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 2007年9月〜 Essay

2007年9月1日(土)
親心?

 娘時代から自他共にM過剰を認めていたのに、ここへきてW過剰ともいえる心配事に悩まされ始めた。
 二人の孫がともに男の子で、思春期にさしかかっているのに姉妹はいないし、ガールフレンドとも縁遠い環境なのがその原因。 そしてその度思い浮かぶのは、知人M子さんが若かりし頃のおかしくて哀しい苦心談。

 一人っきりの息子にそろそろニキビが出始めてM子さんは想像した。
 ある日突然曲線美を誇示する可愛い少女が眼前に現れたら、たちまちにして息子の目はくらみ、卒倒するかもしれない。母親としては少しでも耐性がつくよう何とか考えなくては。
 昔々、どこかにものわかりのいいオバァちゃんがいて、ある夜中そっと布団のすそをめくられる気配で目覚めると、それは可愛がっている孫の男の子だった。一瞬のうちに彼の欲するものを見抜いたオバァちゃん、暗がりにひっそり息づくその対象を、寝返りと見せてちらりご開帳に及んだそうな。
 へーと感心はしたけれど、そこまで勇気のないM子さん、湯上りどきの私、せめてそのままの姿で息子の視界をチラチラして見せたら、と考えついた。  まだ30台、現代なら十分シングルレディで通る年齢。 
 ああそれなのに。
 10%いえただの1パーセントの効き目もなかったの!癪だけど息子にとっては「おっかぁ」で時には「ばばぁ」である母親に、間違っても異性なんて感じないのだとは、予想さえしなかった、と笑い転げて、あまりの完全無視に悔しそうな顔。うーん、その気持ちよく分かる。
 
 男女共学、男女平等、今じゃ一歩外へ出れば、女っけで溢れてる、心配なんていらないわとM子さんのダメ押しが重なった。「第一、男の子が理解できないほど微妙な乙女心って,もう過去のものかもね」「いつだって乙女心に変わりありませんよ、ただし内容はうんと違うだろうけど。」私の脳みその奥で交わす会話が聞こえてくる。
 はて、このM子さんって・・・いったいどこの誰だっけ?

2007年8月24日(金)
夏が終われば





 数日の雨のあとに戻ってきた午後の日差しが澄んで光っている。
尾瀬の夏を惜しむ歌が部屋の中に流れると、微妙な季節の移り変わりがしっとりと感じ取れた。そろそろ夏も終わる。

 記録的だったこの年、暑さに負けないほどの鮮烈な思い出を、あの人やあの子達は作れただろうか。いつしか対象から自分自身を除外しているのに気づいても不思議を感じないほど、真夏の太陽からひたすら逃れるネガティブな毎日だった。見逃した企画展や個展も幾つかあるけど諦めの境地。 

 そろそろエンジンをかけなくては。
 あるかなし風のそよぎと空気のきらめきが、気負わぬ元気を与えてくれた。
 近づいたグループ展に備えて、申請書、会計報告書、案内はがき、目録作り、名札作りと、あまりのんびりもしていられませんなぁとのんびり考えた。最短3年先までは予定が、あくまで予定だけど詰まっているのだし。
 どちらが片手仕事なのか分からないほどの創作時間も残り少なになって、のんびり庭の緑を眺めてみる。頭の働きに不満も見せず黙ってのんびり体もついてくる。もう少し涼しくなってください。
 
 気づくと夏の思い出のメロディが変わらず流れていた。今までになく身に沁みて、この先も年々深まってゆくのだろうかと思ったら、ここらでストップできれば、なんて考えている自分に驚いた。記録破りのこの夏とあって始めての思考回路に戸惑っている。
2007年8月17日(金)
太郎の夏休み

 糸の切れたたこ同然の孫の太郎は、この夏どうして過ごしているのやら。
 連日の異常な猛暑もピークになったお盆の日、息子夫婦が様子を見に上京した。 一日に少なくとも5〜6度は着替える汗っかきと、真夏でも分厚いソックスを履かないと眠れない二人の珍道中に、巻き込まれたら大変なこと、誘われたけどあっさりご辞退をした。

 夏休みの間も、毎朝8時から夜8時まで部活やら練習試合やら、そのあとのお風呂に食事、加えて太郎は友人同士の交流も楽しくて、毎晩11時過ぎないと自分の時間もないらしい。
 なれないひとり暮らしにこの暑さではさぞかしと、案じるのは取り越し苦労なのかも。そうは思っても、再三再四状況を尋ねる連続の質問攻めに、やっと返ってきたのがたった4字のメールだった。 『キビシイ』
 キビシイ。聞いた私は、おかしい。
 この4文字の裏に、何がこめられているかを確かめたくて、上京する二人を送り出した私も不安が襲う。

 押入れの戸を開けたら、想像通り洗濯物の山がどっとあふれ落ちた。
 ここまでは想像通りだが、洗濯済みの衣類をそのまま詰め込んだビニール袋ばかりで、広げてしっかり形状記憶されたしわを伸ばすのにひと苦労。二日間のうちゆっくり話し合えたのは1時間きり、でも行って安心できてよかった、心配した落ち込んでる様子はなくて、今までどおりの顔を見れたのだが、変わったと言えば、この顔が一番の変わりようだったねと息子が報告する。

 痩せた?、それとも黒ン坊に?
 いや、バタバタのグチャグチャ。ニキビやらあせもやら。あれ顔も洗ってないんじゃないの。
 きっと自由時間の少なさで、最も省略し易いのが洗顔なんでしょう。それぐらいでは死にやしないから大丈夫。女の子でもいるクラスなら少しは増しだろうに。
 便りがないのは変わりない証拠と受け止めるから。帰り際息子が言った言葉に、この日一番満足の笑顔だったと聞いて、30年位昔、同じせりふで帰路についた自分を思い出してしまった。
 

2007年8月11日(土)
何とかの冷や水
 早朝の涼しさに誘われて庭に出た。
 せっかくこの世に生まれてきたいのち、雑草といえども簡単に引っこ抜くのは、おそれを知らぬ人間の傲慢さなのでしょうか、とかウタっては間遠にしていたツケを払わされる羽目になった。

 ぽたぽたと汗の雫が地に落ちる。
 陽はまだ昇らないのに、空洞だらけの体の中には真夏の暑さがいちはやくこもってきたらしい。
 ここらで、とキリをつけたくても、目をやる先々に我が物顔の雑草が、今はもう憎らしくおいでおいでをしている。ただひたすら謙虚な人間でいたつもりなのに。
 立ったりしゃがんだりを繰り返すうち、さび付いた腰のちょうつがいがギシギシ音を立てはじめた。
 曲がったきり鋳型にはまったように元に戻れないへっぴり腰、うまく描きたいときはこの線とこの形が大切ネ、とガラス戸に写る姿を捨てぜりふで毒づいてから、目に入る汗にいたたまれず家の中へと引き揚げた。

 シャワーを浴びてからあとが、ここしばらく限定でのハツ体験。
 めまいに立ちくらみ、椅子からくず折れる脱力感、今にも途絶えるばかり遠のく意識…(かなり大げさ)
 119番?だっけ? 玄関のかぎ開けとかなくちゃ

 終末はまだまだ見えない先のことと合点の上で、ほんの数秒間不思議な感覚にとらわれた。
 もしかして汗を流したあとの爽快感って、ほんとはこのこと?

 何だかまんざらでもない感じ… ノビたフロアがひんやり冷たくて、遠のきかけた意識は間もおかず、いともあっさりと甦ったのだった。しかも思いもかけない気分のよさまでおまけについて。
 尺取虫の姿勢で台所まで這ってゆき、大量の冷たい水を胃の中へ流し込んだあと、普段疑問視している栄養ドリンクにも手が伸びた。
 熱射病は日陰にいてもちゃんとなります、若くもないのにやせ我慢しないよう気をつけて。
2007年8月6日(月)
核クライシス

 一面緑の休耕田を耕運機がのどかな音を立てて雑草を掘り起こしている。夏羽の色に変わった鷺が一羽、あとさきに付きまとって、ときどき運転のおじさんと視線を合わせ、話し合うように首を振る仕草がかわいい。
 それがいつの間にか20羽ぐらいに増えている。少しはなれてカラスも4〜5羽見える。と、いっせいに舞い降りてきた無数のすずめたち。セキレイらしい一群もいて、みなのんびりと地中の餌を啄ばんでいた。

 この穏やかにけぶる地平線のかなたに、突如天を焦がす巨大な閃光が目を射抜き、音速より速く熱風が襲い掛かったら――  平和から一瞬で変わる地獄絵・・・想像より先にしっかり目が閉じられた。
 62年を経て今日広島原爆の日。

 原爆の恐怖を胸に刻みつけておきたいと、NHKスペシャル「核クライシス」からメモした紙を開いてみた。
 地表爆発では都市の被害が広島長崎の数倍となり、最低6ヶ月は一歩も踏み込めない。
 空中爆発での被害はさらに大きく、発生した電磁パルスが一瞬にして国家の機能を破壊し、その影響は全世界に及ぶだろう。
 朝夕パソコンを開きながら、初めて知った電磁パルスとその終末的な破壊力の恐ろしさ。
 核とは、防ぎようも逃れようもない、一切の生物を絶滅に導く悪魔なのである。
 従って、地球上からすべての核を廃絶しない限り、人類を救う道はない。文字は荒々しく躍っている。

 テロから身を守るためには先制攻撃しかないとするアメリカの方針も、消極的ながら見直されつつあると聞く。 多くの言葉よりも具体的な映像から、そのさまを見ることがより効果的だし必要なのではないか。変わる世界情勢に対して先見の明を持って。 世界の為政者たちへ。
 被爆者の叫びが聞こえる。 合わせて自分も声にはならず叫んでみる。

 

2007年7月30日(月)
曇り空にも花ひらく

 MRI検査を受けた。予想どうり異常なしの結果に、今度は要らないオマケが付いてきた。
 「前頭葉の広い範囲でちょっと気になるものが見えますね」 気のせいか何だか楽しげに滑らかな口調で先生はおっしゃる。
 「ほら、長島監督の、例の、あれ」 
 「ただし、30歳過ぎたら誰にもあるのですがね」

 この二つの言葉が表すニュアンスの格差に、無知な患者の心は揺れ動く。
 こんなときはこちらも気構えを立てなおしてしっかり対応すべき、とあとの祭りだけど後悔した。例えば・・・
 (どれくらいの比率で?) と追い討ちをかける、でなく追いすがるとか 
 もう一歩進めれば (0.5パーセント? 1.5パーセントほど? それとも15…)
 具体的にあげる数字は、別に発病する確率の知識があったわけではなく、単に右脳にヒラメイたあてずっぽな数字に過ぎないが、少しはブレが納まるかも。(そこが素人の浅はかさ、知らないうちが花なのかも)
 調べてみれば簡単に分かるとしても、帰宅してから気づくのでは遅すぎる。

 とはいいながら日記のタネにするあたり、こちらもまだ少しはゆとりがあるらしい。
 日ごろ酷使(?)している我が愛する前頭葉、しばらくの休暇を与えようかなと考えたり、怠け癖は逆効果だよとはっぱをかけたりしながら、いまさらのごとく死んだ子の、いえ脳細胞の数を指折り数えた。
 (──30過ぎたら、だれにでも──)
 
 時間にして2時間あまり。一日の10分の1ほどつまらない寄り道してから、懸案の絵にとりかかった。
 やっぱり、楽しい。  昨日も、今日も。
 真っ白のパネルに鮮やかな絵の具を落とせば、五感は次々と目覚めるごとく開き始める。

2007年7月25日(水)
今日もファンタジック

 最近、重くて痛くて、ひねもすなにか騒々しい首から上。
 いっそ新品と取り替えられるものなら。できれば防音装置の付いたものと。
 ひところ目覚めの瞬間から爽快そのものの日々があったのは、ヨガに瞑想、加えて朝の太陽視とか速読速聴なども影響していたかもしれない。明瞭ですっきりと静まり返った頭の中に、次々訪れてくるものはとても新鮮で、五感も若返らせてくれた。ときどきフッと得体の知れない幸福感で真綿のようにくるまれたりもした。

 言語脳と感覚脳。バランスよく共存するか、硬直して退化するのか。
 長い瞑想の果てに見えかけた光芒もイメージもはっきりした形にならぬまま、やがてその時間が惜しいと思えてきたのは、自分は右脳と相反する左脳型で、これでは果てしなくいたちごっこを繰り返すことに?と首をひねったのが始まり。 額に見えた銀の玉も、ファントムやもののけたちも、網膜に浮かぶ単なる生理的現象に過ぎない、と柔軟に都合よく考えることで納得させた。

 去年の今頃も、脳ドックで検査を受けている。
 常日頃の頭重、耳鳴り、首のこりやたちくらみの原因は? 脳の血管は、脳みそのひだの具合は?
 精密検査だから、これでいろんな疑問など一挙に解決できると勢い込んで出かけたのに、ただ無言で写真に見入る医者がいる。 (インフォームドコンセントとやらでお願いします)とは胸のうち、さぁ訊かなければ。
 急かれる思いでかろうじて口が動いた。 あの、ボケ具合も分かるんですか?
 先生は笑って答えた「皆さん真っ先にそれをお聞きになりますよ」 (だったらさっさと言ってくださいよ)
 結局、私の知りたいいろいろは、ひとまとめの言葉で締めくくられて、あっさり席を立つ羽目になった。
 「まぁ、とし相応というところですね」

 分かったようで分からないもやもやが今も続いている。
 念のためにと書類を調べてみたら、この脳ドック、去年ではなく一昨年の話だった! あ、あ・・・

2007年7月17日(火)
生きた証 (((>∇<)))    

 周辺から自分の痕跡の一切を消して逝きたい、と語る著名な作家に、たまらない共感を覚えるときがある。
 
クローゼットの戸を開けて、押入れやたんすの中をのぞいて、そろそろ身辺整理を始めなければ、と焦りに似た思いに捕われることがある。
 醜いものは誰の目にも触れさせたくない、と貧しい美的感覚は訴えている。
 
 先輩のGさんが倒れた。再起は不能だろうとも聞いた。
 この世に生きた証を何らかの形で残したいのか、それともすべて「無」に帰したいのか、そのとき改めて自分に問いかけるきっかけとなった。
 それは正反対の方法でありながら、根底にあるものは等しいのではないかとも思えてくる。
 どちらが自分にとって正直な生き方になるのか、実はまだよく分かっていない。
 
 (何も考えずひたすらしたいことだけする。あせらず、のんびり)。 ここまできたのは進歩なのか退歩なのか、どちらにしても行きつ戻りつが多すぎて、しかも時間の短さを憂えるなんて矛盾そのもの。
 絵を描き始めた頃の思いは30年たった今、一部成就したようでもあるし、さらに奥深く迷い込んでしまったとも考えられるけど、ただモチベーションだけは始めと少しも変わっていない。
 本心はまだまだこの世に未練たっぷりなのが透かして見える。
 見える(ような)気がする! 立て重なった作品群の隙間から。

 ”沢山あればただのゴミ。一つか二つ残しておけば、いつかは希少価値が出てくるかもよ”
 周辺から、憎らしい声も聞こえる。  

2007年7月10日(火
文月のかほり

 月1でやってくる息子がときどき帰りぎわに念を押す。
   ”たまには外へ出て、遊びほうけてごらん。面白いアイデアが浮くかぶかもしれないよ”
   ”たまには締め切った戸をあけて空気を入れ替えないと、頭にカビが生えちゃうゼ”
 ひとつはとても乗ってこない相談と見越しての冷やかしだが、あとのひとつはマジだよと表情が語っている。
 ええ、それはもう。

 以前Pちゃんが口にしてたっけ。そのちょっと気になる言葉が加齢臭。
 それがあると長年かけてやっと生まれる信頼も尊敬も半減するらしい。
 可愛がって育てた娘からそういわれて落ち込む父親たちがいる。
 あーオレ女の子持たなくてよかったよ、と鼻っ柱の強い息子さえ気弱なことを口にする。
 気をつけても自覚できないのが悲劇の所以。若しかして自分がそうであっても気づかない。

 お風呂に入って洗濯して。 お掃除などもして。(これはどうだか?) 
 時間をかけて丁寧に歯を磨いて、ブラッシングして。それから… にんにくもらっきょも嫌いだし…  
 まぁいいでしょ。 これ以上どうあがいても、乙女のかぐわしさが戻ってくるわけじゃなし。

 ある夜、楽しいひとときを過ごしたあと玄関まで送ってくれたPちゃんが、帰りぎわ優しく言った!
   ”ときどきは戸をあけて、空気を入れ替えてね”
 ヒヤッと首をすくめた。誰も来ないのをいいことに、ここ数日鍵はかけっぱなし。

 翌朝東西南北すべて開放してから玄関の掃除に取り掛かった。
 片隅のうす暗いところに紙袋が置いてある。あまり好きになれない知り合いからもらった玉ねぎ、そのにおいに余計嫌気がさし、通るたび目立たぬ片隅に蹴飛ばして、それきり忘れていた。 このばちあたり。
 因果応報反省の一日とはなったけど、はたして玉ねぎの匂いにことよせるだけで済むものかしらん

 

2007年7月5日(木)
苦い水甘い水

 「love」と「money」は人生における大いなる関心事。
 最近続けてこの二つに見舞われた。というより襲われた。
 残念ながら若さから遠去かるごとに、愉快よりも付いて回る不愉快の方が先にたち、静かな水面に小石、ぐらいですまない波紋が広がる。そのせいか夜久しぶり夢に悩まされた。

 夢は一瞬のうちに見るそうだが、朦朧と浮かぶ人らしき影を相手に、なにやら妖しげな気配から逃げ回る時間はやたら長い。おまけに半覚醒の状態で誰だったのか思い出そうとするうち、頭は目覚めて眠れなくなり、諦めて起きだしたらまだ2時だった。1時間あまりしか眠っていない。
 それからあとは「money」のほうに移行して朝になった。 平常の快心の一日は始まりそうにない。
 
 どちらも初めのうちはホンワカと元気をもらえるあったかい事象だったのに、いつの間にか苦い思いばかりが優先するようになっている。何故だろう。
 自分に都合のよい解釈ばかりではいけないよ、と念を押されたみたいにも思える。
 それとも変化のない日常にちょっとばかり刺激を与えておこうって神様の思し召しかも。
 幸いダメージを受けるほどではない
 ときには少しはめをはずして、少し舞い上がって、自分を甘やかしてみるのも?
 いいこと悪いことうまくバランスを取って経験をするように。
 都合よく解釈したら、寝不足の重い頭を砂糖水が中和してくれたように、気分が変わった。


 七夕が近づいている。年に一度の逢う瀬も、雨が降ればお流れになるかと思ったらさにあらず、かささぎというイキを解する鳥の群れが飛来して、織姫を天の川の対岸まで渡してくれるそうな。
 案ずることはない 何事も都合よくできているから。
 大甘を延長したままぼんやり雨空を見上げて時間を過ごした。お伽話を夢想する他愛もないときの流れが、実は心の奥底にこびりついたものを、少しずつ剥がすために必要なのだろうと自覚もしながら。

2007年6月29日(金)
梅雨空の仲間

 激しい雨音で目が覚めた。 早いけれど起きだしてカーテンを開ける。
 久しぶりの空模様だった。これほど重い雨空は梅雨に入ってからも初めてで、腰をすえた低気圧とか梅雨前線とかってあんたのこと?こんにちは、という思いで対面する。

 音を消した家の中は薄暗く、部屋の隅から今にもものの怪が立ち上がってきそうな気配。
 空気が乱れないように、ひっそり机にもたれてけぶる戸外に目をやるうち、ふと視界の中に動くものがある。
 下辺の窓枠から顔だけ出してこちらを見ている小さな目と視線があった。 雀?違う。まるで童話の世界から来たみたいな格好で、人なっこく室内をのぞき見るような仕草が可愛い。
 近寄りたい衝動をこらえた。私も部屋の中の置き物のひとつ。まばたきさえじっと抑えた。

 雨は小降りになり一面銀色にかすむ田圃がひろがっている。
 親か兄弟か、低く空を飛び交う2〜3羽の鳥が視界に入る。燕とも違う、尾が長いのはセキレイだろうか?
きっと近くに巣があるのかもしれない。部屋を覗き込んでいるのは子供なのか、そう思えばいたずらっぽい無邪気な顔に見えてくる。
 
 近頃は新聞もテレビも、 ニュースときたら見るほど聴くほど腹立たしい思いに毒されてしまう。             
 小鳥の可愛い目を見るうち胸の中にすっと清流が流れた。 静かになった雨音と、量を増して小さな用水を流れる水音のせいもあるだろう。
 小さな生き物が、古びた人間の心を清めてくれる。
 仲間と認めたのか人怖じせぬ鳥の子どもは、ひととき飽きずに遊び相手になってから、これでいいかいと立ち去った。今日一日、小鳥、でない子どもの目線で過ごすのも面白い。
                                               

2007年6月19日(火)
情感の流れの先は?

 盛んだったその頃を知っている身近の人が、ひとりふたりと、だんだん減ってゆくのは淋しいものである。
 本人さえ忘れているいろいろを、教えてくれた小学校の先生はもう誰もいない。古い友人知人のうち特に男性は、殆どが鬼籍に入ってしまっているのは、ことさら年上の頼れる年代ばかり選んだツケが回ってきたとしても、末っ子だし年齢順にゆけば最後に残るものはと思いつくとき、いっそう侘びしくなってくる。

 今はないあの人この人、もし生きていたら今頃大いにサポートしてくれてただろうな
 ときには虫のいい想像に取り付かれて苦笑する。日ごろの自立心、筋金入りでございとか何とか口にするくせに、こんなところでつい本心?が吐露されるなんて・・・ 
 (でも強いばかりが女じゃないよ)
 (これくらいなら、愛されるにふさわしい弱さとして持ってていいんじゃない?) 
 冗談ながら少しはキまじめに考えた。本心はどこで区切りをつけたいのか。

 Nちゃんという格好のモデルを得て、女の情感をピックアップしながら勢いよく小品を描き続けるうち、微妙に気構えが変化し始めたのに気づいている。一時の吹き上がるような感情の高まりが徐々に鎮まると、次に捕われたのはひそやかな静のムードだった。身近な人の死を知り、古い記憶をまさぐるうち、掻き立てられた炎もいつしか消えてゆけば、熾き火のように残る想いがある。

 女の一生は山坂超えて。
 心中大笑いして締めくくった。おやつのせんべいの音に交錯して亡き人への哀悼を捧げる。
 どう流れは変わろうと、筆の先から女の情感を伝える作業に変わりは無い。

 今気楽に描いているのは、Nちゃんが見たら美しい顔をへの字にしそうな、マンガ風。
 ときの流れはいよいよ速く、作品女の情景は、完成するまでにあとどれくらい変化するだろう?

2007年6月9日(土)
幸せのみなもと





   
  

天気予報は雨マークなのに、梅雨前のじっとりした日差しが張り付いた日、メールで届いた2枚の写真が、さわやかな涼風となって吹きぬけた。
全山新緑に覆われて、目覚めるばかり初夏の生気を放出する自然の風景と、
ひとつは赤ちゃんと視線を合わせて幸福感漂う小さな世界、これもまた素敵。

ビデオを見れば、世界の歴史が如何に大国の横暴で成り立ってきたか
欠かせぬニュースの時間では、なんとまた暗い醜い話題ばかり
身近に友人の入院を知り、続いて救急車で運ばれた親類の知らせを聞く
心が波立つ…知らないほうが天下泰平、などとは言っていられない浮世のこと

飾らぬ自然、幼い子が持つ不思議な愛らしさにはただただ魅入られてしまう、そんな性格をよくご存知の友人たちに感謝しながら、ビタミン剤代わりに持つ家族の写真なども改めて眺め入る。これは息子?孫?訊かれて時々戸惑うのはご愛嬌だけど、見るうちさわさわと頬が緩み、どんないやなことでもきれいに頭から消えてしまう。

記憶をまさぐる古い写真は、魔法の杖の先から私の日常へ幸せを注ぎ込む。
明日もあさってもこの先ずっと幼いままの子どもたちの姿、いつも変わらぬ自然の風景が、元気の素となり清涼剤となり精神安定剤となる、そう思えるのは、或いは淋しさの似合うお年頃のせいか。
いつのまにか雨になって肌寒く、足元はヒーターと毛布で包みこまれた6月のひと日。
2007年6月3日(日)
「ペルソナ」

 ペルソナってどんな意味?と何人かに尋ねられたが、改まると明確に答えられない。
 フロイトの夢分析によれば、人間が持つひそやかな内面を隠して、外界へ適応しようとする外的人格、私は大雑把に「仮面」という語でひとからげに表現してしまう。
 
 今までえがいた白昼夢は他愛もないが、夜見る夢は自分の意思とは関係なく変幻自在で、絵の具を扱うようになってからは天然色で彩られたりして、いっそう面白く不思議が募った。
 自分の生き方と現実のハザマでさまざま葛藤を感じ始めた頃から、夢にも何らかの意味を汲み取ろうと考えたくなって、ほんの一時期ちょっぴり本など齧ってみたりもした。
 曖昧模糊とした雰囲気の中で現れる自分の分身らしきもの、「ペルソナ」と表現すると何だかふさわしい。

 意識のあるなしにかかわらず、どんな立派な人にでも隠れている裏面がある。
 天真爛漫の赤ん坊だって本能の命ずるままとはいえ、美味しいものが欲しいときは笑顔が出るし、怖ければ泣いて防御の体勢を取る ・・・(ン、これはちょっと、ちがうかな・・)  
 一面っきりしか持てないのは人形だけ。
 その、無意識のぼやっとした境界に立たせたら「ペルソナ」がぴったり。 と、ひとり勝手に思い込む。
 
 語源は聖書からとったラテン語・・・で、それ以降は専門語の羅列だから、単細胞の脳は拒絶反応を起こし、辞典などで調べれば調べるほどだんだん難解になって、ついにはあきらめて現在に至り、
 問われて曖昧に「仮面」…と私のペルソナは答えてしまう。
                                                  ペルソナ「仮面」

2007年5月29日(火)
創作のあした

 隔週でめぐってくる階段掃除、いつからかすっかり途絶えてしまっている。決して忘れたわけではないのです。お向かいさんに出会ったら、何はさておきイの一番にお詫びしなければ。
 今しばらく大目に見てくださいませ、マセ。 描きかけのこの作品が出来上がったら、すぐさま隅々まできれいに掃き清めまするほどに…。   (
・・・でも、変だ、どこかおかしい ?)
 
 数十年前、復興途上の日本の方々に新興団地が造成された。安住の地を求める多くの人々にとって、夢の団地と形容されたアパート群、それが現在では建物も住む人も老朽化して、大きな社会問題になっているとの報道番組が強く印象に残っている。 どうもそのせいらしい。
 私も4階建てアパートの最上階、夏日にあぶられながらも、あの明るい日差しが新生の希望のごとく輝いて見えたものである。階段の掃除当番はそのころの、軽いストレスを与える習慣だった。
 それがいま時間と空間を飛び超えて、夢の中へまぎれこんだとみえる。

 近頃は、身を削るまで熱中した昔が懐かしくなるほど、のんびりと自然体で絵を描く楽しみを味わっているつもりでいた。それなのに搬入が近づけば、ほかの一切は手につかず、片時も目を離すことができなくなってしまう。 下手な考え休むに似たり。それはよく分かってはいるけれど。
 一日伸ばしに埃やごみと同居して、それなり強迫観念にとらわれていたのか、搬入を済ました朝夢を借りて真っ先に謝った。
 空を飛翔するとき、高所からフワリと着地するときの快感は、夢でありながら今も鮮やかに残っている。
 どこまでが夢でどこから現実なのか判然としない。

 やや恍惚の中で遊んでいる、夢見る少女も成れの果てはあまりいただけない姿・・・

2007年5月20日(日)
シャドーとペルソナ
 今描いているレストランD店の前を見に行った。
 作品は思いのほか順調に進んでいるけれど、題名がふさわしいかどうか、もっと何か違った感触を得られるかどうか、ものはタメシと考えたら、重い腰がすいと持ち上がったものだ。

 日曜の昼とあって、出入りする人たちは千差万別、目立つのは若いカップルや家族連れ。なのにそれほど楽しさも華やかさも伝わってこないのは、昨夜来の小雨模様、肌寒い気候のせいばかりではないようだ。
 レストランでもお腹を満たせば必ずしも幸せな表情になるとは限らないらしい。人はみな心の底に別のものを溢れるほど抱えているように見えてくる。
 少し離れたところにたって眺めるうち、自分の顔がほころんでくるのが分かった。(でないと困る)・・・

 夢に現れるシャドー影と、ペルソナ仮面。D店の壁を飾る無機質な焼タイルに、仮面を貼り付けようと思ったときから、若しかしたら題名は決まっていたのかもしれない。無意識のなかで深層心理の赴くまま、頭と手が勝手に働いて絵は作られてゆき、それから勝手に体が動いて、確かめに出向いたとみえる。
 あとから理屈をくっつけたら多分そうなるのだろう。
 雨で恒例の朝の公園除草は延期になり、ついでにそのあとの防災講習は欠席してしまった。ご近所のKさんからお変わりありませんかとメールが入っていた。
 町内の人に出会いませんように…私のペルソナ「社交的人格」が笑っている。


 近頃は夜になるとなんとなく疲れて、瞑想タイムからしばらく遠のいてしまった。
 あくびの連発には腹式で深呼吸、これさえ実行する気も起きず、ごろりと横になって続けさまに炭酸ガスを吐き出しては瞬時の開放感に身を任せる。題名が決まるころになって、リラックスの仕方も変わりかけている。
2007年5月12日(土)
いま胸にある想い

 20世紀の激動の記録をほぼ見終えて、新たに「日本の戦後60年」のビデオを見れたのは、改憲の機運の高まっている今とてもタイムリーだったといえる。 戦中戦後を幼な心に深く刻みつけて過ごしたものにとって、戦後の日本・第1集「焼け野原ゼロからの再生」も、途中幾度となく流れる涙で中断しなければならず、第2集を続けて見る気力が起きないほどだった。

 ビデオ「映像の世紀」は、NHKが米ABC放送との共同取材で編集した記録映画であり、それを念頭に見れば、冷静に、或いは感情のおもむくまま高揚して没入するだろう。加古隆のテーマ曲に乗って立ち上がる導入部には、20世紀を象徴するさまざまな場面の中に、多くの人物のショットが次々展開する。
 ヒトラー、ガンジー、ケネディ。アインシュタイン、ピカソにリンドバーグ。べーブルース、チャップリン、マリリン・モンロー、プレスリー、そして名もない人たちの群像。
 その中に、日をおくほど焼きついて離れないひとつの映像がある。

 群衆の激しい動きの中で、片隅からぽっかり浮き上がった女の子がいた。
 防空頭巾をかぶり、日本人形をしっかりおんぶ紐で背負った4〜5歳のあどけない日本の女の子。
 手を引かれて逃げ惑ううち、ふと振り向いて何かを見つめる無心の目だ。
 一瞬切り替わるより、その瞳の奥に強く訴えかけているものが見えた。
 心が泣いている、悲しい。
 瞬時に沸騰した思いが突き上げて号泣になった。 ―あの少女は、私だ。

 今現在も、地球上に同じ目をしたものが大勢いるのを知っている。
 自分だけでなく、TさんやEさんPちゃんたちも、みな身近に同じものを抱いている。
 誰もが子や孫を思うとき、希望と憂いでみずみずしく瞳が濡れるのを知っている。
 だからこそ、全生命をゆだねてくれる幼いものたちの未来を、何より優先して考えてほしい。戦争を知らない若い世代や世界中の政治家たちに、切実にそう願わずにはいられない。

2007年5月5日(土)
ヒスイ海岸
 県境に近い朝日町へ日帰りツアーに出かけた。
 集合地までは、車中乗客の殆どが居眠りしているか、漫画本か携帯に夢中
 一人旅らしいおじさんが、サンドイッチの数を何度も数え直して長思案の末
 ようやく一切れぱくついたユーモラスな見ものも、観客は私ひとり
 日差しの注ぐ列車の窓辺で、エトランジェ気分に浸れたのも期待どうり。

 日本の渚百選。夏日のヒスイ海岸を久しぶり新鮮に眺めた。
 少し離れたところにひとり立って、黙ってぼんやりと霞む海坂を見渡す時間が素敵
 ヒスイがかくれんぼしながら、ささやかなレジャーを楽しむ人たちに笑いかける。
 五月の誕生石翡翠
 有史以前から災いやのろいを避ける聖なる石として尊ばれたという
 近くに縄文時代の勾玉など工房あとも発掘されて、いまも原石の拾える珍しい郷土の自然
 石楠花の寺に遊び、境遺跡の出土品をみてから小さな美術館も訪ねた。
 なないろ館ガラス工房の若者の額の汗、温かい鱈汁の味
 窓辺に飾ったお土産のチューリップを見るたび思い出す。







                                          
 この中にも翡翠が隠れている?
2007年4月30日(月
春のつむじ風
 明日からの平日二日間が私の中休み。連休後半は絵に向ける、それに備えて静けさの戻った今のうちに休んでおかなくては。まるで予約ぎっしりの暇なし人間の言い草だけど。
 たまにしか来ない息子と対等に付き合うとしたら、会話だけでももう疲れるのなんの!

 汗とほこりにまみれて人間の子か獣の子か
分からないようだったのは4〜5歳のころ、
 ともに人生を語り合えるほど早く成長してくれないかと願ったのは小学生のころ、
 期待の高校生のときには、知恵と同時に反抗心も大きく育って、ハナも引っ掛けてくれなかったのは全く想定外だった。
 
 同じテーブルで議論を交え熱い時間を共有…できるらしいその時間がようやくきた今ごろ。
 気がついたら、宇宙人を古くしたみたいな変なオヤジが横にいる。昔々の常識とやらは頭から消して、思いっきり大空へ跳びなよとはっぱをかけるし、自ら実行もしているらしいし
信じて暮らせば必ず幸福は向こうからやってくる、とマーフィの申し子みたいなことも言う。

 小遣いの殆どはビール代を除くと本に化けて、本の中に埋もれながら専用の部屋を欲しがっているくらいだから、好みの話題ほど知識が深い。新聞の熟読と週刊誌の広告だけを情報元とする私には、いくら話すより聞くのが得意でも、相槌打つだけで眩暈がしてくる。
 子供の成長を待ちかねたあのころからほぼ何十年?こちらの神経は年毎にやせ細っているのだから当然かもしれないが。
 
 それでも、お袋とこんな話ができるのは、ウチぐらいのものだろうねって彼が言う。話しつかれて見合わせる顔の双方に、晩春の満ち足りて気だるい気配が漂う。
 つむじ風が止んだ・・・幸福を信じて待てば、それは向こうからやってくる── 
 「こんな話」の内容は、話せばひとから笑われそうな気のするものばかり。
2007年4月18日(水)
花の散り際

 
  桜の便りもそろそろ途切れ勝ち その日は一日小雨の天気予報だったのに
  
朝、薄日がほのあかるく差し込んできたら誘われるように家を出た


   無粋な工事の幕が張り巡らされた城址公園の中は人影もなく
   折からの激しい雨足に足元を取られつつ けぶる空を振り仰ぐ


  
頭に描く花吹雪にはほど遠く  あえかに散る花びらは雨の向こうに隠れて見えない
   満開の賑わいなど夢の如くに 静まり返って いよいよ黒い桜の幹の下あたり
 
  
埋もれた死体も今は安らかな眠りにもどったような


   名残の花が川面を流れる
   激しい花吹雪や、豪華な花いかだに強く惹かされる思いはあったけど 
   遠慮がちに自己主張するこの風情は・・・

 
  
雨に濡れた葉ずれの中へ、ときどき混じるかすかな車の響き  これもいい



                                                  
(富山市 松川)

2007年4月13日(金)
七不思議のひとつ

 昔住んでいたM町の古い家にまつわる、七不思議のひとつに床の間に置かれた琵琶があった。
 薄暗い床の間の片隅に古風な布袋で包まれて、誰からも触れられることなく、いつ見てもそこだけ時が止まったように別の世界を感じる場所だった。
 写真でしか顔も知らない亡父のたった一つの形見なのに、私の知る限り一度として紐解かれることもなかったのを、だれも責められはしない
だろう。母は生活を支えるのに精一杯だったし、残された子供たちはあまりにも幼かったのだから。

 「スキなひと」の名を聞かれたら、あまり迷わずそっと Ogura kei の名をあげる。
 詩もメロディも、愛情と懐旧のいとしさに溢れて心を打つし、たまにしか聞けないピュアな歌声には、惹きこまれ共鳴させられて思わず涙ぐんだりする位だが、何より彼が琵琶に惹かれ、道を極めるための努力を今も続けていると知って、不思議な近親間が生まれたのではないか。

 琵琶の音に魅せられて音楽の道へ進んだと、ステージの青い光の中で静かに語る。
 「齢60を過ぎて、悟りとは無縁の未熟を愉しみ、語れぬ想いを言葉に綴る」・・・生きざまがそのまま表れているような歌声に聞き入ると、それより長く生きた自分を省みて忸怩たる思いにとらわれる。どのような心を持てばこんな顔になれるのだろう。きっとその要因は琵琶にもあるに違いない。

 ”過去たちは優しくまつげに憩う  人生って不思議なものですね”
 私は父とともにした記憶を持たない。それなのに不思議な懐かしさがよみがえる思いがする。 父はどのように生きて短い一生を終えたのだろうか。
 ・・・あの形見の琵琶は、今どこにあるのだろう?
 まぼろしのように浮かび上がる一台の琵琶、小暗い闇の中からそこだけが優しい光をたたえている。

2007年4月7日(土)
しあわせのなみだ

 国の借金が832兆円、国民の資産が1500兆円、と聞いてもピンとこなかったが、単位を兆から万に切り替えてみて、ハハーンと納得できたらあきれ返った。冗談じゃない、借金まみれで立ち行かなくなったら、残るわれわれ国民の汗水たらして貯めた預貯金で穴埋めできるから大丈夫だって?
 最近の原子力発電所の事故隠し、テレビ番組の捏造発覚、金まみれ政治家の厚顔無恥、生活に余裕のある連中でさえこの始末、ひとはみな機会さえあれば変身してゆくものかしら。
 人間性善説なんてとても信じられないよ、と拗ねてはみるけど、ここが踏ん張りどころかも。

 近寄るもの声をかけてくるものは悪人と思え。子供にむやみに人を信じないようにと教えこむ世の中に変わってゆくのは辛い。幼子の純真無垢な瞳の色が、次第に汚らしく濁ってくるのは、周りの大人たちの姿勢を絶えず目にするせいと皆知っている。
 ねっ、みんなで力を合わせて頑張りましょう、未来の美しい日本を目指して・・・

 大声を張り上げたところで、目が覚めた。いや何だかうなり声が出たのははっきりしているけど、見た夢は途切れ途切れで、言いたいことはまぁこうなるらしい。 
 新聞を隅から隅まで読んで、眠れなくなって、国民一人当たりの借金額と自分の預金通帳の残額と比べて、ため息ついたまではたしかな現実だった。
 その前夕食で、蕎麦に入れた白えびのかき揚のじんと沁みてくるにおい、、ふと昔聞いた「いっぱいのかけ蕎麦」という心温まる話を思い出し、なぜだか涙がこぼれて、(しあわせのなみだって、そうたやすくでるもんじゃないのよ)なあんて言い聞かせたのも事実だった。

 小さな部屋の中で、浮き世離れしたような穏やかな日々を送れるのは、確かに幸せとしか言いようがないと思う。国を愛する民のひとりとして、せめて貯金の残高を増やす努力でもしなければ。
 できない相談にニヤリとなって、今日一日はとことん愚痴をこぼさず。

2007年3月30日(金)
翔べ宇宙人

 初めて親元を離れる15歳の孫を空港に見送った。
 ママの助言はあるにしても、今までユニフォームかトレーニング姿の無口&真面目一筋な彼から、この日受けたイメージの一変に目を白黒。 細いネックレス一本で驚いていてはいけない。

 おへその出そうな股上の浅いジーパンの腰に、カウボーイばり星が並んだ幅広ベルトは純白で、脇に下がる二本のチェーンは、ネックレスの5〜6倍はありそうだよ。
 白のTシャツ、ボタンをはずした黒の上着は、ともに大小のロゴでいっぱい。手首に数本色違いのブレスレット。胸元に例のペンダントが時折光る。モヒカン頭にやや剃りこんだ眉。さすがにピアスは見当たらないけど。
  これだけ身に着けるにはさぞ時間もかかるだろうなあ。
 
 化石人と宇宙人。  ごもっとも。
 これからは無縁だったヤング向け週刊誌などもときどきのぞいて見なくては。
 しかし、見ようによっては全身からチカチカ五色に発光しそうな現代っ子風俗が、よくよく観察しない限り少しも目立たず、周囲に溶け込んでいるのが不思議。
 さり気ない無表情の下に、かすかな哀感と不安が潜む、と見るせいか。

 東京も高岡も離れて住む身に変わりは無いはず。なのに見送ったあとの思いがけぬ複雑かつ空虚な心をもてあましていたときに、旧友のTちゃんから久しぶりの電話があった。
 連絡がないのはどこか具合の悪いとき。自然に出来上がった友人間の定義に反して、案外朗らかな声で、慨嘆しつつ電話口で展開された周辺事情は、どこも似たり寄ったり。誘い合わせて一緒に温泉へ、と合議一決締めくくった変わらぬパターンはやはり化石人同士、ホッとできるのがおかしい。

2007年3月27日(火)
変りゆく自然

 93年ぶりに起きた能登半島地震
 悪夢のような中越地震の記憶もまだ消えぬうち、またひとつ大切な私のまほろばが壊れてゆく。
 上空から見た能登外浦の美しい海岸線は、ところどころ崩れ落ちて赤茶けた山肌が痛々しい。復旧の日はいつかくるとしても、懐かしい日本の原風景を元のまま目にすることは不可能だろう。
 
 幾つも続く緑の山々が海へなだれ込み、その合間に肩を寄せあって心細げな民家が並び、入り江に風化した岩が不思議な模様を刻むのを、立ったままのスケッチに時を忘れて、十数年、もっとになる。
 どこを見ても人影もなくひっそり静かで、聞こえるのは風の音ばかり。
 舗装された国道をそれると、一足ごとに文明の世界から遠のくようで心細くさえ感じる若さもあった。 輪島からさほど離れぬあのあたり震源地に随分近い。
 悠久の海風に晒された無数の岩に、穿たれた紋様は今も目を見張らせるだろうか
 3年前、無残に変わり果てた上越の棚田にも、今年あの段々を若草で区切って、うす青い水をたたえることが出来るのだろうか。

 被害も及ばず無事今日の日を迎えたことを感謝しなくては。
 前回被難する母に抱かれた幼子の、無心の目が深く焼き付いて消えないが、リアルに迫る恐怖と不安を、ありのまま受けとめるしかない無力な高齢の人たちの心情を考えるとき
 振り返って、こんな日記を書ける今の自分が申し訳なくさえ思われてならない。

                          能登・崖   能登・岩   能登・船
  能登・波止め

2007年3月23日(金)
春のねざめ


   
    湖畔

 春の寝醒め―めざめ、でないところがミソ。
 満開の花を眺め、温まった木肌に触れ、新芽の香りをかいだら、覚醒を表すベータ波と、リラックスできるアルファー波が同時に出るんだって。
あかるく春の陽光が差し込む朝は、確かにバネがついたように怠惰な寝床からおさらばし易い。
 今朝はそんな朝だった。

 そのとき愛する人やものを想うと、効果は倍増するそうである。
 近くに水の流れる川があればもっといい。川面にきらめく光、目からの刺激は揺らぎ効果と呼んでエンドルフィンを増やすそうだし、笑顔を意識しながらリズミカルに歩いたら、さらに健康効果にまで及ぶという。

 一日の仕事が滞りなく進んだのもそのおかげだったろうか。
 日中はヒーターも切ってしまった。
 向かいの公園から笑い声が風に乗ってくる。春の休みに入った子供たちが、群れて遊ぶ姿は平和で幸せを与えてくれる。満開とまではまだゆかないけれど、花を見て木に触れ匂いもかいだ。横を流れる小川のせせらぎときらめきに見とれ、遠く山並みの雪が残照に映えるさまに時を忘れたりもした。

 雨の降る日も風や雪の日でも、きっとそれなりの大きな自然の恩恵があるのだと思うけれど、大切なのはそれをどのように受け止めるか。影だけでも美しくありますようにと、リズムにあわせてせめて部屋の中を歩いてみる。
2007年3月17日(土)
階段の下

 暖房の効いた室内から一歩出ると、しんしんと夜気が心臓を締め上げてくる。
 薄暗い階段の下の小窓から、うかがう戸外に小雪が舞い散り、次の瞬間には冴え渡る。
 今年忘れていた雪の情感も、すでに春待ちモードに入った今は、ただちに切り替えられそうにない。それでいながら灯りをつける気も起きず、引き込まれるようにいつも階段のあたりでたたずんでしまう。
 読書に疲れて、空想にも飽きて、本棚の片隅から古い詩集を取り出すとき、  ・・・ランプを消せよ。
     ”洋灯
(ランプ)を消せよ  書物をとりて棚に置け”

 一枚の紙にかな文字を一字ずつ大きく書いて、かなの次にはローマ字を、そのあとは簡単な英単語に変えて、階段の腰板毎に貼り付けた一時期があった。
 母親の懐から這い出て、目的の階下を目指し、最後の5〜6段転げ落ちた太郎がいて、
 その父親が、有り余るエネルギーを壁に残した大きな穴は、孫たちの幼いころの写真で隠してあるのを眺めるうち、にじみ出てくる懐かしいものを抱えて、ゆっくりとひとりの部屋にもどる。
    ”内部へのさし入る月影  階段の上にもながれ ながれ。”

    ”さみしく音なく彷徨する ひとつの幽しい幻像はなにですか
     きぬずれの音もやさしく こよいのここにしのべる影はたれですか” (蝶を夢む・萩原朔太郎) 

 都会に住んで孤独を愛した詩人とは、時代も環境も大きく異なるとはしても、言い当てて的を射る言葉があるから、詩集はいつまでも愛される、と勝手な解釈を加えつつ。
 詩人の言葉を借りれば、あふれる情調の出水に浮かんで、いつまでも内部へ月影を照らしたい私。     

2007年3月10日(土)
名残り雪

 (ドタドタ) 足音を響かせながら駆け足で過ごした感じの毎日が、このころはひっそり音もなく、水のように流れてゆく。これが自然な現象と観念してから、いつか残りの日々を指折り数える思い切りの悪さも少なくなっている。
 岩角にぶつかりせき止められながら、どうにか急流を抜けて海に近づいているのだろうか。
 表面は緩やかに見えるけど流れは速く、目には映らなくてもその底に澱む醜いもの、掬い取ってみたならぎょっとして、払い落としてしまうのではないか。
 考えるのも今は無意味と、ぼんやり窓外を眺めた。

 金魚のウ○○みたいにいつもくっついて離れなかった孫の太郎。
 先日さよならと別れてまもなく、息せき切って忘れ物!と飛び込んできた。 なに?見せてよ
 それは、シルバーの細いネックレスだった。

 大切に両手で囲われた暗闇の中から、揺らめいて立ち上る銀の糸が鮮やかで少しショッキング
 ガールフレンドからの贈り物?と冷やかしたら、ウウン、自分で買った!とんでもないとばかり首を振る。やっこさん、何ごとにも無関心な顔して、こんなものに興味持つようになってるんだ。
 つくづく眺めれば、あの可愛いかったほっぺには大きなニキビの勲章
 頭にトサカが立っていて、ぷっくりもみじの手のひらに、ごつごつ石ころみたいな大きなマメ
 そのしなやかに伸びた指の先から、絹糸みたいに光るもの。
 ――私には、しわとたるみのネックレスがぶら下がり・・・
 
 旅路の果てに、ようよう海までたどり着くはずです。
 成長が止まって、ン十年、今では年毎に縮んでゆくさびしい逆現象が起きているのに、不思議や毛髪とか爪ばかりが人並みイジョウに伸びてゆくのって、イジョウじゃない?
 などといちおうイチャモンつけている… 

2007年3月2日(金)
ひなの夜
 雛あられに 桃の一枝
 三色菱餅に 玄米茶と黒豆紅茶
 散らしすしならぬ 雑穀ご飯
 菜の花のからし酢味噌と ゴマ豆腐
 窓から見る 梅の古木は遠い昔

 パソコンとパネルと絵の具皿
 ローランサンと 堀口大学
 「映像の世紀」に 拝啓父上様
 つのだひろのメリージェーンと 早春賦
 
 オフタートルのTシャツに手編みトッパーで
 ソックスの上からは足首カバー
 ホットマン ハーフケットにぬくぬくカーペット
 にこやかに大振りの内裏様は胸の中…

平成は19年、ちょっぴりときめいて 雛の夜                      想[1]
2007年2月25日(日)
無心の情景

 幾十度巡ってきた季節の中で、移り変わる風景をみ、ひとを見、形を眺め、音を聞き匂いをかぎながら、さて自分は今まで何を考えて過ごしたのだろう、振り返ればこれといって何ひとつ残ったものはない。 最近夜眠りにつく寸前、いつも胸に沈み込む思いである。

 ある瞬間、今です、眠ります、とどこかでする声をうっすら聞き分けられるときがある。翌朝別人となって目覚めるまで、心はどこに漂うのか、そのはっきりした境界を知りたくて、あるいは年の功とかに後押しされながら、おかしな練習を積んだのだった。 今まさに夢見る別人格に変わろうとする瞬間、妙に鼻の頭がむずがゆくなったり、のどがいがらっぽくなって、我慢しきれず静止状態から体を動かせば、あっという間もなく意識が逆戻りするのには閉口したものだが。

 両手に抱え込めないほどあった目的も理想も、残っていないのが自然なのだとも思えてくる。それでいいのだ、理由など突き止めるのに頭を煩わす必要もないのだとも。温かみの残った無心に近い心境、そんななところへたどりけたのは、恵まれた道を歩めたということではないだろうか。
 さしあたって今したいことをすればいい、理屈なんかつけなくとも。
 描き始めはともかく、途中からそんな想いにまかせて出来上がった作品を眺めてみる。
 さしあたって今したいこと、これを手始めとして、いくつかの連作。
                               

         ゆめ・女の情景 想[1]
2007年2月21日(水)
もっと一日が長ければ

 外出嫌いのオタクのところへ続けて三つの海外旅行の話が舞い込んだ。

 三月・家族と同行の中国旅行
 山の女神が下界に落とした鏡が割れて。初めて九寨溝の神秘なたたずまいを写真で目にしたときは心を奪われた。ここで三泊するなら、なか一日くらいはホテルに篭ってひとり感動を味わえるかもしれない、大の男三人に囲まれて、同情されたりいたわられたり、か… 悪くないね
 ただ季節が早すぎる。そして考えたくはないけど、足手まといと成り果てる可能性もあり?

 五月・絵描き仲間とスペイン農村でのスケッチ旅行
 身近なふるさとの風景を、心を込めて描くのが心情発露の手段として疑わないのに、ここ1〜2年スケッチ旅行から遠ざかり心が乾きかけている。観光から程遠い農村風景なら、エキゾチックな中にも新鮮に共鳴し響きあうものを見つけられるかもしれない…

 七月・出展のためのイタリア旅行
 数百年前の古い宮殿の一室に置かれるという自分の絵を見に行くために、モデルになって情念を具象化してくれたNちゃんと、始めの終わりで重い腰を持ち上げようか…
 実はこの計画が実現へ最も近いながら
、最も引けるしろものになっている。世界遺産と、ロミオとジュリエットの街ヴェローナというキャッチフレーズに魅力はあるものの、いつも自分の絵に対面するときの気恥ずかしさ、宣伝も誇大で惑わされていないか…若者にはない杞憂が先行してしまう。

 まぁ、恥をかくつもりで行っておいでよ、と家人が言う。気力があれば全部いかがと冷やかし半分で続く。私の性質を知っての上のお誘いがこれだけ続いたのも初めてだし、自然の流れは逆らわないのが最良の運であるなら、時間の都合はつくだろうか、真剣に考えてみなくては。

2007年2月15日(木)
二月の窓

 北陸の地らしからぬ陽気が続いて、早めの春一番が吹いたと思ったら、翌日は一転冬の嵐となった。こんな日が外出の予定日となるのも、さすが!と胸を張るのはどう見ても負け惜しみめくが、目的地へ直行できるなら、いつもと違う窓から降りしきる雪空を眺めるのに楽しい期待を持ってしまう。
 納いかけた冬装束で、横なぐりに吹きつける雪道を歩き出したときも心は軽かった。外出嫌いといえども、納得して出かけるならこんな気分のときだってある。

 二月の窓を眺めるのがなぜか好きだ。 この季節春に逆らって吹雪く日がある。
 夜の窓に雪片の貼りつくとき、喉もとにも貼りついて、撓むまでこみ上げてくる何かがある。
 過去も未来もなく、無心で舞い落ちるものを眺め、心の奥底に言葉にならない何かを溜め込む。
 朝がくれば、冷気にひび割れそうな厳しい窓が感傷を吹き払ってくれ…
 …その間がしみじみ好ましい。
 
 「春一番」に「冬の嵐」。二月の空はにび色で、暖冬異変のこの年に恵まれた一日だと思えた。
 先輩や友人たちのものに混じった日本画をみ、色彩豊かな視線の先へ続く戸外は、薄暗く翳っていちめん白い絣模様に織られている。けれども館内は暖かく、訪れる人たちが若々しく華やかだ。
 平日のこの時間、この会場へ出かけてくる人はみな時間に余裕ある年配の人が多い。それでも表情は生き生きして、4〜5人よれば熱気が渦巻いている。  
    いいわね。視覚に訴えるって一番若返りそうね   
    じゃぁもひとつ、行ってこない?   どこ、どこ?        
    「越中冬浪漫!」

 大きな窓からのぞく空に、つかの間春の色が満ち溢れて見えた。雪の日が少なければ、それなりにからっと陽気で明るい心象風景が私にも見えていた。 

2007年2月6日(火)
和ノスタルジー

 「昔はよかった」 折に触れ懐古する五十代、六十代に対して、でもこんな現代に作り変えたのは、ほかならぬあんたたち自身ではないの と、少しばかり若手のタレントが力説している。
 街頭のインタービューでは眼の黒いギャルたちが、いまどきの若い人って何考えてるのだかと慨嘆しているし、二十歳の成人は、十代のコって少し変だよと顔をしかめている。 「時代の流れ」とおおまかにけりをつけるより他言葉が見当たらない。

 一億総中流といわれた時代の先には考えられないような格差社会があった。敗戦と与えられた民主主義の一時期を別にすると、お上の権威は絶大で、下々の一般大衆は貧しく萎縮して暮らしたし、さらにその先を遡れば、士農工商があって、貴族社会があって、明治維新があって…
 時代の流れとはこんなものなんだろう。 そんな目で見れば、昭和の後期は確かに上昇の波に乗ったよき時代だったと思えてくる。

 「昔を否定することは自分自身を否定することになるから!」

 昭和ノスタルジーと揶揄したタレントの言葉にも真実はあるけれど、彼らが享受するメディアの、恩恵とともにある功罪の大きさをもときには反省してほしいもの。
 しかし 額に汗を滲ませて自説を述べる姿も、現代を懸命に生きるひとつの形と理解しましょう。
 喧々諤々熱くなって議論した今は遠い昔を懐かしむのは、たしかに昭和ノスタルジーの一端なのでありました。

2007年1月29日(月)
イチゴ白書をもう一度

 就職が決まって 髪を切ったとき
 もう若くはないさと 君に言い訳したね ♪

 無精ひげに長く伸ばした髪、万年床の狭い下宿から学生運動に青春を傾けた、ひところの学生たちの姿を回想したのは、ビデオの影響、というよりも、思いがけず親元を離れて高校生活することになった太郎の、つくつく立った髪の毛の印象が残っていたせいらしい。

 真っ白の上下のアウターで初詣した太郎は、いくつものお守りを受け取ったとき、まだ幼な顔の面影が残る日焼けした顔に、相変わらずのシャイな表情で、ただ照れくさそうだった。父親を超えて成長した今も、目に入れても痛くないってこんなことかなぁと黙って眺める。
 小学校入学の際、便宜上別居した時点で
孫離れした気でいるから、遠く離れて住むようになっても、それほど変わらないと思うけど、のんびり素直に育った彼の方は、これから踏み出す未知の道程で、この歌のような甘くてしょっぱい青春が待ち受けているのかも…

 数えたら30年前の歌でした。
 宇宙人のような彼らがどんな学生生活を持つのやら。
想像も出来ない想像をめぐらしながら、可笑しくてちょっぴり寂しいのは、言葉とはうらはらに、幼い頃の感覚から一歩も抜け出ていないのかも知れません。

 
2007年1月22日(月)
映像の記録

 描き疲れてごろりと横になり、何かいいものはないかと周囲を眺め回す。 あった!
 気分転換には重いだろうな、と分かっていたけど、どうしても見たいDVD「映像の世紀」は、物心ついてからの大半を生きた、20世紀の映像の記録である。
 パリと万国博から始まって、第一次大戦の始まりまでが第一集に収められてあリ、崩壊する前のロマノフ王朝の様子や、大戦の引き金となるオーストリア皇太子の暗殺事件などでようやく幕引きをしたあと、しばらくは粛然となっていた。   
 何かがよみがえってくる・・・ リセットが効きすぎてもう一度、今度はCDで軽いワルツに耳を傾けた。

 …(会議は踊る) (リリアンハーヴェイ)…
 ふっと懐かしい映像が浮かび上がった。
 生れる以前に制作されたモノクロのミュージカル「会議は踊る」は、確かその時代を背景にした胸キュン映画である。(実は100年昔、ナポレオンの時代でした)
( ̄□ ̄;)
 ハイデルベルヒに遊学する某国皇太子と、うら若き洗濯女、ではないパート少女の恋物語。
 音楽が素晴らしく、ウィーン会議の無人のイスがワルツに揺れて、花咲く川辺で歌い集う彼女たちの華やかなページが次々めくられてゆく。記憶の宝箱からこぼれ落ちて、どれくらいたつのだろう?

 目で見る世紀の記録。虚構の物語とは比べ物にならない魅力がある。
 激動の20世紀、このあと1ヵ月は楽しめる。後半に至れば自分も登場人物のひとりになったように、見るたび感動を新たにするだろう。そしてきっとまた関連する懐かしい記憶を掘り起こしては、物思いにふける。 それもよいか。
 だけど、思いがけずミーハー的要素はまだまだ健全ね
 すっきり晴れやか新鮮な気分で、私は再びパネルに向かった。

2007年1月14日(日)
赤い福袋

 夜眠気が差してスタンドを消したはずなのに、暗闇の中で妙にすっきり頭が回り始めた。今描き足しているハワイの「思い出」。 終わるのを待ちきれず途中線描きだけ挟み込んだ「情景」。 そのあとは80号に納まりきらないほど詰め込みたい新作のあれこれ。
 イメージを膨らます時間はどんなに長くても飽きないが、それがお休みタイムを侵食しかかると、最近はすぐ注意信号が灯るようになっている。いっそのことと起きだしてはみたものの、午前2時ではいくらなんでも半端すぎた。

 今年どうした風の吹き回しか、正月そうそう福袋をご褒美にと、自分自身に送ったものである。
 「恋物語・尼の泣き水」に「緑の中の田んぼっち」 「手の温もり・心優しいマドレーヌ」
と言うのもあって、地名に関したネーミングの焼き菓子の中から、好みに合いそうなものを選り分けて、トロピカルなフルーツティを淹れて、睡眠薬代わりに飲みながら思った。
 いつ頃から甘いものに目が行くようになったのだろう?
 お芋とケーキが嫌いだった若いころから、月日とともに心や体へ徐々に溜まった疲れが、自然に欲しているのか、それとも私そのものがアマく出来上がったのか…これはどんな欲目に見ても両方と答えていいところ。

 赤い福袋が届いたときは、ははぁ、こんなのが欲しかったんだと少し納得したが、お餅とオセチの残りとで、もたれかけている胃は、そんな気まぐれを笑ってそっぽを向いたまま。
 それがこんなところで役立つなんて。
 眠れないときは、起き出してコーヒーを飲めば何となく心安らかに夢路につけると言ったら、へーぇ、鈍感 と笑われて、自分もその気になったこともある。
 でもね、ゲイジュツに関しては、ゆめゆめ鈍感などと指摘されませんように。。。

 気を引き締めたつもりで、眠りたい、眠れないと転々としながら、いつか朝になっていた。そして固く決心したはずの記憶は曖昧で、夢をたどるように日記をつける羽目になった。
 名残りのお菓子の包み紙には、こうあった。 眼がきりり 像は正時。(海老名いろはがるたより)と。 

2007年1月6日(土)
無言館

 戦没画学生の遺された絵を集めた美術館が、信州にあるのは以前から聞いていたが、先日テレビで紹介されるのを見ることが出来た。 絵を勉強の半ばに戦地に赴き、生き残った窪島誠一郎という人が、洋画家野見山暁治とともに、各地に散らばる還らぬ人たちの遺作を集めて開いた無言館のこと。

 画家を志しながら戦争で夢を奪われた戦没学生の無念さは、どれほどその情熱を心の奥深く納いこまねばならなかったか想像に難くない。けれども絵がある限り、いつまでもそこに命は生きている。
 対象のほとんどは家族や恋人、ふるさとの風景など自分の愛した身近なものばかり。
 訪れる人は一様にしばし絵と向き合い、語りかけて当時を偲び、その心情に溶け込もうとすると言う。
 出征までの限られた時間に描いた、おなかに子を秘めた若い妻の瞳のなんと暗いこと。
 声にならない哀しみが聞こえる。哀しみを超えた静けさが漂う。

 全国を訪ね歩いて判明した画学生のすべての名を刻み込んだ碑も建っている。
 指でなぞって涙を流す遺族がいる。
 この夏、そこに真っ赤なペンキが一面降りかけられていた… 
 
 戦争の記憶が薄れ、心の劣化も進んでいる。
 修復された碑の覆いを剥いだとき、黒く磨きこまれた御影石の下部にくっきりと赤いペンキが一部残されてあった。  ”許さない。無かったことにはしたくない”との強い想いが鮮やかだった。

 まだ名も知らぬ学生たちの遺作が待っている、「記憶のパレット」と名づけられたいしずえの下の、声にならない叫びに突き動かされるように、全国から情報を求めて収集に駆け回る館長の窪島氏に、小さな部屋の片隅からひっそり声援を送り続けたい。                   
                             無言館のこと (「無言館 遺された絵画」巡回展より)

2007年1月1日(火)
元日もよう

        孫の次郎が新聞のジャンボクロスワードに挑戦している。正月休みの暇に任せて私も途中から加勢することにした。
 設問は632問。新しい知識は海綿のように吸収する小6の次郎と、古びたシナプスを懸命につなぎ合わせる私とは、恥ずかしながらいい取り合わせ。二人に共通する難問は、タレントなど芸能界に関する情報がほぼ皆無ということだろうか
少しばかり興味を持ち始めたはずの兄の太郎は、受験を控えていながら、マグロのように横で眠りこけている。それでも
「インターネットで調べたら」とぼんやり薄目を開けてヒントをくれた。なるほど。

 白地の紙さえ見れば何か落書きしてみたくなる、こんなクセはいくつになっても消えない。小さなマスをひとつずつ埋めてゆく作業は快感だけど、若い次郎は手っ取り早く回答に繋がる空欄から先に埋めている。私は志に反して体の方が硬直し、2時間したらギブアップ。次郎は体力に物言わせても持久力が少々劣る。血圧上がるよと言われたのがとどめとなって、ウーン、残りはあとでと鉛筆を投げた。

 パズルを解いてビッグなお年玉、というキャッチフレーズだったがそこまでは目が行っていない。締め切りの期日など関心外で、それきり興味は他へ移っている。空欄がなくなって同時に私も忘れた。
 「今年開催される世界陸上の都市の名は?全部解いたとして、どれだけの価値があるの」とは理屈っぽい彼の言葉らしいし、答えても目に見えぬ形では心からの納得は無理とばかり、そうだねぇと笑ってとぼけた。そのうちトレンドな解釈を自分で下せるだろう。

 4年ぶり家族揃って在宅新年を迎えた。ひとなみの初詣を済まし、柄になくお守りなど買い揃えて少し気恥ずかしく過ごしたお正月休み。
 孫たちの成長がまぶしくて、これは目出度くもあるけれど、年を数えればめでたくもなし… 

2006年12月26日(火)
コビトのつぶやき

                            
 
薄日の差し込むブラインド越しに、ちらちら視界をよぎる影がある。
 音もない静かな日、枝に残ったむらさきしきぶの実と戯れるように、つがいの尾長が遊んでいた。一羽だけなら急いで眼鏡をかけ替えて観察したいところだが、もつれ合っている姿にホッと気がゆるんで、同時に視点もゆるんで、こちらも思わず肩の力が抜けている。
 ちょっと隣の羅漢樹に乗り移ってくれないかなぁ、色の写りはその方が断然いいんだけど。

 おや、と見直すまもなく、三羽、五羽、十羽と青色の色彩が気ぜわしく交差して、小さな粒々の実は隠れて見えないほど。気がつくと、複数のひよどりもモチノキの緑の中で、姿に似合わぬかわいい声を交わしているし
遠く冬の梢には一列に並ぶ黒い影、いっせいに飛び立って空を舞い、また別の一群と交代して木々の先端に納まるのはムクドリの群れらしい。
 年の瀬の多忙の折、鳥たちも忙しく冬を迎える準備で明け暮れているのだろう。人間の勝手な解釈をよそに、無私無欲はるか高邁な、あるいは生か死を賭けてただ一色生存競争の中で。

 例年クリスマスが終わると、グループや家族や友情でつながれた輪の一端が、私のもとへもいくつか伸びてくる。そのたび感じる少々の寂しさは、群れをなさなければ生きられない動物の世界に比べるとき、やがて小さな幸せと安堵のなかへと導いてくれている。何より今現在の、ひとりを覆う充足感が自分には一番ふさわしい。 お前たちの仲間でなくてよかったね。
 雨になった。小鳥の群れが去ったあとも、しばらくは心の浮き沈みにまかせていた一日。

2006年12月19日(火)
スローな楽しみ
 ドアを開けると同時に静かなざわめきが、香ばしいコーヒーの香りとともに流れてきた。
 色にするならトパーズ色の照明と、紫のシェードといった店内の感じ。壁の色が白かったか、幾何学的に組み立てられた柱があったかは、どちらであってもかまわない。オーダーしているPちゃんはショートカットで若々しく、受け答えする細身の年若い男性店員が、なぜかシャイに見えるのがちょっと不思議な感覚である。 だけど・・・
 後ろから見ている私には、その小さな話し声がさっぱり聞き取れない。雰囲気壊すけどそっと告白したら、意外な答えが帰ってきた。実は私にも聞こえないのよ 適当に相槌打ってるだけ。
適当な相槌で成り立つのが私と違っているのだが。

 Pちゃんとのドライブで、二人いっしょにパーキングエリアの化粧室へ入ったとき。
 静かな個室で隣からはすぐ勢いよい音声が伝わってきた。ときを置いてこっそりかぼそく小さな音。
 美人のPちゃんと言えども、やっぱり同じ人間なんだ。
 私は人知れず安堵したのだが、彼女の方もさぞ可笑しかっただろうと今さら気づいている。

 このスピード感覚、半分は自然現象だが、半分は自分で作り上げてしまったもの。世の中の動きに反しても、緩やかなときの流れに浸るうち、こんなところに歴然と現れてくるんだ、厳しい。
 その代わり長い間ひとり愉しませてもらった。 実は、このカフェに入ったのも昨日や今日ではない。ドライブに至っては2年以上は経っている。その間幾度となく思い浮かべ胸に溜め込んで、いまようやく表まで出てきた、もう日記にも書けないスローな話。ひとりでいるとはこんなこと。
 若しかしたら彼女の優しい思いやりかも知れないし、今度同じドアを開いても、トパーズと紫の光はもう見ることもないだろうな、などと思いつつ。 
2006年12月14日(木)
「忘れちまった哀しみに…」

 画材を入れた物入れの一隅に、ぎっしり詰まった古いおもちゃ箱が同居している。
 日に一度は必ず目を通して、ちょっと昔を懐かしむのも日課のひとつになっていて、子どもたちからすっかり顧みられなくなった今でも片付ける気がおきない。ことに気の滅入る日は、手足のもげたウルトラマンや、色の剥げ落ちたミニカーなど見ているうち、幼ない頃の孫たちの瞳の美しさ、天真爛漫の表情やしぐさが夢のように思い浮かび、心底清らかに洗い流される自分を取り戻す。
 それほど汚れちまったわけでもあるまいに

 最近のおもちゃは、オトナたちのためにも作られているようだ。
 笑いを振りまくセサミストリートのキャラクターのおもちゃが面白い。座り込み、前に倒れ、後ろへひっくり返り、果ては腹ばいで床を叩いて笑い転げる、見ているすべてに大笑いが伝染する。笑いながら涙が滲み、無垢な子どもの心に戻ればまた涙が溢れる。
  

 昨夜の会の余韻がまだ糸を曳き、映像と優しいエッセーに潤されて、いちにちの豊かだったこと。
朝おもちゃ箱を目にしたとき涙といっしょに放散し、からっぽにしたはずの胸の中にまたもや溢れてくる感情がある。得体の知れない涙もある。そのあとにじんわりと広がるよろこびがくる。それだから情緒過剰なんて笑われはするのだけれど。

 この古いおもちゃ箱、いつになったら処分する気が起きるのか。
 出来ればあの笑い転げる人形が欲しいなとさえ思う。  
 何故だろう?
 日ごと希望をかてに成長するもの、次代に夢を託して消えゆくもの。
 いつか訪れるかも知れない何かへの予防本能、としたら行き過ぎだろうか。
 はて、それほど笑いを忘れちまったわけでもあるまいに・・・ 

2006年12月9日(土)
情感の拠るところ



    

    

適度の体操と、カキクケコ運動は毎日必ず致しましょう。
簡単な基礎体操をしただけで、日ごろ運動不足のなまった体にしばらくはあったかい血が駆け巡る。カキクケコ運動とは、感動、興味、工夫、健康、恋。
誰がこんな素敵を教えてくれたのだったろう?
夢路をたどるときも目覚めているときも、頭から離れない何かがある。毎日胸ときめかせている何かがある。
気がつけばすべてはカキクケコに繋がるみたい。

一日数時間は心の奥で泣いたり笑ったり、何かを恋して高揚して落ち込んで。
笑いや涙は、興奮状態を一気に発散させる、リラックスさせるセラピー効果も持っている。そのあとにくる幸福感エンドルフィンがもたらすストレス解消がなかったら、とっくの昔圧しつぶされて、今頃は干上がったミイラができていただろう。

越中アートフェスタが盛況だった。
この世に幸福を感じる人がぐんと増えたような気がして、生きる楽しさがまたひとつ重なった。形はどうであれ、興味が湧いて工夫して、そのたびデッサンの対象に恋をして、感動は尽きない一日がまた終わる。

2006年12月5日(火)
夢の中で

 来た 、夢うつつの状態で、しっかりと捉えたつもりだった。
 黒だか赤だかよく分からない闇の中から、得体の知れない線や点が動き回って、ぼんやり人の形が浮き上がってくる…このときのどきどきする思いは、夢の記憶をたどろうとするたび胸を弾ませる。
 それはアメーバの動きに似て、ファントムのような横顔となったり、おでこのない千切れた隈取の面に変わったり、色も金や銀からブルーへ紫へと千変万化するから、とても手の中へは収めきれない。

 シュールレアリズムの画家ダリは、入眠時見る夢にヒントを得て絵を描いた。スプーンを手にもって瞑想をはじめ、眠りかけてスプーンを取り落としたとき、音にはっと目覚めて、そのとき見ていた夢を元に構図を作ったそうである。
 最近、半睡半覚を過ぎて8睡2覚(?)の状態のとき、いろんな形のものが浮かんでくるのに気づいた。瞑想のとき以外自覚できない現象だったし、いつかはっきり記憶に残せたらと意識するようになったのは、ダリの影響というよりちょっと神秘で不思議を感じる体験だから。
 何だろう、次にあらわれるものは?楽しくて、覚えておきたい、触ってみたいと手を伸ばす。勿論からだは動かない。そしてすぐ靄の中から暗黒の世界へ、そのまま眠りに落ちてしまう。

 右と左の耳にそれぞれ違う周波数の音を聞かせていると、やがて脳波はアルファー波からシータ波へと移行して、深い睡眠直前の状態におちるといわれている。そのとき見る夢は、ほとんど記憶に残らず深層意識から発するものが多いため、生前にまでさかのぼって記憶をたどったり、果ては遠い先祖と会い見ることまで研究され、実践するプロジェクトもあるのだとか。

 夜の読書に飽きてスタンドの灯を消す瞬間、夢路に期待が膨らむ楽しさを知るのは、私だけの特権じゃないかしら。イメージは何も湧いてこないけど、頭の奥底で何者かと対面して、ともにすっと眠りに引き込まれてゆく心地よさ。思い出せない夢の中で左脳人間の私は一体何をして遊んでいるのやら? 

2006年11月29日(水)
メロディと詩と

 自由きままに使える私の時間、そばに好きな食べ物と好きな仕事があって、あと疲れさえ感じないものなら!ほんとに自分勝手な欲望は際限がない。
 天国と思えたものがときには地獄となって、鬼たちに追い回されてるような気分になるとき、つくづくそう思う。久しぶり手元にあったCDを探し出してBGMに流してみた。

 小学1年、初体験の独唱でみなに笑い転げられて以来、トラウマになって大嫌いだった「うた」は、思春期の頃からメロディだけは不思議に覚えたものの、ハミングの域を脱することなく今日まで来ている。だからうっとりするようなメロディも、題名と繋がらないまま、いつか心の憂さを晴らしてくれていたりする。昨夜居間に戻ったときがそうだった。そして偶然だろうけど、その曲の由来を知ったのも同じ夜だった。

 サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」
 何となく宗教的な匂いを感じてゴスペルのひとつかもと思っていた。 アパルトヘイトの中で共感され育くまれ、抑圧された人たちが唯一安らぎの場であった教会で、アカペラとして歌い継がれたと言う。サイモンもユダヤの地で育ち、激動の時代反差別運動に身を投じた。肩を組み歌い集う人たちの無心の姿。そう知って聴けば曲の底に流れる希望がひたひた胸を打ってくる。
 ひとつ新しい知識を得たというだけでなく、音楽のもつ不思議な力に、しばらくの間虜になった。 同じ日の出来事は偶然でなく、何かの意味を持つとさえ思われた。

 メロディのあとから題や作詞作曲者を知るときもあれば、詩の魅力に惹かれて歌手の名を覚えるときもある。無意識のものまで含めて、今までどれだけの曲に癒されていただろう。
 耳からの他に視覚からも、いつかひっそり人々に訴えかけ共鳴されるものがあったなら…
 秋の夜はそんなに長くはない。それにしても私は恵まれている。こんな幸せな時間を持てたのだから。

2006年11月25日(土)
小鳥の死

 庭に小鳥の死骸を見つけた。数枚の羽が散らばり、生きていた頃は空に劣らぬ鮮やかなブルーの姿態で、優美にわが世を謳歌しただろうに。輪廻転生という言葉に真実があるなら、この小鳥の前世は、そして何に生まれ変わるのかと柄にもなく考えたのは、彼の命日が近づいていたせいかもしれない。

 ブラインドの間から金色の光が降っている。   
 そよとも動かぬ樹木の隙間で、ふっと葉むらが揺れたかと思うと、ガラスを通り抜け、部屋の中まで 私の中まで 吹き込まれる優しい想い。
  もう会うことの出来ない大切なひと 今も私のそばにいる   
  千の風になって
  朝の光になって
  鳥のさえずりになって―

 お墓の前で泣かないでください  たびたび幾人かによって詠み次がれ、9,11の追悼式で一躍世界に知られた13歳の少女の詩。純真な少女の言葉はそのまますっと胸深く忍び入る。
 今日のような透明な秋の日は、ことさら胸底の琴をかき鳴らされるような想いで、澄んだ空
気に心を浸す。

 秋は夕暮れ。つるべ落としの陽が傾き、物思いから引き戻されるまもなく夕闇が立ち込めた。
あのあたりあの青い羽の片鱗も見えず、今は無明の闇のなかへ沈んでいる。
 明日は小鳥の声を姿を偲んで、どこか庭の片隅に葬らなくては
と思う。

2006年11月16日(木)
ソーゾーはタノしい

 小、中学校とスポーツクラブにいてすっきり坊主頭だった孫の太郎は、卒団式を終えてさて勉強に取り掛かった頃から、自然髪の毛が伸び始めていた。近所の床屋の兄ちゃんが、散髪オレに任せてよ、と言うので頼んだら、いや驚いたのなんのって、と息子が述懐する。
 あれモヒカン刈りっていうの、栗の先っぽみたいに頭のてっぺんに長ーくつまみ上げた毛を、ギチギチに油で固定しちゃってさァ
 へえ、両端剃っちゃったの? とんでもない、そこまではいかないよ
 彼の進路を決める大事な面接が近づいていたから、すぐにお風呂でごしごし洗い流してやったけど、変な形はあまり変わらない。親の心配に引き換え、当の本人は悠揚迫らずのんびりしたものだとか。

 ハンサムでもなく秀才でもなくおまけに無口の彼は、不思議な運と魅力を持っている。
 情緒的要素はゼロなのに、適当に温容であったかいハートを持っているのもいい。
 赤ん坊の頃から夜以外はいつも私といっしょにいて、おっとりゆったり穏やかに育ったから、運動神経にしろ才能など隠し持っているとは想像もしなかった。 
 生れたとき異人種の子でないの?とからかわれたくらい透き通った白い皮膚は、裏表が分からないほどこんがり焼けて、トレードマークの眉も、半分ほど剃りこまれて大分相好が変わって見えるのに、それでも何だかカリスマ教祖みたいなオーラを感じる。うるさいオバサマ達の中で理屈ぬき人気があり、始めはババ馬鹿と笑っていた息子も最近では首をひねって眺めだした。

  海とも山とも分からぬ赤ん坊に、隔世遺伝というものがあるからね、と鼻歌でささやかな願望を聞いてもらったことがあったっけ。ひょっとして冗談から駒 いえいえ…  
 それらしい髪型の芸能人が、ポートレートで若さを振りまいている。 結構、いいじゃん
 ちょっと見てみたいけど、やっぱり止めとこ。想像だけしているのがとても楽しいもんね、それにしても。
 そのモヒカン頭、すっかり形が消えたとき、同時にツキも落ち、ナンテことありませんように――。

2006年11月13日(月)
こんな日もあり


 喪中を知らせるハガキがもう何枚か届いて、曇り空の肌寒い秋の日突然侘しさに身がつまされた。気分を変えて、とかけたCDがたまたまポールモーリアだったから、やさしい癒しのリスナーミュージックは、おセンチとロマンチックに、昔日のウキウキ気分と、人との在りし日の思い出までがミックスされて、ちょっとしたソーウツ状態。じっと机の前に座っているよりもと、自己流のストレッチへと逃れた。

 ”
まるで魔法がかかったように突然むなしくなり、部屋にこもって瞑想でもしようか、
  音楽鳴らして人形相手にダンス踊ろうか、それともヨガの逆立ちで世間を下から眺めあげてみようか

 
こんな気分に襲われたことはいままでに再三あったけれど、からっとしていた昔に比べ、うまく気分転換が出来ないという大きな相違がある。
 まだまだしたいことは沢山あるのだから、うかうかしてはいれないのですぞ。

 ひばりや裕次郎の突然の死を知ったときは、ひとつの時代が過ぎ去ってゆくのをひたひた感じたものである。好みとは違っていても、その天才的な才能と魅力は、無意識の領分にまで深く沈潜しているのを知らされもした。ポールモーリアだってもうあの世のひと。そして美しい旋律だけはいつまでも心の中に流れている。

 何かをしたい、そう思ったときが青春。そんな言葉もある。胸の想いを何か形に変えたくて、焦っているのかな、とフッと考え付いたら、エーゲ海の真珠の波の上で軽やか?に手足を伸ばしている形よい自分がいた…
ここまできて、ひとり大声で笑いがはじけた。私はいま「躁」の状態?

2006年11月8日(水)
美術展のあとは

 近代美術館と水墨美術館、それぞれの企画展を同時に鑑賞した日があった。
 ひとつは入り口あたりから人波が行列を作り、およそ美術館らしからぬ賑わいで、中には赤ちゃんを抱っこした若い母親に車椅子の老婦人、お化粧バッチリの現代ギャルに、家事の合い間ちょいと抜け出した格好のスッピンのお母さんもいる。八割かたが女性で、年表の前ではことに熱心に読み進むため人だかりになるのも、「いわさきちひろ展」とあればうなずける。私見をまじえた講評などが方々から聞こえて、新しい見方や知識とともに、いつの世も母性本能は健全と気づかされた。

 ひとつは芸術院所蔵の名品展「美の殿堂」
 題目だけでちょっと近寄りがたい思いになるが、展示の日本画を見たさに足を伸ばした。こちらはひっそりと靴音さえはばかられる広い館内に、格調高くゆったり名品は鎮座している。団体客らしいスーツ姿の中高年男性がちらほら、ほかに人影は見当たらない。人ごみから抜け出してきて、その対照的なのが異様なくらいだった。

 複雑な想いが駆け巡る。 自分は好きな人物画を、いつも甘さを控えることにこだわりすぎたかも知れない。甘さに優しさ愛らしさを混同して、ちひろやローランサンのピンク・ブルーを敬遠していたかも知れない。それにしても、あの万人に好かれることは?
 ちひろの淡い色合いににじみを生かす(雰囲気ばかりに捕らわれないで、と)近代日本画の技法ではあまり用いない描き方、彼女が多分に影響を受けたとされるローランサンの、そこだけ見れば洞穴を思わせる不気味な黒い瞳が漂わすあの哀感の不思議さ…

 最高級の名品から受ける高邁な精神や技術の一端を、少しでも汲み取りたいと念じつつ、しかも庶民レベルからかけ離れぬ愛らしさで人物を描く。身の程知らずというかまぁ前途多難で、女性のデッサンを前に、今日も私の若い頭脳は混沌となってくる。

2006年11月3日(金)
旅帰りのオタク

 旅行に出るとき、鍵をかけながらフッと不安に襲われることがある。一歩家を出たら、待ち構えているのは異次元の世界ではないかしら。私は時空を旅するエトランジェ、帰ってみたら家がない…

 以前読んだダン・ブラウンの本にこんな会話があった。愛する父を殺され呆然とする科学者の娘に、宗教学専門の大学教授が尋ねる
 「あなたは神を信じますか?」
 「神は間違いなく存在する、と科学者は語っている。自分が神を理解することは永遠にない、と私の 頭は語っている。理解できなくていい、と心は語っている」


 世界中に起きている不思議現象を、幸か不幸か見たことはないが、時空に巨大な裂け目があり、人々の眼前から乗員ごと戦艦が消えたり、グループごと旅行者が砂漠から蒸発する話は、事実として聞かされる。何度聞いてもとても信じられないし、関係ないと忘れもするけれど、留守中火事で我が家が消失したらと言う不安は、若くない心が語るのだろう

 昔近所の年とった歯医者の先生が、抜いたピンク色の神経をピラピラ振りながら、こんな太いのみたことがない、男に生れりゃよかったのに、とおっしゃったのを思い出す。たしかに大方の心配事は笑い飛ばして、批判にめげずわが道を図太くゆく神経を持っていた。 
 ともあれ4日間の外出から帰って、木漏れ日の中にある古びた我が家を見出したときのホッとしたこと。 あった!よかった!笑いがこみ上げてくる。私はこれでもクラスの中で一番気持ちの若い方。
 
 (駅で別れたお友達はみな無事帰宅できてるか知ら?若しかして事故に会ったりしてないかしら?)

2006年10月22日(日)
5年日記
 この何十年来、日記は書き放しで気が済むとみえて読み返してみたことがなかった。4年前に買い継ぐ面倒を省いて5年日記にしてから、去年一昨年のものがいやでも目に入り、思わずページを閉じるほど恥ずかしくなってしまう。
 重宝だけど問題なのが内容。自分勝手な感想をはじめ、思い込みやら不満やら、いくら人目につかないとはいえまるで裸身をさらすよう。向上なんてとんでもない。坂道を滑りかけてるぐらい不安で落ち着かなくなった。

 ”寒くなった。ホットカーペットを出し机の前とベッドの足元に敷く”
 ”寒くなった。ホットカーペットを出して洋間と居間に敷いた”
 (去年の天候はどうだったろう)、思いついて調べたら、少し日はずれているものの、真似たような同じ記述が重なっている。おまけに今年までも。
 自分の仕草や考えを文章にするときの、手っ取り早いパターンが出来上がっているらしい。 とすると、大好きと自認する手紙やメールの類にも、きっと毎年同じマニュアルどおりの文言を繰り返しているのでは?・・・ 冷や汗!

 ”澄み切った青空、透明に光る空気、いっそこのまま融け込んでしまいたい”
 これだってそうだ!先ほど青空を見ながら強く感じたことだけど
もう幾年も前から訪れる定番の使者のように、その都度丁重に迎えて、新鮮な季節の到来を知ったつもりでいるから。そして必ず現況報告に付け加えるから。

 人の感受性に限りがあるなんて聞いたことがない。ひとところで足踏みしていないでもっと磨く努力をしなくては。一日を締めくくる読書も、眠り薬などにせず、読み返しては情操を養い語彙を養い…ああこの決意、5年日記を開くたび思い起こしますように。
 
2006年10月17日(火)
秋晴れというのに

 ××回目のくしゃみが出たとたん、頭の中に無数のひび割れが入ったような気がして真っ白になった。同時に吹き飛んだ視覚聴覚が戻ってくるまでじっとこらえる。 頭ばかりか全身締め付けられる思いの猛烈な耳鳴りが3ヶ月、お次は首から肩への凝りとむず痒さ。思わず掻き毟っても、隔靴掻痒のもどかしさがまだ治りきらないというのに。
 
心当たりはないけれど風邪かしらそういえば定番野菜やきのこの具沢山味噌汁は、いつの間にか縁遠くなっている。あまりに濃厚雑多な風味だったから、栄養価値は認めるもののまだ当分は飽きから戻れない。それにしても何年間続いたやら、かなりな人に吹聴して薦めちゃったね。なにしろ週4の病気持ちがぴったり納まって、その効能あらたかさに驚いたのは事実なんだから。

 だからこんな症状に悩まされるのもどれだけぶりか忘れるほど。快適な秋晴れというのにやたら寒くて、上から羽織るものを分厚いコールテンに変えてみた。ブラウスを薄手からニットに、それでもスカスカ冷たくて肌着を長袖にし、厚いソックスをはき重ねて仕上げた。
 これでよし。
 態勢を整えて机に向かったらまたもやくしゃみ連発となった。あれだけ着込んだのにまだ寒い。
 うーん寝込んだりしたら予定が狂う 早めに直すしかないと考えて、仕事場で普段着の臨時体制のまま肌がけ布団にくるまった。頭だけ振動によく持ちこたえて静穏なのが不思議なほど。
 くしゃみ鼻水ルル3錠。鼻歌で横になってはみたものの、今度は足の甲とか思いもかけない箇所に痒みが湧き、掻いてみたけどやっぱり感じない。この体調の狂い、なんだか更年期症状に似ている。


 
自然の中に融け込んだ女の情感を描き表してみたい、そんな思いに捕らわれているうち、微妙にホルモンのバランスが崩れたかな、などと考えてみれば何となく納得出来るような出来ないような。
 で、その第二の更年期のあとに来るものは?
 明日は今までどおりの薄着に戻って、きっと医院ゆきなど思案しそうな

2006年10月10日(火)
トロイカ ♪

 曜日の感覚も消えかかった日常に、連休を山へ街へと楽しい行楽のお便りが飛び込んでくると、私もおすそ分けに預かった気分で適当に刺激をもらえる。それから連想する過ぎた日々への想いが、緩やかに訪れてくるのは私の楽しみのひとつ。 一日を相変わらず絵具との格闘に暮れて、快い疲れを癒すひとりの夜、何気なく回したチャンネルの先にレトロなメロデイが流れていた。

 カラオケではなく歌声喫茶で、涙ぐんだり高揚したりの遠い日がよみがえる。上京してついでに新宿の「灯」を探し当て、入らないで帰ってきたこともあったっけ。北限の地ロシアに生れる歌の重厚さに想いを深め、恋の都はシャンソンの小粋さに心くすぐられて、それなりに軽快に過ごしたその頃。 
忘れられない記憶が連なる。

 向き合ってロシア民謡を歌う医師の彼と患者の私、ウクレレを弾く若い研修医。幼い息子が周りを歩き回って、お昼の休憩時間の診療室にやわらかな光が差し込んでいた。

 燎原の火のごとく燃え盛った安保反対の学生運動はやがて鳴りを鎮め、合わせるように歌声喫茶も下火となって次々に店を閉じた。医師の彼は病を得て故人となってから久しい。 あの研修医はどうしているのだろう、今もウクレレを弾いて歌うときがあるのだろうか。

 歌は輪唱から「故郷」に変わり、大勢の歌手がステージに並んで肩を組みながらコーラスになっていた。頬に一筋の泪を光らせて、「バイカル湖のほとり」を歌ったあごひげの年配歌手も、美しい日本語の童謡を歌い続ける姉妹歌手も、優雅に笙を吹いた男性歌手も、アカペラやクラシック、ポップスみながひとつに解け合って手を振る、お辞儀する、私もいっしょにお辞儀する…

2006年10月5日(木)
おかげさま

 高齢化して足並みの乱れたわがグループ展も、11回目が無事に済み、来年度の予定もほぼ決まってとりあえず一息ついた。みな等しい年代ながら今も中央展で活躍する人、地方でマイベースを楽しむひと、絵以外の方向にも絶えず興味が分散するひとそれぞれで、距離は次第に大きくなってゆくような感が否めない。

 グループ展の中間に交代で休みを取った日、素晴らしい好天の下折りよく中学駅伝を観戦することになった。 スポーツ好きの孫の太郎は、好きな野球を三日も休むと元気がなくなる。高校受験に向けて一応机には向かってみるものの、大概は居眠り半分夢うつつの有様。トレーニングも積まず参加したらしいけど、今頃ハイになってるんじゃないか、などと想像しながら、炎天にあぶられてげんなりとなった。 
 スポーツに限らず、楽しみながら長く続くのは、ある種の脳内ホルモンが放出されて、一種の中毒症状が起きるから。言葉は悪いけど太郎はスポーツ依存症、私はさしずめ絵具依存症。


 休みの翌日疲れを倍加させて会場へ赴いた。芳名帳に知人友人の名前が書きこまれている。
 これだから、発表会は魅力的。白いキャンバスにポトリ絵具が広がるような喜びを、そっと隠れて味わってみる。年若い孫たちの現在と未来、大切な友人たちとのつながりの中に、自分のすべてが生かされているような想いにつつまれた一日だった。

 
  
  第11回昴展
 
2006年9月27日(水)
ホントの美しい日本に

 『美しい国日本』 安部新総理と内閣のキーワードのひとつ。
 十二分に情緒的で、魅力たっぷりのフレーズなんだけど。

 一見ソフトな阿部首相、過去の言行録から判断するまでもなく、中身はしっかりタカ派らしい。
見るからに優しそうなルックスで、女性の人気を集めているというのはうなずけるけど、初めての記者会見でも相変わらず、美しい日本の具体的な形はさっぱり見えてこなかった。
それでいて何かとうるさい議員の先生方が、一斉に同方向へとなだれ現象を起こした不思議、大衆世論と追いつ追われつで、卵か鶏かどちらがどっち?

 いつものことながら反論はつき物で、新内閣の成立以来、テレビやラジオのトークにはやっぱり聞き耳を立ててしまう。
 曰く、華がない、サプライズがない、生活感がない。
 安部イノチ、分からん内閣、仲良し内閣、第二次小泉内閣。

 日ごろの情緒過剰はどこへやら。
 痛快がって聞いているわけでは決してないのに、興味深々頭に飛び込んでくるのは若しかして、思想的に日頃欲求不満があるのかと改めて自己分析もする。そしてこれは真面目に見極めないと、実際大変重要な問題なんだからと襟を正す。

 望みをかけるとしたら一つだけ。若々しい柔軟な思想、その一点にのみ可能性を見出したい。
 硬直しないで。一国の指導者として、世論を含め国民を間違った方向へと先導しないで。
 市井の片隅の一市民の願望としてはっきり口に出してみて、いくらか気が済んだ思いになっている。

2006年9月24日(日)
その日の気分で

 
 このところ爽涼の日が続いている。時を忘れた自由気ままな一日が、次の瞬間には 過去になる現実を思わず忘れさせてしまうような。

 静謐の戸外から室内に目を移せば、およそ美とは縁遠い風景。部屋いっぱいにランダムな点と線。ただひとつ整然と区切られた机の上の雑々しさも、すべては自分から切り離せない愛する数々。
 そして、壁に立てかけた大小パネルを遠く近くから眺めれば、複雑な色合いがようやく現れてきたようだし、出来上がりに近づいた色紙も複数枚にはなっている。

 動かないとダメ。脳から指令が来ると、狭い部屋の中からキッチンへ、フワフワ宇宙遊泳が始まる。続いて飛行士は冷蔵庫を開く。纏め買いして溜め込まれた冷蔵庫の空間が、見るたび広がってゆくのは快感だが、体重計の針が微妙に震えるのを見るのは怖い。
 無用なものはさっさとお出し。トイレで安座してから考えた。ワンパターン化すればどんな思考回路だろうとやがては錆び付く。自分にとっての非日常の時間を作ること。この個室でだってそれは出来る。例えば…
なんとトイレでうたた寝が一法だとはオドロキ、たしかに非日常だけど、簡単に出来そうで出来ない。
あるだけの種類の歯磨き粉を買ってきて、毎日その日の気分で変えて歯を磨くとも聞いた。
それならお風呂の水だってその日の気分でいろんな色に変えてみるとか?
洗濯しないで、肌着のいろいろ買いあさってみるとか?

 私に一番の効果は、何が何でも部屋からとび出してみることかも、と思えてくるが、
夜ベッドに入って、今日も変わりなく過ごせたことを枕もとの写真のひとに報告したら、安らかな気分になって眠ってしまった。錆び付いたら切り離して、別のシナプスを継ぎ合わせるまでなどと考えながら。

2006年9月17日(日)
朝のトレーニング

料理を作るのは、五感をフルに稼動しながらの創造の作業だと思うが、その際、食材、調味料などをレシピどうりに計量するよりも、自分固有のベロメーターを極力作動させるのが、よりいっそう脳力アップに繋がるとか。
マゴタチワヤサシイ。(豆・ゴマ・卵・乳・若芽・野菜・魚・椎茸・芋)一日三回はお念仏のように唱えながら、精一杯ベロメーターを駆使している割に、最近の物忘れときたら。

記憶できる容量は一定していて、順次古いものから押し出されるそうだけど、それほど無理に大量詰め込んだわけではないし。
手っ取り早いボケ防止の方法は、ヨメいじめ、と吹き込んだヨメの亭主、つまり息子に言わせると、私は当世生き残れないお人よしだそうで。 面白そうだけど、これは彼一流のアイロニーだから、実行のボタンを押そうものなら、どんな一幕が展開するかは目に見えるし。
第一、当のヨメとは母娘みたいに気の合うお人よし同士なんだから。 え、そうでもないって?
そんなに見てるなら、むしろヨメと二人で、おやじいじめに切り替える方が効果的かも。

いいことを聞いた。 自分ひとりの脳トレーニング。
 食事のとき、味や香りからなにか風景を想像して書きとめる
 朝目覚めたときの気分を形に表現して描いてみる
 人に会ったとき、相手の印象を色に分けて塗ってみる・・・
五感が入り混じることで発想力や想像力を磨く。誰にも迷惑をかけないで、楽しみながら出来ること。

今朝の気分はひし形で、さびしげな薄グレイ。その一角がちょっと崩れてグラデーションの花らしいものが見えるのは、雨で恒例の公園清掃があるのやら無いのやら、落ち着かないせいだろう。。。
ちょっと待って。今月は雨に関係ない公民館清掃だったっけ。
グラデーションは大きく滲んで灰色のひし形も消えてしまった。次の段階朝食まで、「豊かな想像力」はお預けになるか、その前にベロメーターのスイッチが入るかどうかが問題…

2006年9月11日(月)
寿命は延びても
「物の理(ことわり)を解き明かす学問が物理学。その物とは森羅万象、この宇宙でのありとあらゆる現象、天体から物の生命に至るまですべてをさす」 とやま夏期大学の講師先生は、専門の物理学に薀蓄を傾けて熱くお話をされた。
  宇宙はおよそ130億年前に誕生し、
  50〜80億年前に太陽が、43〜45億年前に地球が誕生

  その後数億年で地球上に単細胞の生命が誕生し、多細胞の生命になったのが6億年前
  6500万年前恐竜が絶滅し、100万年前に人類の祖先が生れた。。。

もちろんこの天文学的数字は殆どメモ帳からの書き写し、最近は特に自分の年齢さえ思い出せないほどだから。 なんだか、書いていながら実感はまるで湧かず、途方もない無限の広がりのなかで粟粒のごとき1点が、哀しくうごめいているイメージだけは見えてくる。

何を言いたいのだっけ? そうそう、人間って素晴らしい。
「物理・医学の恐ろしいほどの進歩により、21世紀中に平均寿命が140歳になる」ですって!!
講師先生は夢見るようにおっしゃっるけど、人類が生れて100万年、英知を絞って今より50年寿命を伸ばしたその先に、待っているのは何だろう?
ある未来予測では、インターネットと繋がったコンタクトレンズが開発されて、目を閉じたままメールを読めるようになるとかで、本当なら文字通りオソロシイ話。 
物理は疎く、余命は短く、おまけに単細胞とくれば、想像を楽しむのもせいぜいここらあたりまで… 
                 
2006年9月6日(水)
いまどきのグランマーは

料理屋の店主が述懐している。
「○○会」「××会」と称して威勢良く騒ぎ立てている連中は、老いも若きも女ばかり、近頃の男ときたら隅っこで固まって、それはもう静かなんだから」

「ちびっ子だってそうよ。元気なのは女の子ばっかりで」と受けているのは小学校の女先生。少し離れて漏れ聞いてる私はなんだか複雑。

息子にふとこの話をしたら猛反発した。「弱いやつほどよく吠えるってね。いまどきの女ドモは、少しばかり世間を覗いただけでもう偉そうに知ったかぶり。系統立てては話せないくせに何故か口は達者。男はそれを苦々しく眺めながら、黙って静かに酒を飲むだけ」・・・
だれかの歌で聞いたようなせりふ。 おまけに女ドモに聞かれたら袋叩きに会いそう。
料理と子どものしつけに自信をもって、関白亭主をやっている変な息子が、ここでにやりと笑って見せたのは、多分山ノ神が今お留守だからだろう。

「腹は借り物」とか極端な女性蔑視の俗語がまかり通った時代があった。半分のDNAは母親からという厳然たる事実をどう考えていたのだろうか。戦後家本位、男性優位の体系が崩れると、目覚めた母親たちが反動的に強い女性を作り上げたような気がする。
その最初の世代が自分たち。だけど今、あの使命感と解放感が反省材料となるときがある。ときには行過ぎた強い娘に、泣かされる母親も生れているのは自業自得なのだろうかと。

皇室に41年ぶりめでたく親王が生れた。
これほど心から男の子の誕生を待ち望んだ記憶はなく、また万世一系という言葉の意味を、始めて理解できた人も多かったのではないだろうか。「腹は借り物」などという時代錯誤の考えが復活することはないにしても、世の流れの逆向が心配なときも多い昨今だから。

2006年8月31日(木)
夏が逝く

見上げれば、同じ空なのに少しずつ少しずつ透明さを増してくる空気、何かが変わって、いつの間にかまた秋が近づいている。 傾きかけた陽の光を受けて、そよとも動かぬ樹木の葉たち。
やがて来る厳しい寒さと、次の世代に引き継ぐ養分を身内に蓄えるため、ひと夏の暑さに耐えてなお、物言わずひっそりと立つ姿に、自然の世界の不思議と、秘められた強靭な母性を感じる。

8月の終わり、太郎と次郎が来た。
少年期真っ盛りなのと、そろそろ終盤に近づいて逞しくなったのと。
真っ黒に日焼けした顔が私を見て破顔一笑する瞬間、私の心は天井高くはねて飛ぶ。
二人を見るたび幼児の頃の無心の輝きが連鎖して浮かびあがり、
白髪の増えた彼らの父親の、幼い映像がダブって映る。
そして、誕生のときに似た感動の中で、引き継がれる命を思い続ける。

誰が見てもどこから見ても、孫とバァちゃんのごくごく普通の情景の中で、私も一本の樹になるのかな、なれたかなと、こっそり思いをめぐらす楽しさは、今だからこそ味わえる。
いつの世代にも、それなりの充足感はついて回るらしい。無音をかこって寂しいひとときでさえ、一方で幸せに暮らしているひとがいる、と気づくときも。

向かいの公園で、女の子がクラシックな歌を歌ってた。
  十五でねえやは嫁に行き お里の便りも絶え果てた♪
郷愁が湧く初秋の歌・・・  ねえやって、だれのことだか知ってる? ちっちゃいお嬢ちゃん。

2006年8月27日(日)
入浴の達人

道後に草津、熱海、雲仙、登別と、いながらにして温泉めぐりが出来たのはほんの1,2年、欠けたところを補充しないまま、入浴剤はとうとう品切れとなって、私の温泉めぐりはあつけなく終わった。
こんなのただの重曹に発泡剤や色素を入れただけだよ、と余計なおせっかいを出すのがいる。そんなこととっくに知ってるよ。思いながらもそれ以上買い足せないのが素直ないいところ?

分かっちゃいるけど、ただのお湯が若緑や薄紫にうっすら色づくとき、それは心のひだに染み付いた哀しみや憎しみや、自身さえも意識できない積年の後悔などが、淡い色となって流れ出しているような気がしてくる。そしてそれと知らぬ間にやんわり傷口を癒し、明日への余力を加速させてもくれるようで。

温泉には、入浴の達人と称する「入浴指導員」なるライセンスがあって、温泉を活用した保養のためのさまざまな講習会もあるそうな。
辛うじて首から上を洗ったら、あとはカラスの行水でないと、目まいやら動悸やら納まりのつかないものに対しても、温泉の醍醐味を教えてくれる指導員はいないかしら。
若い頃銭湯へ行くたび、友達と比べて恥ずかしいほどの見事な垢、あのぽろぽろこぼれた白いかわいい分身が、今はめったにお目にかかれず懐かしい。
我が家の温泉では、やっぱり重曹と色素の簡易プログラムで、懐古しているあたりがベストなのかもしれない。





 
2006年8月22日(火)
行って帰ってまた行って

今夕日がとてもきれいだよ、西の空を見てご覧」
「美しい夕焼け雲を見ています。今日一日変わりなく無事でした」

いずれも同じ年頃の息子が、携帯からそれぞれの母親にささやかな幸せを届けたメールである。
どんな返信をしたのだろう?期せずして私にまで伝わってきた2通のメール、読んだときは母親である団塊の世代と、その彼女たちを育てた母親が、生きた時代の違いに感慨を覚えたものだった。

「あの雲の流れる果てに散ります」
「お母さんの息子で幸せでした。私の分まで生きてください」
この手紙の重さを引きずる世代は、もう残り少なくなっている。その哀しみを知るゆえに、携帯のメールを読んで、受け止める幸せの質にも、かなりの隔たりがあるのではないか。

ところで自分はどうだった?
こうしたやり取りを楽しむ親子関係が先ずうらやましい。
  (それに変わる喜びをもたらしてくれるものが、ちゃんと別にいることはさておいて)
受け取る相手を想像しながら、文字を打ち込むときの期待と満足感
  (ごもっとも。あんたは電話恐怖症だから)
ひとりが好きでも、こんなふたりの関係にはアコガレる。私の周りにも一人や二人は…
  (それは無理。まず携帯を持つことことが先ね)

ある日、Eちゃんからかわいいプレゼントが届いて、私も負けず劣らずの小っちゃな贈り物をした。
彼女の携帯からメールが届いて、返事をして、また幾度かやり取りがあって、私はそのたび胸に手を置いて、突然もたらされた喜びをじっくり味わったのだった。
人の結びつきは、間をおかず素直に反応するとき、より深まるらしい。現代のあっけらかんの風潮にも、むしろそれだからこそ、細やかな一面も忘れず持っていてほしいと思う。

今日は夕焼け?いいえ夏のあがきの思いきり悪い空、私は息子のいい便りを待っている。

2006年8月15日(火)
忘れかけているもの
向かいの公園に元気に遊ぶ子どもたちの姿は無く、蝉の声さえ途絶えて静かに、今年も終戦の記念日が巡ってきた。
クーラーはもちろん扇風機さえもない炎熱の太陽の下で、ただひもじい思いに苛まれて、呆然となっていたあの頃の記憶は、年を追うごとに不思議に鮮明になっている。
いつまで経ってもこだわるのはおかしい、過去は忘れ現在と未来に生きるべき。65歳男性と55歳女性は、どちらもメールで知り合った同じシニアの世代の人たちだが、同志には至らないまま意見の隔たりでいつか遠ざかってしまった。

航空記念日の祝賀行事として、最大の都市爆撃効果を狙った富山大空襲、全市の90パーセント以上を焼いたB29の飛行士の語る言葉 「戦争には勝者も敗者もない、戦争にかかわったものすべてに心の傷は残るのだ」
もう憎んではいません、と話す遺族にも、その手をとって見つめる年老いた元米兵の目にも、万感の想いが篭る。何が何でも戦争はいけない、戦後の60年、曲りなりにも他国を傷つけることなく、平和を通してきた事実、そこに至る努力を誰もが忘れず持ち続けてほしい…

仏壇の前に座った。 遺影の彼は、元七つボタンの予科練さん、戦争の中の青春の痛ましさは、絶対忘れ無いと断言した一途な顔が思い浮かぶ。私だって、最後のひとりになっても忘れないから。
お墓参りは、子供たちが遠征から帰ってくるまで待ってね
ブラインドの向こうで、あるかなしの微風に萩が揺れている。平和に静かな環境に生きられるのを感謝する。
                                           
2006年8月12日(土)
夏あらし
長い間居座った太平洋高気圧がようやく弱まって、久し振りの傘マークにしばらくの暑さからの解放を期待していたのだが、今日望む西の空の暗さは異様だった。
具墨を流した背景に、平たい巨大なきのこ雲が地軸に足をつけて覆いかぶさり、その上空は魔物のような黒。
きのこの傘と地平の間の空間だけをわずかに彩る青灰色が、雷鳴のたび明度を上げたり、彩度をさげたり変化するのも何か不気味だ。
あの暗さではひどい雨なのかもしれない、と思うまもなくきのこ雲の中あちこちに、稲妻が走り、幾度となく太い光柱が地平に突き刺さるのも見て、思わず目をそむけた。

雷鳴がとどろく。大きな雨粒が窓を叩く。
この間抱いたのは不安か恐怖の念か、それとも一切思考が停止していたのか自分でも分からない。
どれくらいか釘漬けにされ、気づくといつの間にかきのこ雲は消えうせて、しぶきを上げるモノクロのただ一色の風景が眼前に展けている。我に返って目を室内に移せば、これまた暗い洞穴に落ち込んだような闇の世界。暗さに慣れるまで金縛りの状態が続く。

いつもなら毎朝涼しい風を送り込んでくれる西向きの窓は、午後になると太陽の熱線の放射を受けて、サンシェードを通したオレンジ色の暑い空間に変えてしまう。
雨足が遠ざかって息づいている今日の庭では、地上に萩の先端が波打つように倒れ伏していた。
まもなく室内にオレンジの光の満ちる頃は、たっぷりの水分をつぼみの先まで吸い上げて、元気な姿を見せてくれるだろう。
どこかが潤って、どこかに被害も出て、雨上がりの風は吹き抜けて、自然のドラマの幕が引かれる。
2006年8月9日(水)
お盆が近い

テレビの四角い画面や窓枠の中に、ときどき一枚の絵を見つけて不思議な感動を覚えるときがある。
   漆黒の夜空から際限なく舞い落ちる雪
   空間を渦巻いて風のまま踊り散る花びら

   絶え間なく変幻自在の紋様を描いて流れる水…
余白のないシンプルな構図は、余分な感情の挿入を一切許さず、
わけもなく瞬時に沸騰するかのように突然涙が吹き上げてうろたえたりする。

今日も見るともなくテレビを見ていて一瞬目が止まった。
画面いっぱい三角、四角、変形の円、点、大小さまざまの浮遊物が縦横にマイマイコしている。ものすごい埃のよう…  あ、喘息が起きる、感動の変わりに眉をひそめ大げさに身が引けた。

お盆が近づいて、例年通り奈良大仏様のおみぬぐいの行事があり、見たのはやはり1年間積もりに積もった埃だった。これを浴びるとその年も無事息災に生きられる霊験はあらたかだとか。
理由をつけて納得したいお掃除びとたちに幸いあれ。
いえいえ、鰯の頭も信心から。心から信じる敬虔な人には申し訳ない。自分だってその場にいれば、決して喘息などと申しますまい、多分神仏を敬い、埃の中に口を結んで懸命におみぬぐいに勤めまする。

ときにはみだした想像するのはいいけれど、勝手ながらどうか佛罰などはゆめ賜りませんように…
暑さしのぎに、頭も休んだ今日のひととき。 家のお掃除はまだ済んでいない。

2006年8月6日(日
優先順位





 

恒例の公園清掃に引き続く我が家の庭掃除、だんだんと後遺症が長引くようになってきた。
梅雨の間にじっくりと成長した雑草を、ゴメンねと一本一本引き抜いて、朽ち葉や枯れ枝などいっしょにゴミ袋へ納まってもらう。
この間、居場所の定まらない腰は絶えず宙を泳いで、やがてか細い両手首の関節や肩のあたり、ギシギシかなしい歌を歌いはじめるまで2時間近く。
何とか予定の行程を済ませ室内へ這い戻る頃は、呼吸は乱れ目の前が暗くなって、今にも倒れんばかり… だれも見る人はいないからと納得の上。

何でここまで頑張るの、と一応反省はする。
毎朝カーテンを開けるたび、草たちの伸びっぷりを確かめて感心する傍らで、こんな日になるのを充分予想しながらも、あえてまだ改めはしないだろうなと観念している。
なにしろ、私は忙しい。
月1の草むしりの回数は、微妙なバランスのうえに立っている。
机に向かって、この愛する雑草の庭を眺めつつ、何を考えているか自分でも分からないファジーな時間がとても大切で、いくらあっても足りないのだから。
明日からは、ちょっとこざっぱりした庭を美しいと眺めるか
大事なぼんやりタイムをいま少し増やそうと逆の方向へ向かうか

浴槽にとびこむと、溜まった毒素が湯のなかへジワッと流れ出してゆく。
雑草さんたちの緑の色だ、夢かうつつかほのかな想いが、湯気とともになおも立ち昇っては消えてゆく。
…この具合では、明日かあさってか、仕事などできるのかしらん

2006年7月31日(月)
自由人の夏
「2006年 夏」 1ヶ月の展示会が終わった。
ひっそりと静かな広いホールも、日曜日とあって訪れる人が絶え間なく行き来する。いつものように二階手すりにもたれながら見下ろすと、人の吐息とささやきが、うす靄の流れの中から響いてくる。
三々五々靄の中から現れては、いそがしく通り過ぎてゆく姿、じっと立ち止まって見入る後姿、物陰からそっと見ているうち、
肩ひじ張らず気張らず、自分はいつかゆったりしたときの流れの中に遊ぶ自由人めいて、何もかも受け止めてあげたいほどのゆとりさえ湧いてくる。


写真と日本画、この両極端にあるものを、スムースに抵抗なく融合させるのに必要なのは、言葉だろうか技術だろうか、あるいは感性だろうか、漠然とした不安を少しずつ消化させてゆくための時間は、次回までに充分あるようで実は残り少ない。

シェード越しの芝生に、バランスよく配置された樹木が落とす柔らかい影、水色したホールにピアノの音も流れて、この清涼のひとときはいつま
でも忘れないだろうと思う。


  新川文化ホール
         二人展
2006年7月25日(火)
私の愛する様式


 

平方根、実数、素数、虚数、約数…循環しない無理数、友愛数・・・
一点集中、目を虚空に向けて、のみこめるまでの時間がだんだん長くなる。
授業時間はノートと鉛筆の代わりに、肥え桶を担いで泥田の中を這いずり回った、いやな記憶しか浮かんでこない。それからの長い月日が、いかに数学とは無縁の日常だったかが分かる。
貧しいというより、数学の基礎知識の皆無という状態で、私は「博士の愛した数式」を手に取ったのだった。

数字の魅力が博士の十分の一にも及ばないのは当然だが、変幻自在、魔法のベールをかけるような美しい表現と、心を満たす透明な沈黙の中に忽ち引きずり込まれそうになる。
博士は、80分間の記憶の中でしか生きられない。
明るい空に誰よりも早く一番星を見つけるときの博士の恍惚感、その仕草の純真さは憧れに似たものでありながら、ときに引き戻される感覚は、80分いや80時間たったあとも、まばらに浮かび上がる私の記憶力の違いからくるのだろう。

世の人が熱狂するプロ野球はあまり興味がない。
だからその段階で羅列する数字には、魔法の効き目もなく斜めに読み流しながら、
解説にあるような、数字と野球のドッキングに至って「やった!」とあげる快哉の叫びには冷たい目が向いてしまう。
作者はここでベストセラーを念頭に読者にサービスしたのでは?と邪推してみたり、つまりそれほど俗っぽいのがこの読み手なのである。

口だけなら何とでも言えますぞ、と笑って言った人たちと自分を重ねながら、もう一度でも二度でも初めから読み直してみよう、と私は思った。
純粋に幸せに生きた、まぼろしのひと博士への思いを深めたくて。

2006年7月21日(金)
構図…雨の都会で
顔は、ほとんど思い出せない。
雨上がりの、みなとよこはま 今ではみなとみらいと呼ぶ一角にある白いホテルのラウンジだった

広々したロビーの片隅に置かれた長いすに、わずかに腰を下ろした姿勢も、何か待ちあぐねて心決めかねる風情のひと…30代か、50代か
顔かたちも表情もうかがえぬ一瞬に、目だけがじっとはるか一点に集中して、自然色の頬と唇が、穏やかに鮮やかに印象に残ったのが不思議だった。
…もしかすると、ひとり勝手な空想の所産なのだろうか?

標準的タイプ。横に大きからず縦に小さからず。
バックや袋を小脇に抱え込み、残る片手は携帯で占められて
それはなすすべなく空間を泳いでいるように、呆然とした表情までを連想させた。
現代風ないい構図…みるともなし視線を送ってしまう
携帯と腕時計交互に眺めるうち
白いプリーツのスカートが揺れて、やがて彼女はひっそりと姿を消した。


桜木町駅。 たしかムードたっぷりのブルースで歌われた華やかな街。
みなとみらいが出来てから、閑散となり始めたという桜木町駅、そのうちまた新しい歌に読みこまれるかもしれない

雨の日に、ときどき思い出して楽しむ絵になる光景―― のひとつである。
2006年7月17日(月)
海の日

連休…何かときめくという連休も今日が最後 雨で終わる。
しかし、何の日だったろう?カレンダーをみるまで思い出せない。
海の日。海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う日、とある。
関連した各地のイベント案内には海と無関係なものが多く、「お風呂案内」なんてものまである。この日の朝刊の見出しにざっと目を通してみた。
  安保理、北にたいする非難決議を全会一致で採択
  北方領土ピザなし交流
  美しい森取り戻そう
  多彩な墨の美鑑賞
  紙面を割いた各地のスポーツ大会・・・あった  
  海フェスタとやま、蜃気楼の魚津でみなとまつり。
この雨では孫ちゃんたちのリーグ戦もお流れにならなかったかしら。海王丸の総帆展帆もあっただろうか。

ぼんやりと雨滴の光るガラス窓を眺めていたら、好きな久世光彦の文章の一節が頭に浮かんだ。
”海ゆかばみずくかばね 山ゆかば草むすかばね ○○の辺にこそ死なめ かえりみはせじ”
○○の中に愛する国とか愛する人という言葉を入れたらいい、無言歌でもいい、「海行かば」は決して軍歌ではない、信時潔が作った清冽で格調高い鎮魂歌なのだ――
海行かばは、今日の雨にもよく似合う。頬に光る涙のような雨滴、と語る故人は私も通じる同年代。
雨はまだ明日も降り続くらしい

2006年7月12日(水)
雨の朝の予感
           
軒端を伝うひっそりした雨音で目覚めた。
外出の予定なし。時間限定のかきものもなし。庭木の消毒も済ませてある。沈んだ光線の中で、安穏のいち日を予感する。

太陽のぎらつきに惑わされることなく、布団の中であるかなしかの滴音を耳にしているのも、しっとり落ち着けていい。

お昼頃、傘をさして戸外へ出てみた。
舗装の継ぎ目ごとに、濃い茶緑と、薄グレイに変わる濡れた道路の色。
低いところへ水が流れて、鏡をみるように公園の並木がさかさまに映り、
その隙間からは、銀色の光も反射する。
水溜りに鮮やかな樹木の美緑青。

絵具は、黒曜石末か電気石末が活躍するだろうな
黒雲母か、それに銀ねずもいる… 黒緑青をちょっぴり混ぜて…

ずっしりとした湿気を家の中まで持ち込みながら、時間の訪れが予想どおりであったことに、にんまり。
2006年7月10日(月)
響きあうもの

どう見ても同じ場所としか見えない水の流れが写真と日本画で並んでいる。
二度目の二人展。
始めて会場に行ったとき、飾りつけをした日とはまた異なるみずみずしい感動があった。ときを超えて、同じモチーフを追い求めた二人が、この世で出会う不思議な縁、これは神様から戴いた贈り物だろうか
広いホールの一角を浮かび上がらせて、淡い金色の照明さえなにやら神秘に見えてくる。
クロゼットに納いこまれていた旧作は、いま写真の水と共鳴し響き合い、妙なる音楽を奏でるように思われて…

実感を誇張して文章にしたら、まあこれくらいになるかなぁ

家に一人いれば、考えるのは次の段階以降のことばかり。しかしときたま頭をよぎる現在展示中の旧作品が、誰かに少しでも優しい想いを分けているかも知れないと想像して、フッと満足感がこみ上げたりもする。

私の、こっそり味わっている感謝と喜びの一端です。   (二人展)



   
   響き

 

2006年7月7日(金)
精神年齢だけでは?
「あなたの住所は? 年齢、生年月日は?」
健康診査に行ったとき、終わり際に質問されてちょっとどぎまぎしてしまった。
今年から簡単な脳力検査が加わったのだという。もうそんな適齢期に達したかと少々情けない思いは、でもそこまでだった。
総理大臣の名前は? 
こ、こば…いえ、こいずみ、潤一郎。
では前の総理大臣は?
(はしもと)(なかそね)(みやざわ)… いくつかの名前が頭の中でぐるぐる駆け巡ったところで先生は はい、いいでしょうと笑顔で打ち切った。

毎日のように、絵と字でささやかな自己表現を繰り返して、満足していたのだけれど、どうやらそれだけでは防ぎきれない老化現象。
隣県の森善郎氏は精の抜けたビールみたいだったからねと、誰かが聞いたら怒りそうなゴタクを並べながら、せっせと恋に悩む女性をデッサンしている



   朱夏
2006年7月3日(月)
文月の初めに

7月別名文月。後半からは愛逢月ともいう。
語源はどこからきたのだろう
わけの分からない曲線や文字が氾濫しているデッサン帳を前にして思考ばかりがどんどん逸れてゆく。

恋すてふ わが名はまだき・・・立ちにけり・・・人知れずこそ思いそめしか
しのぶれど 色に出でけりわが恋は・・・ものや思うと・・・

平安時代の歌合せで優劣を競って作られた和歌は、幾世紀を経た今も愛唱されている。恋ごころに縁遠くなって、さわりの部分しか思い出せないのには
がっかり。どちらに軍配が上がったかはもちろん覚えていない。
しかし、なかなかいいじゃないの
自然と女性を組み合わせて、人の心をくすぐるように柔らかい小品群を並べてみたいのだけど。 できれば少し、艶めいて