よく出来たぬいぐるみのおもちゃみたいにかわいい。
 遊び疲れると私の横で丸くなっていつも眠っているのに、玄関でただいまぁと息子の声がすると同時に、さっと身を起こし、たんすの上に音もなく駆け上がる。 外出から帰ってくれば、足元に頭を擦りつけてくるのに、お愛想のつもりで手を出すとどこかへ逃げてしまう。息子の荒っぽい愛情表現はもちろん、飼い主のスキンシップも余計なおせっかいらしい。そのくせ夜だけは、追い出さない息子と仲良くひとつ布団で眠っている。
 猫と女は構わないと擦り寄ってくるし、触ると嫌がるって、ホントだ。
 
 この猫心を、さすがに同属の隣家の黒いオス猫はよく心得ていた。
 あっという間に成人して、はじめてのフェロモンにまみれ、姫御前のあられもなくひとまえで悶える三毛の狂態も驚きだったが、それを私と並んでじっと見守っていたあのオス猫は、きっと手練手管に長けた恋の猛者だったのに違いない。思慮分別をわきまえた人間様だって、あんなに気長には待てるかどうか。
 小柄な娘の三毛はなかなか恋が成就しないのか、疲れ果てては朝になるとうすよごれて部屋に戻ってくる。そして食べるものも食べず、このときばかりは撫でられても蹴飛ばされてもコタツの中で数時間は眠りこける。
 その間中眠りもやらず、恋にやつれた三毛が体力を回復するまで、部屋の外で泰然と待っている黒猫は、障子を開けるたび、わけ知り顔のおじさんみたいな目で私を見つめた。飼い猫だから人間は同類と考えているらしく、とても大人なんだと見識を改めた自分の方は、これまた猫との区別がついていなかったように思われる。
 壮絶な幾日か過ぎて静けさが戻ったとき、今までと変わりないように見えた三毛は、母親の準備をこっそり始めていた。そのあとに厳しい育児の生活も待っていた。
 当然なことながら、動物に課せられた宿命、などと考えながら粛然として見守ることになった。

 最近では人間とペットの境が少なくなって、洋服を着て、オムツをされて、帽子をかぶっている猫がいる。栄養剤を飲まされて糖尿病で通院しているのもいる。孤高な猫族の矜持はどこへいった?
 人間関係が希薄になった半面で、子どもの反抗期が見られないと同様、こんな過保護で動物を甘えさせているのも不自然な社会現象のひとつだ。
 三毛のけなげな後日を語って聞かせても、当世のペットたちなら、「時代は変わったのさ」とうそぶくのかもしれない。
                                                         (20/1/28)

 
 雪夜の向こうは
 雪が降る あなたは来ない… 駅北のマンション9階から見下ろす眼前に、いつ見ても常夜の駅の灯りがわびしく連なっていて、粉雪だけが音もなく舞っていた。思えば雪への哀傷はその一点から始まっているようだ。
 切り取った窓わくのなか一面は、霏々と降る雪の模様。
 あるとき見たテレビの画面から突然衝撃を受けて、はからずも気づいた心の深奥にひそむ想いを、いつかは描いてみれたらと考えていた構図である。
 背景の夜空は、紗をすかしたような半透明ではなく、純黒がいい。そして雑念の入り込む余白はいらない。

 “罪とがのしるし天にあらわれ”と詠ったのは朔太郎だが、田舎を恐れ、都会の喧騒の中で孤独を愛したこの詩人が、もし北陸に住んでいたら、そして魔物が舞うような雪の夜空を見たら、どう表現しただろう。
 ビルの林や行き交う人の群れ、あらゆる色彩も音も消し去って、万物を透明に凍らせるような都会の冬では、見えぬ神に向かって、何かを懺悔せずにはいられぬ思いに駆られるのかもしれないけれど、それに引き換えてこの北陸の冬は。
 目をそらさずじっと降りしきる夜空を見入るたび思う。 
 ―― もっと強くなれるでしょう。 叱咤するような勢いで、激しく止めどもなく舞いそそぐ大小の白いもの、 いっそのこと底知れぬ闇の世界の中へ、思い切り吸い込まれてみたら。
 突き抜けたところに待ち受けているのは、あかるく暖かに燃える、情念の満ちた別世界ではないだろうか。
 純黒の果てに連なる真紅。色の使いすぎか目の錯覚?
 もしもただ単に心の反映に過ぎないとしたら、そこに特別の意味合いが篭ってくる。

 幸か不幸か、今年はまだこのような雪の夜空が見られない。
 冬らしからぬ晴れあがった日ざしに少しときめいて、いつもの机の前に陣取ると、やがてあちこちに出来る小さな隙間を、干からびた空気がひっそり流れているのに気づく。そしていつも心が渇きはじめるのを覚える。湿った冬の、うるおいの世界が徐々に消えてゆこうとする。
  降り積む、雪の夜空が見えないから。
 絵にする前に改めていま一度、眼前に眺めて確かめたい心の動き、暗黒に燃える吹雪の空が待ち遠しい。
 弱い冬日は、くすんだ常盤緑の木々の葉を震わせて、少しずつ光を消してゆき、かすかに薄れゆくひとつの想念が、さざ波を立てたまま残された。そしてあかず降り積む雪の夜を待ちはじめる。

                           
                              (20/1/18)

 新春事情
  大晦日からの続いての雪の中で新年を迎えた。
 二人の孫も中、高と成長した今では、にぎやかな歓声もあまり湧かず、静かでのんびりしている日中が、なんだか穴ごもりの熊の一家を思わせる。
 上下とも白の太郎、黒の次郎は、もう親より背丈が高いから小熊ともいえないが、見るたび将棋のこまのように、静止しながら場所だけをころころ変えているのが面白い。母熊は一番暖かいところで丸くなって、これはいつ見ても同じ姿勢で眠っているし、父熊は飽きもせずテーブルに本を開いて読みふけっていて、ともに毛足の長いファーのついたポンチョを羽織っているのが、格好の熊一家に見えてくる。

 ひざの故障で動作が鈍くなり、年末の掃除もしてなかったのに、ここで思いがけずお嫁の
Eちゃんが主婦の能力を発揮した。3頭の大小熊たちをうまく使いこなして、リビングも台所もきれいに掃除し、ヘルシーな食卓作りもしてくれた。
 けれど玄関の畳3枚ばかりの一角では状況が異なる。持参した水や食料や、マニュアル本にコピーした書類のほか、料理の器具や着替えの衣類なども混じって、それはもう新年の家の玄関とは思えないありさま。
 よくもまあこれだけのものが車に入ったこと。
 あきれて立ったまま見下ろすと、ビニール袋から顔を出して林立するボトルはビル群で、積み重なった本は町並みで、シャツが覗いている幾つものカバンは森で、合い間に人の通る道もあけてあるさまは、まるで街造りのミニチュアを眺めるようである。
 「偽」の一字が象徴する現代の食事情に逆らって、4日間の短い滞在期間とはいえ、水から調味料、主食の玄米から惣菜・ケーキにいたるまで、日ごろ使用の自然食品群を運び入れたのである。 だからお雑煮の用意だけはしたけど、恒例のお節料理は一切いらないという。
 発芽した玄米。いく層もの原石をろ過した活性水。積まれたパックの中からは5時間煮込んだ丹波の黒豆、ミキサーにかけた大豆と寒天のゼリーは、素材の持つ美味しさを教えられたし、ノンカロリーの甘味料を使った濃厚なチーズケーキにはうなってしまった。
 (おお、この熱意 いつまでも続けばいいのだけど?)

 皆の顔がそろうのは年一度しかないからと、お墓参りを発案したのは息子で、雪道を勇ましく踏み分けて先導したのがなんとEちゃんで、墓前で勢いよくあげてくれた般若心経は二人の孫の主唱で・・・いままでと少しずつ変わり始める日々を、予感する新年となった。
 ここでのんびりした以外、はじめての帰省だった太郎は、学校に戻るまで連日旧友にまねかれて忙しいし、次郎も4日からもう部活動が始まる。息子たちもそれぞれ多忙な仕事が待ち受けている。
 皆が帰ってひっそりとなった家で、ひとり売れ残ったお餅でお雑煮と、取り寄せてあった少量のお節をかわいらしく盛り合わせて、たのしみながら思った。置いていったものを消化するのに向こう一週間はたっぷりかかる。その間あちこちに染み付いた息子一家の匂いも消えることはないだろう。
 片付いて広くなった玄関を見るたび、どうやら年寄り熊も一頭いるようだと笑いがこみ上げてくる。

                                                          (20/1/5)

 和の色
 真紅に燃えていたどうだんは、いつか枯葉色のひとむらに変わり、今はまとめてくくられて、そこだけ一面に朽葉色のじゅうたんが敷かれている。 かえでのえんじと、田向のこむらさきが、くすんだ常盤緑の古庭をわずかに彩っている。
 かたわらに咲き乱れて妍を競うさざんかの紅が、脇役となってあまり視界をふさがないのは不思議といえば不思議だが、年相応に忠実に切捨て選択をした映像だけ取り込んでいるのだろう。
 時雨れて、もやってかすめば、利休ねずみ一色の世界と変わるのも愉しく、日が差してところどころにきらめく水滴は、かすかな銀の鈴を鳴らすように、これはまた五感をくすぐってくる。
 
 平安の頃、衣服や調度には、さまざまなみやびな名前がつけられていた。
 多くは草花を染料として染め上げられ、花木の色は分解されて、それぞれの色合いに応じた名前がついていたが、衣装が次第に華やかさをまして、重ね着の時代となるにつれ、配色や濃淡を組み合わせた対のものが生まれてくる。「色目」というのはそれだろう。 色っぽい、の意味とはまた別のもの。
 「梅重ね」とか「桜萌木」とか「早蕨」とか。「萩かさね」とか「すおう菊」とか。「松かさね」もあり「つぼすみれ」もある。
 はなだ色、玉虫色や海松色(みるいろ)は今も単色の名で使われている。
 にび色 は青花に炭をさして。 冬の日本海を表現する色だ。
 武家時代ともなれば、狩衣のほかによろいの打ち紐やおどしの糸にも使われて、荒々しい戦国の時代をいろどった。
 

 日本画の岩絵の具にもいくつかの名が残っている。
 一日に一度、何も出来なかった日にも必ず覗き込み手にとってみて、視覚触感を楽しみ、ついでに名を読んで語感も楽しむ。
 体調を崩して落ち込む日があっても、水晶、岩緋、群青、緑青と鉱石から作られた原色のほかに、こうばい、ぼたん、ききょう、かきつばたなどの鮮やかな花の名の色、さくらねず、やなぎば、みずあさぎ、すすき、かれは、うすずみ、と中間色を並べてゆくうちに、華やかばかりではないこれらの絵の具を眺めるのが、どんな名医の処方する薬よりも即効があるのに気づく。
 暗夜から夜明けになったほど明るい気持ちに切り替わり、とんでもない活性剤となるその魔力に驚いて、おもわずしげしげ見つめなおしたこともある。
 雨の日、城ヶ島にも降る雨と同じ利休ねずみの、灰色に混じる薄みどりが、日によって濃くも薄くも異なって感じるのも微妙だ。

 寒々とした冬の庭が、もの柔らかな利休ねずみに染められている。
 知人のMさんが両手に抱いて、様子を見がてら届けてくれた初々しいピンクのプリムラと、その心配りが、うす紅・萌木・白の組み合わせの色目「桃」を作って、周囲に溶け込んでいるのだろう。 
 そこはかとなく優しい気配を漂わして、あたりを和やかに潤している。好みで独自の名をつけられたりもする控えめな和の色合、今日のこれをなんと名づけようか。
                                                
(19/12/21)
                                                                   

 楽書きは教える
 日記などといえるものではなく、ふと頭をよぎった数々を、とりとめもなく片端から書き散してあるだけのメモ帳が、また1年間たまった。日々自分を投影する何かを、この1年も溜め込んできたようである。
 自分自身にさえ判別しにくいこんなもの、温存していて万が一、誰かの目に留まりでもしたら。 しかし捨て去るにはちょっと惜しいところもあるにはある・・・
 形にもならぬ図形に、漢字カタカナ入り乱れてソウとウツとがここかしこ。当然だけど華やかといえず深まりはなく、文章の切れ端をつなぎ合わせたくても、あまりにばらばらで系統はたたず…、と呆れてケチをつけながら漠然と目を通すうち、おぼろにひとつの形が浮き上がっていた。
 
 絵を描くものに二通りあるという。目で見るモネのタイプと、脳で見るピカソのタイプ。
 メモ帳のいたるところに挟み込んだビラに、余白の朱色の文字、紙をめくる手の感触は脳内の作業野を刺激し、漢字は側頭葉、かなは頭頂葉、転換は両方を。美しく書きたいときは後頭葉の視覚野が、文章組み立てには前頭葉と、ほぼ脳内のすべてを活性化させるそうだけど、このときだけはピカソになっている。
 1歳の幼児にクレヨンを持たせたような一枚があり、
 カンルイナガレ ミハホトケ・・・ カタカナが羅列する一枚は、白秋の「白金之独楽」がどれほどの刺激を与えたものか、気が狂うほどストイック、
 クロッキーのつもりらしいうねうね延びる線が交差する一枚には、描きたい「情景」のひとつまで、なんとかたどりつこうとする執念がほの見える。
 ”ここ過ぎてメロデァの悩みの群れ? ここ過ぎて神経の
甘き魔睡”?
 「邪宗門」らしい一節が、「苦き」から「甘き」に大変換しているのは、その日の体調のせいかも。
 ”あはれ花びらながれ をみなごに花びらながれ――”
 負けじと三好達治も続いている。この日は確か情景30号に一日取り組んで、現実との境がぼんやりしてしまった抒情の日。花びららしい変形のハート型がランダムに散らばり、松川をながれる花びらの写真を参考に、と添え書きもついている。 
 落書を系統立てるのは無理としても、そこここで詩の断片が見つかるのは。

 詩情はいつも湧くけれど、詩作はできない。時間も才能も分散できるほどの余裕はないから、手っ取り早く詩集の中に心うつ詩をみつけだして、その中へ没頭したらこと足りる。表現したくなれば、そのときは絵に向かって・・・とはうまくゆかないとしても。
 ようやく、気づいた。
 絵を描くのが好きだから、生活の殆どはそこを目指していると思っていたが、本当は逆だった。
 ただ身の程に合わせて進むべき道を選び、ただ懸命に生きていたら、ここへきて、ただいくつかの作品らしきものが残っていた、ということだったのだ。
 似たようなものでありながら、モネとピカソほどの違いがある。 そして、とりとめない落書の中に、たどってきた半生をついなぞっている自分が見えてくると、それは懐旧の念というより、いまの自分を確かめる大切な作業なのかもしれないと考えてしまう。
                                                 (19/12/10)

 Hさんのこと
 Hさんは、今ように言えばイケメン・小顔のスマートな体型で、自称「肥後もっこす」からは想像できないほど優雅な好青年である。地元九州から上京して大学へ、なぜか就職だけが富山になった。
 独身の気安さから朝・夜お構いなしに我が家へやってくるのは、先輩Hのやや強引な勧誘を断りきれない面もあるだろう。親しくなっても礼儀を崩さず、先輩を立てながら品よく甘える。まとわりつく奔放な女性陣を扱いかねて助言を求めるときは、その生まじめさが幼いほどに頼りないが、コーラスも会話もダンスもリラックスすると、同輩から教師の顔に見えてくることもある。
 お酒は弱くて、先輩Hが酔いつぶれると私よりまめまめしく介抱する。 好きな歌が一致して、読みたい本も等しくて、来たれ、わが友とばかり歓待する頃には、彼の引力に引き寄せられた見知らぬ若い女性たちまで集まって来て、町外れの小さな2DKはときならぬ小さな社交場にと変わった。

 そうこうするうち、ご近所の校長先生のお宅からやんわりと苦情が舞い込んだ。
 まだ小学生の娘二人、少し興奮気味で眠らないのでもう少し何とかなりませんか、という。
 もっともな次第。それから自粛してコーラスはハミングに、雰囲気作りのローソクもとり止めにする。ギターが得意の友人や、珍しいもの見たさのヤング女性たちの足は次第に遠のいていったが、それでもなんとなく華やかな空気が戸外へ漏れるらしい。
 校長先生の娘姉妹はなかなか利発そうで、ふと道であったときは必ず近寄って話しかけたりして、特に上の4年生は別れがたそうなそぶりに見える。 興味もってるんだ。少し頭をひねってみようか。
 家に招き入れて二人で輪唱した。”森へ行きましょう娘さん” ”おお牧場は緑”、 まだ教科書に載っていない外国の歌が新鮮なのか、たちまちリズムに合わせる小4のおかっぱ頭が揺れる。
 好きな小説の一章を思い入れたっぷりで読んで聞かせる、ちょいと大人の魅力をちらつかせて

 
何人か集まった時、隣接する窓からのぞいているのをすかさず呼び込んで、仲間の端に加えてみる。
 カリンカ カリンカ カリンカマヤ・・・気がついたら彼女はちゃっかりHさんの隣で腕を組みながら、とろけそうな笑顔で歌っている。なんだ、彼女もHさんに吸い寄せられた幼い蝶々だったのか。
 まもなく校長先生は道で会うと、やあお宅は楽しそうですねと笑顔で挨拶を交わすようになったが、娘をよろしくと言われて少しばかり胸が痛んだ。

 それから、?十年。
 私たちは各地へ転勤でばらばらに、それぞれが新たな出会いと別れを繰り返すことになる。
 Hさんは郷里の熊本へ帰り、事業を起こし会社を経営してから多忙になって、交流は殆ど手紙だけになった。あのころが、私の青春でした、とある行間に懐かしさがいっぱい滲んでいる。
 いつか九州を旅行するときは、必ず熊本を案内するからと固く約束を交わし、楽しみにしながらまた日が流れた。
 その約束は果たされぬうち、先輩Hは病を得て亡くなり、はるばる九州から尋ねて来てくれたときは、折悪しく行き違って会うことが出来ず、機会を逸したまま再び東西に別れた。
 「じじぃになりましたよ」電話口で聞いたHさんの口調に、別れてからの年月の長さを感じた。電話嫌いの自分が、あとにもさきにもたった一度きりの電話で交わした会話。

 ―― そのHさんの訃報が、突然届いた。 晩秋の、静かな午後だった。
 
                                           (19/11/27)
 寂しさのあとに
 ”沈黙が部屋の中にゐた/  まことの実在のやうに”
 晩秋のうら寂しい光線が庭の木々へ降りそそぐ頃、ひとり読み古した詩集を繰れば、いつも静かに言い聞かせてくるような、フランスのある詩人の詩に目が止まる。
 
       もの憂くやさしい今の幸福が
       人生の天秤の上にのせては 
       あの空を流れる白い雲ほどの

       または晩秋(おそあき)の日の 
       なめらかに黒ずんだ幹の上に置く
       日のまだらほどの重みもないことを…   

 そして「さびしさ」と題した詩でなおも語り続ける。 
       私は知っている、自分がお前をいつまでも愛しはしないだろうと
       それを思うことは お前を愛することより多く私を痛ませる、
       私のよろこびと悲しみのやうに お前はいま私の中にある、
       私のよろこびも悲しみもそうしてお前も いつかは私を去るはずだ。

       今このやうにしっかりとお前を抱いている私、
       この私に対してお前がひとひ、今日の路傍の人よりも、
       無関心になる日がやがて来るはずだ。

       何故 私がさびしがるのか知りたいと お前は云ったね。
       ――分かったか?                        堀口大学訳「月下の一群」より
                                        
 この詩人はどのような愛の形で、どのような日々を生きたのだろうか。 

  晩秋の透き通った光の中では、わけもない感傷に浸るのは心地よくさえあって、大概は熟しきれない木の実を、陽だまりの中へこぼれて落とすようにして終幕とするのだが、ふと遠い過去のことなど思い巡らして、すっぽり寂しさに包みこまれてしまうときもある。
 しかし純粋な詩人の心は、このさびしさのあとさらにくるものを、きっと自分と同じ想いで感じたときがあったはずだ。そしていつかはそれを優しく歌っているだろうと強く思う。
 象徴の付け鼻をとって、感情の紅おしろいをけずりおとして、顔を洗って出直せ。 昨日の定評より、明日の価値をと、無名の新人を開拓しつづけた堀口大学に響いた詩心が、少し分かりかけるような… 

 晩秋のうら寂しい光線はいつか消え、木々は黒く影を落としている。隙間から洩れる幾何学模様に光るもの、隣家のともし火が暖かい。 
                                                (19/11/19)  
       
 文化の日
 曇り空から徐々に秋晴れを取り戻した文化の日。
 広い芝生に大勢の子供と親たちが集まって、楽しいイベントを繰り広げている。
 緑に染めあげられたような平和な風景を、片隅から眺めるってなんて素晴らしい時間。 
 欲張って二つ目の企画展に足をのばしたおかげで、見終えて外にでたときには、ゆらゆらと体が揺れる感覚で、なんだか足許もおぼつかない。それで陽だまりの芝生の端にのんびり腰を下ろした。
 澄んだ大気に乗って流れていたにぎやかな歓声が遠のいて、いつしかタイムスリップしている。

 H市の山間、肩を寄せ合ってひっそり立つ小さな部落に、たった1年の短い期間住んだことがある。
 11月、収穫もおわって冬を迎える前に、例年住民あげての運動会が催され、移住して間もない私がなぜかリレーの選手として指名された。あっさりと辞退は出来るはずだった。けれど。
 これは、新参者の実力を試そうとしているんじゃないかしら。   
 はい、それならば受けて立とうじゃないの。

 リレーはバトンタッチが肝心よとばかり飛び出しの、距離は開きすぎの、あわててバトン受け取りに戻るのと、最初から波乱含みの幕開けだったが、さてそれからが見もの。
 私の組は中間4位か5位当たり、つかず離れずの状態で引き継いだが、だからといって適当に力を抜くことは許さない。ひとりでもいいから追い抜かねば。
 もっと早く走れるはずでしょ。心は逸るのだが、悲しいかな平和な主婦生活に慣れた足が一向に追いつかない。上半身ばかりタッタッと前傾しはじめ、あららと思う間もなく、次の瞬間天と地がさかさまになっていた。見開いた目に青い空が広がっている。あーっというどよめきらしいものが風に乗って聞こえた。

 若かったせいかあまりメゲることはなかった。胸の動悸もメンタルな理由とは言えなかった。皆の前に戻ってきたとき、頭を抱えて最敬礼のポーズがひとりでに出て、
「いやいや、あんたの足の速いのはよく分かったがいね」と誰かが大声で言い、好意的な笑い声が沸き起こって、しまいには拍手になって受け入れてくれた…
 翌朝、登校する子供たちが家の前で大声で話している。
 ここのジャーマ(妻のこと) リレーでコケたんやぜ、ガヤガヤ・・・
 首をすくめて聞いたけど、やはりすぐに忘れた。 当時は女性のパンツ姿はまだ一般的でなく、私もスカートで参加したはず。派手に転んでどんな光景が展開したやら。 きっとどこの家でも夜の食卓の話題は賑わっただろうと赤くなったのも後のこと。
 頑丈な若さと柔らかな遠い昔の思い出が心をくすぐる・・・

 警笛が聞こえた。タイムアウト。 
 気がつくと、帰りのバスが近づいている。
 あわてて身を起こし、2〜30メートルを走った。一生懸命、のつもりだけど呆れるほどにスローモー。
 ようやくバスに乗り込もうと踏み込みに足をかけたとき、カクンと膝が二つに折れて、まるきり力が入らない。腰が、いや膝が抜けるってこのこと?
 踏み台に手を突いてようやく立ち上がるまで、待っていてくれたバスはそれから何事もなく走って、無事家に帰り着いたけど、リレーの失敗よりも何倍か恥ずかしかった、×年後のきょうは文化の日。
                                                (19/11/3) 
 
 目は心の窓?
 毎日の朝刊をじっくりと時間かまわずに読めるのは、定職のない自由人の一番の有難いところ。
 一日の行程をふりかえってみれば、もっぱら机の前に陣取って、活字を漁り絵を眺め、字を書きちらすなど、老眼を鞭打ちながら大半が過ぎてゆく。合間にぼんやり戸外を眺めて李節を感じるのもほんのひと時で、納まりきれない情感が湧けば、眼鏡をかけなおしてただちにパネルに向かう。
 五感のうちでも私にとって一番大切なのが視覚。なのに、自分の部屋にこもってくつろぐときはさらにテレビを見ようとするし、夜ベッドに入ってからさえも、スタンドの下で、いくつかの本のページを繰ったあとでなければ休む気が起きない。この日ごろの酷使に黙って耐えてくれた目が、近頃言うことをきいてくれなくなってきた。

 ひところ右脳開発プログラムに凝ったことがある。
 一対百万といわれる無限に近い潜在能力とかに憧れて、丹田呼吸や太陽視にライト視、マンダラカード、3Dカードを使ったアイトレーニング、速読・速聴、残像訓練と、忙しくも力いっぱい貴重な時間を費やしていた。 
 アインシュタインやエジソンの膨大なメモや手紙類、記号や絵でいっぱいというダビンチのノートって、どのようななものなんだろう?
 想いをはせながら、実はそこらあたりで低迷して抜け出せないまま、せっかくの思いつきも徐々に限界を知らされ後退へと向かったのだが、反面思いがけない効果に気づいたのはずいぶん経ってから、そのとき遅まきながらあっと驚いたものである。
 それまでは週4〜5の割合で体調不良をうったえて、しまいには誰もまともに取り上げてくれなかったほどの腺病質が、一転風邪も痛みも縁切りの健康体となって、保腱組合から表彰されたこと
 朝の目覚めは信じられないほど爽快そのもので、パッチリ目が開くと同時にスックリ体が立ち上がる自分がいたこと。心の中はいつも満ち足りて暖かく、ときどきは夢見るような不思議な幸福感に包まれてゆくのも実感できたこと。
 五体、五感とともに文句のつけようなく快調で、周囲のすべてに感謝したい思いが満ち溢れていた。
 ほかにもまだ気づいていないことがたくさんありそう。
 
 最近になって、少々の寒さでくしゃみ鼻水の過敏体質が呼び覚まされ、視力の衰えも一段と進んできたらしく、忘れていた太陽視の復活から再開してみた。でも以前のようにスムースに続かない。
 絵は突然のひらめきよりも、自己の乏しい体験や感覚を基にして生まれるものが多く、イメージ力の貧困を知らされるし、それでも足りないものは文章で補填、強調したくなっている。それも右脳の魔力を帳消しにするという左脳がつかさどる言語を用いて、である。
 ネガティブな考えを持つと、心の中のマイナスが増幅されて、その状態のまま瞑想に集中すれば、コントロールが効かなくなり、かえって危険なときもあるらしい。
 信ずるものは強かった・・・潜在能力が少しでもあったら、と熱中できた頃が懐かしい。
 右脳が左より大きいとか、シナプスの密度が濃いとかいわれるアインシュタインほどではないとしても、もしも、大異変が起きて、天才に変わっていたとしたら・・・ 
 まず現在の平穏な日々は、絶対になかったでしょうね とニヤリとなる。そして大切な目が。
 「天才と引き換えに盲目となる!!」  という、何ともとっぴな思いに取り付かれた。
 このいいわけありありの着想は、私にしては上出来のひらめきとたいそう気に入っている。
                                                (19/10/30)

 ちょっと暖かい話
 肉類や脂肪の多い食品、酒タバコ、運動嫌い、ストレス、肥満。 
 成人病になりやすいこれら周知の生活環境は、同時にまた加齢臭の原因ともなっている。加齢臭は70歳を過ぎたら、男性特有ではなくて、むしろ女性のほうがダントツに多くなると知っていますか・・・
 ぎょっとして自然と筆が止まった。熱中している間は頭を素通りしてしまう音声の中から、聞き飽きた成人病シンドロームのちょっと目新しい情報だけ、いちはやくキャッチしたらしい。

 ”汗腺ではなく全身の毛穴から出る、脂肪酸と過酸化脂質が合体した、なんとかいう名の化学物質”
 最初は40歳過ぎの男性に圧倒的に多いのに、なぜか60歳の定年を境に勢いがなくなり、取って代わってオバァがここでも優勢になってくる、という。 高血圧や動脈硬化の素因を持っている人に出やすい。脳が敏感に反応したのはきっとここだろう。 
 化粧品会社の資生堂がこの加齢臭なる言葉を作り出すと、たちまち業界は便乗して数多くのデオドランド製品を作り出した。この匂い自体は娘たちが大げさに顔を背けるほどの悪臭ではないのに、若者の清潔感を過剰にくすぐって、朝シャンが派生し、おやじ臭とか名づけてイマジネーションの世界ばかりでなく、現実に親子の距離を隔てさせるのに一役買った。 
 この世は常に笑うものの陰に泣くものありの非情な世界ではある…

 でもひとつ、心にとまった小さな話題もある。
 「きれいな水に明礬を溶かしてミストするだけ。それだけのことで消臭効果はあるのです」 
 ミョウバン?それなら日本画にも欠かせない万能薬、にじみ止めのドーサ。 あ、あれは焼き明礬か。 台所のお掃除にだっていいのだし。  ン、それは重曹だった… 
 お金を払って時間をかけて、幾種類もの消臭剤を買いこまなくても。
 まして、これはあの絶世の美女クレオパトラが常用したというのだから素晴らしい。
 急に古い日本の家屋が懐かしく思い浮かんで、うす暗い台所の片隅に、なにやら優しいにおいまで漂っていそうな気がしてきた。 
 この辺で何とか落ちをつけて、絵の世界へ戻らなくては。

 クレオパトラに最も遠い距離にあって、今夜は手製のラベンダーのポプリの代わりに、庭の薔薇を一輪枕もとに置こうか・・・ ミョウバン水は明日ね。
 ひとつの知識を吸収したら、代わりに何かひとつ押し出されて忘却の淵に沈むのだろうなぁと、大げさに嘆いてみたら、心まで少し痛んだ。加齢臭の心配よりも、本当はそちらの被害甚大なのかも。
                                                (19/10/17)

 昴の女
 K.Y … (空気が読めない)?
  という意味の若者新作略語らしい。どこで仕入れた知識だったかは忘れた。聞き流したつもりでいながら、IQやらEUやらの頭文字と一緒くたになって、頭の迷路に紛れ込んでいた。

 過日、年一度のグループ展に7人が集まった。13名の有志で旗揚げしてから、十数年のうちにほぼ年齢順で抜け落ちてゆき、先行きも不透明なまま、少し心もとない思いの幕開けだったのだが。
 女は強い。当初男女半々の比率だったのに、今年は女6人に男ひとり、それも残ったひとりの男性さえ、ウーマンパワーに恐れをなしたか「ワシも止めたい」とおっしゃる。
 それから…各人 K.Y (空気を読む)? となった。
 ここで新人の男性を迎え入れるよりも、女性陣だけのほうが体勢を立てやすいんじゃない?という案が出た。 
 これは新しい視点だった。圧倒的に中年女性で占めていたカルチャー教室は、団塊の世代で定年後の男性たちが増えてきたという。しかし、実績はともかく、年数だけやたらに重ねた者たちの団結は固い。 第一この顔ぶれを見たら、しり込みもしくは敬遠されるかもね。
 時間とともにかもし出されてきた空気…、どうやら最後の黒1点も追い出しかねない勢いとなってきた。
 始めのころは他人まかせだったグループが、ここに来て災い転じて福となす、を地でゆく一致団結しそうな様子である。
 来年の作品展を目指して、毎日頑張りましょう! こんなフレーズで盛り上がったのも、今までに見たことがない。   いっそのこと「昴の会」改め「昴の女」としようか。

 ”「着物は着れる、物は見れる、彼女は来れる、わりかし イカス ハッスル」とやら。 げに奇怪無比の文化国家なるかな”
 晩年の佐藤春夫が、没後発表された「現代日本を歌う」の中で嘆いてからも40年たてば、鋭い風刺とユーモアと抒情の大作家の言葉といえども、もう遠い過去のものとなっている。
 少しずつ進行する環境破壊を自覚しながらも日常を生き、変貌する話し言葉に翻弄されつつ面白おかしく過ごしている現代人は、自分が生きている間の将来しか見据えることができないのだろう。
 このメンバーで何年続く?
 そんな分かりきった問題に、この際答えは不要!
 強いスバルの女たちには、もっと大きな視野で考えたいことがある。
 日本の未来、若者の未来、それから、それからやっぱり自分の、昴のグループは・・・。

 それだったら、希望を持って、これも多分 K.Y。(きっと、よくなる)? 
                                                  (19/10/3)