帝龍寺全景
大宝二年(西暦702年),文武天皇の御連枝真福上人によって開創され,勅願所であったと伝えられています。当時は,姉倉比売神社本地佛の嵯峨虚空蔵菩薩を本尊とし,帝立寺と称していました。帝立寺の住職は,姉倉比売神社(虚空蔵菩薩)の外,春日社(薬師如来),八幡社(阿弥陀如来),稲荷社(十一面観音菩薩),諏訪社(不動明王)の4社の社僧として,代々奉祠してきました。 以後,七堂伽藍が建立され,360坊を統べる本寺として隆盛を誇りましたが,応永年間の放火により,諸坊や縁起記録等はことごとく焼失してしまいました。また,その後復興の努力がされましたが,明治の初期に,近火の類焼で本寺の建物・宝物などが焼失しました。現在の本堂は,平成11年に建立されたものです。 大日如来を本尊とし,高野山真言宗の船峅山帝龍寺として現在に至っています。 帝龍寺にまつわる伝説は,【ふなくらものがたり「帝龍寺」】のページへ |
◇本尊大日如来座像
帝龍寺の本尊は,胎蔵界大日如来で,江戸時代中期の |
この観音像は,胎内銘によると,正安二年(西暦1300年),越前の国(福井県)の僧侶によって作られた寄木造りの十一面千手観音立像です。富山県最古の造銘佛として,富山県重要文化財に指定されました。代々秘佛とされてきましたが,文化財指定後,観音堂の本尊として安置され,毎年8月18日の観音祭に開帳されています。
(正面墨書銘)千手仏
(背部墨書銘)北六道越前国坂南郡春近御庄南郷太堂寺住侶讃岐房覚乗同弟子薩摩房定応所弐人之作也
正安弐年庚子九月五日
この佛画は,過去佛,現在佛,未来佛の三幅が一組となっています。三幅それぞれに千体の佛が描かれ,佛名会という行事の本尊とされます。当寺に伝わる過去佛図は,縦5尺3寸5分,横4尺5分の大きさの絹地に極彩色で描かれています。
なお,現在佛図が宝寿院(富山市文珠寺),未来佛図が富山市教育委員会に所蔵されており,三幅同時に富山県指定重要文化財の指定を受けました。特別の行事以外は,公開していません。
両界曼荼羅は,佛の智恵を表す金剛界と佛の理法を表す胎蔵界の二幅で一対をなし,大日如来を中心とする密教の世界を表した佛画です。当寺のものは,室町時代の作と伝えられています。観音堂に掛けられており,毎年8月18日の御開帳の際にご覧いただけます。
この虚空蔵菩薩像は,帝立寺開創当時の本尊,姉倉比売神社の本地佛として伝えられています。秘佛とされているため,三十三年に一度,御輿に奉じて姉倉比売神社に遷座し,開帳されることになっています。前回は平成3年(1991年)4月に開帳され,次回は平成36年(2024年)の予定です。
《1月》 1日 姉倉比売社 元旦祈願祭 3日 門明け |
《2月》 26日 市場火祭り |
《3月》 中旬 涅槃会 中旬 秋葉社祭 虚空蔵祭 |
《4月》 |
《5月》 |
《6月》 中旬 御前山雨乞岩祭 |
《7月》 下旬 猿倉社祭 |
《8月》 5日 施餓鬼会 18日 観音祭り 寺家観音祭 31日 二百十日祈祷 |
《9月》 上旬 春日社祭及び 諏訪社祭 |
《10月》 |
《11月》 上旬 報恩講 (土砂加持会) |
《12月》 31日 除夜の鐘 |
帝龍寺では,本堂の老朽化に伴い,平成11年(1999年)に本堂の新築工事を行い、12月に完了しました。また、平成12年(2000年)6月4日(日)には、本山(和歌山県高野山)より増福院住職鷲峰本賢師を導師にお招きし、本堂落慶法要を厳修しました。
建設工事や落慶法要の様子をどうぞご覧下さい。