戦後の昭和、電話もラジオもない、学校は炭火鉢から石炭ストーブへ・・
学校給食は一度も味わったことがない
5.6年でようやく小学校に名士の寄付で映りの悪い白黒テレビがはいる
そして、農村集団電話、テレビは力道山の空手チョップを見に燐家へ
高校にはいり 一部の教師の「マイカー」なるものを珍しそうに眺める
昭和から平成、時代は令和で、 団塊世代は時代のお荷物か・・・
越後湯沢があった駅にこんな名前の酒 上善は水のごとし
塩の桜
明日あるとおもうこころのあだ桜
よわに嵐の吹かぬものかは
令和元年お習字 1年後コロナ襲来
こんな風に辞書が手あかでふくらんでいた時代もあった 半世紀以上前